パルサー(世界初デジタルLED)
針ではなく、ボタンを押すと光る数字で時刻を示す——機械式の延長線上にない腕時計が1972年に市販された。
概要
Overview1972年4月、米ハミルトン・ウォッチが電子式腕時計パルサーを市販した。テキサスの電子企業エレクトロ/データとの協業から生まれた製品である。テンプもヒゲゼンマイも持たず、水晶振動子で時を刻み、赤色のLEDで時刻を数字表示した。電力消費が大きいためふだんは表示を消し、ボタンを押した数秒だけ点灯する。最初のP1は18金ケースで2,100ドル、当時の小型車に近い価格だった。動く部品を持たないこの時計は、機械式・電気式・音叉式とは異なる系統を腕時計にもたらした。LEDで時刻をデジタル表示した市販品としては最初期にあたり、後のデジタル時計普及の出発点となった。
背景
Background腕時計の精度と機構は、長く機械の領分だった。テンプとヒゲゼンマイが時を刻み、歯車が針を動かす。20世紀半ばに入ると、この枠組みの外側で電子化の試みが進む。ハミルトンは1957年に電池駆動の電気式腕時計を世に出し、ブローバは1960年に音叉式アキュトロンで機械式を超える精度を示した。いずれも調速の仕組みを電子へ寄せたが、時刻の表示は針のままだった。
表示そのものを変える着想は、意外な場所から来た。1960年代後半、映画監督スタンリー・キューブリックが『2001年宇宙の旅』のためにハミルトンへ未来的な時計を依頼したと伝わる。製作されたのはニキシー管で数字を光らせる扁平な置き時計で、映画本編では使われなかったとされる。だが赤く光る数字の表示は、ハミルトンの技術者に腕時計への応用を着想させた。
土壌は整いつつあった。1962年にニック・ホロニアックが可視光の赤色LEDを実現し、集積回路も小型化が進む。針を使わず、半導体の光で数字を示す時計が、技術的に手の届く範囲に入っていた。
出来事
The Event開発はハミルトンのデジタル時計部門を率いたジョン・バーギーが主導した。電子モジュールは、テキサス州ガーランドのエレクトロ/データが供給する。同社はジョージ・ティースが創業し、LEDで時刻を示す時計を研究していた。両社は、エレクトロ/データが回路を担い、ハミルトンが資金と製品化を担う形で組んだ。
試作は1970年5月、ジョニー・カーソンの『トゥナイト・ショー』で披露された。カーソンの反応は冷ややかだったと伝わる。製品名のパルサーは、規則的な電波を発する天体パルサーにちなむ。この天体は1960年代末に発見されたばかりで、宇宙時代の技術を思わせる響きだった。ハミルトンはこの時計を『タイム・コンピューター』とも称した。
市販は1972年4月である。最初のモデルP1は18金のケースに収められ、価格は2,100ドル。当時の小型車に匹敵し、最上位の機械式時計をも上回る額だった。初回はおよそ400本が作られ、ティファニーやニーマン・マーカスといった高級店に並んだ。
仕組みは、それまでの腕時計と根本から異なる。水晶振動子が時を数え、その信号を集積回路が処理し、赤色のLEDが数字を光らせる。テンプもヒゲゼンマイも歯車もなく、動く部品を持たない。LEDの消費電力は大きく、常時表示はできない。ふだん文字盤は暗く、側面のボタンを押した一秒あまりだけ、午前午後を区別した時刻が浮かぶ。続けて押せば秒が現れる仕掛けだった。
意義
Significanceパルサーが開いたのは、表示の系統である。機械式・電気式・音叉式は、調速こそ電子へ寄せても、時刻は針で示し続けた。パルサーは針を捨て、半導体の光で数字を示した。腕時計が初めて、機械の運動と無縁の表示を持った瞬間である。
もっとも、LEDの大きな消費電力は弱点でもあった。常時表示できず、ボタンを押すたびに時刻を確かめる手間が残る。この課題は、まもなく液晶(LCD)表示が引き受ける。電力を抑え常時表示できる液晶は、1970年代後半にデジタル時計の主流となった。置き時計のニキシー管から腕のLEDへ、そして液晶へ。数字で時刻を示す技術は、パルサーを通り道として日常へ降りていった。
皮肉なのは、口火を切ったアメリカ勢が、その果実を長く握れなかった点である。電子化ではハミルトンやブローバが先行したが、量産と低価格化では日本勢が勝った。カシオは1974年にデジタル腕時計へ参入し、セイコーも電子時計を量産していく。やがてデジタル時計は安価な日常品となり、パルサーのブランド自体もセイコーの傘下に移る。米国時計産業の浮沈を映す一例でもある。それでもパルサーは、針のない時計という選択肢を最初に世へ示した製品として記憶される。