アメリカの通史
時計を量産品へと変えた国が、やがてその産業を失い、最後は異業種から腕の上を定義し直す。
要旨
Summaryアメリカ時計史は、量産革命と産業の喪失、そして異業種からの再定義という三つの局面で語られる。19世紀半ば、ウォルサムが互換部品による量産方式を確立し、エルジンやハミルトンが続いて、アメリカは世界最大の時計生産国となった。鉄道時計の規格化が需要を支え、廉価な懐中時計は所有を広げた。だが20世紀半ば、廉価帯への偏りと自動巻開発の遅れが響き、クォーツ革命が古い量産メーカーを退場させた。産業が消えた後、RGMやシノラが別の形で時計づくりを取り戻し、最後はアップルが時計産業の外から腕の上を定義し直す。
解説
Overviewアメリカ時計史は、工業化による量産革命と、その産業の喪失、そして異業種からの再定義という三つの局面でたどれる。
近代アメリカの時計づくりは、1850年のウォルサム創業に始まる。アーロン・デニソンらは、銃器製造で培われた互換部品の思想を時計に持ち込み、機械で部品を精密に量産する方式を築いた。これが後にアメリカン・システムと呼ばれる。職人が一個ずつ組み上げる従来の生産と異なり、互換部品を機械で作れば、品質を保ったまま価格を下げられる。南北戦争は新興のウォルサムに思わぬ需要をもたらし、量産の基盤を固めた。1876年のフィラデルフィア万博では、ウォルサムの自動ねじ加工機が来訪したスイスの観察者に衝撃を与えた。脅威を察したスイスは代表を送って米国式の生産を調べ、その報告がスイス産業の機械化を後押ししたとされる。
量産の波は新興メーカーを生んだ。1864年創業のエルジンは生産量で先頭に立ち、1892年創業のハミルトンは鉄道時計の名門として続く。三社はアメリカ量産時計の中核をなした。1890年代半ばには、ウォルサム一社で年産50万本を超え、世界最大級の時計メーカーとなる。インガーソルは膨大な数の1ドル時計を売り、時計を持つことを庶民の手に届かせた。
量産を需要面から支えたのが鉄道だった。1891年の列車衝突事故を機に、時計の精度と仕様をそろえる規格が整えられた。調査に当たったウェッブ・C・ボールが検査制度を敷き、その名は鉄道時計の精度の代名詞となる。20世紀初頭、アメリカは世界の時計生産の中心となっていた。第一次大戦の塹壕時計、第二次大戦のA-11規格と、戦争のたびに腕時計の需要が量産能力を押し上げた。
転機は20世紀半ばに訪れる。世界恐慌のなか、アメリカ各社は廉価帯へ軸足を移した。この選択が後年に響く。戦後は自動巻の開発でスイスに後れを取り、安価なスイス製ムーブメントの流入に対抗できなかった。各社は関税の引き上げを求めたが、十分な保護は得られない。ブローバのように、部品をスイスで作り米国で組み立てる業態へ転じて生き延びた社もある一方、自社一貫の量産メーカーは追い込まれた。ウォルサムは1957年前後に消費者向け時計の生産を終え、エルジンは1968年に、ハミルトンは1969年にアメリカでの製造を終えてスイスへ拠点を移した。ハミルトンの名は現在スウォッチ グループに属する。生き残った名の多くも、製造を国外へ移すか他社へ売られていった。
皮肉なのは、電子化の口火をアメリカが切っていた点である。1957年のハミルトン ベンチュラは電池駆動の腕時計の先駆とされ、1960年のブローバ アキュトロンは音叉式で機械式を上回る精度を示した。1972年のパルサーはLEDによるデジタル時計だった。だが、これらの革新は国内産業の延命にはつながらず、1969年のセイコー アストロンに始まるクォーツ革命が、古い量産メーカーを退場させた。
産業がほぼ消えた後、別の形で機械式時計づくりが戻ってくる。1992年、ローランド・マーフィーがペンシルベニア州マウントジョイにRGMを創業した。スイスで学んだ技術を背景に、ムーブメントからケース、ダイヤルまでを自社で手がける少量生産の工房で、2008年には自社開発のキャリバー801を、2010年には米国製のトゥールビヨンを世に出した。手仕事の価値を問い直す独立系の歩みである。
2011年には、フォッシルの創業者トム・カートソティスがデトロイトでシノラを立ち上げた。自動車産業の街を舞台に、地元の作り手を訓練し、年間数十万本規模の組立を行う。部品の多くは輸入だが、組立を米国で行う点を物語の核に据えた。2016年には『Built in Detroit』の表記をめぐり当局から修正を求められ、スイスおよび輸入部品を用いる旨を併記するようになる。RGMの工房的な手仕事と、シノラの組立と物語は、対照的な二つの再生の道を示す。
そして再びアメリカが腕の上を変えたのは、時計産業の外側からだった。2007年のiPhoneは時刻表示を携帯端末へ移し、2014年に予告され2015年に発売されたアップル ウォッチは、時計メーカーではなく技術企業が腕の上の主役を定義し直す出来事となった。量産で時計を民主化した国は、いまや時計づくりの担い手としてではなく、異業種からの再定義者として、ふたたび腕の上にいる。