ウォルサム創業/アメリカン・システム
時計を一個ずつ組む職人仕事から、互換部品を機械で量産する工業へ。アメリカが時計づくりの原理を組み替えた起点である。
概要
Overview1850年、アーロン・ルフキン・デニソン、エドワード・ハワード、デヴィッド・デイヴィスの3人が、マサチューセッツ州ロックスベリーで時計製造を興した。後にウォルサム・ウォッチ・カンパニーとなる事業である。デニソンはスプリングフィールド造兵廠で見た銃の互換部品生産に着想を得て、同じ手法を時計に持ち込もうとした。基準となる見本と精密なゲージで部品寸法を揃え、専用機械と組織化された工場で量産する——この方式は後にアメリカン・システムと呼ばれる。一個ずつ手で仕立てる欧州の職人生産に対し、機械で揃えた部品を半熟練工が組み上げる体制は、時計の価格と生産量の常識を変える出発点となった。
背景
Background19世紀前半のアメリカに、時計を作る産業はほとんど無かった。出回る時計の多くはイギリスかスイスからの輸入品で、1825年から1858年のあいだに輸入された時計はおよそ4,600万ドルに達したと伝わる。国内で作られた時計は1850年代以前で2,000個に満たなかったとされる。
当時の時計づくりは欧州の家内工業に支えられていた。一部の部品は工場で作るものの、残りは自宅を仕事場とする職人が手で仕上げ、それを集めて組む。エタブリサージュと呼ばれるこの方式は、熟練した高価な労働を必要とし、量を増やしにくかった。部品は一個ずつ擦り合わせて仕上げるため、同じ品質の時計を数多く揃えるのは難しい。
同じマサチューセッツ州のスプリングフィールド造兵廠では、別の原理が育っていた。銃を互換部品から組む方式である。あらかじめ寸法を揃えた部品を機械で量産すれば、熟練を要さず手早く組み立てられ、壊れた部品の交換も利く。時計修理を生業としていたデニソンは、この造兵廠を訪ねて仕組みを知り、同じ考えを時計に応用できるはずだと考えた。誤差を職人の腕で吸収するのではなく、部品の精度そのもので揃える。この着想が新しい時計会社の土台となった。
出来事
The Event1850年ごろ、デニソンはクロック職人のエドワード・ハワードと組み、互換部品による時計の量産を計画した。資金はサミュエル・カーティスやハワードの事業仲間デヴィッド・デイヴィスらが出し、ボストン近郊のロックスベリーに工場が築かれた。設立当初の社名はアメリカン・ホロロジ・カンパニーで、目的を外国の供給元に悟られないよう、すぐにウォーレン・マニュファクチャリング・カンパニーへ改められたと伝わる。
造兵廠から取り入れたのは、厳密な組織、要となる機械工場、そして見本に基づく生産だった。まず基準となる見本の時計を一つ作り、それに合わせた一式のゲージを用意する。以後に作る部品はすべて、対応する見本の部品と照合して寸法を確かめた。専用に設計した機械で部品を削り出し、組み立ては半熟練の工員が担う。職人の勘ではなく、計測と規格で品質を保つ仕組みである。
もっとも、原理どおりにはいかなかった。機械の精度が足りず、できあがった部品は一つひとつ微妙に異なった。互換のはずの部品が揃わず、当初の時計は既存品をしのぐものにならなかった。最初の製品が形になったのは1852年の暮れで、わずか17個。その多くはマーシュ兄弟の手作業に頼っていた。会社は1853年にボストン・ウォッチ・カンパニーと名を変え、1854年にはチャールズ川沿いのウォルサムへ新工場を移し、以後の拠点をこの地に定めた。
資金繰りは安定せず、1857年に会社は破産する。機械と一部の職人はハワードがロックスベリーへ引き取り、別会社を起こした。残された事業は再編される。1857年の時点で、良質な穴石付きレバー時計を20ドルで量産する術にたどり着いていたが、そこに至るには15万ドルを費やしたと言われる。
意義
Significanceこの事業の意義は、まず製造技術にある。互換部品・専用機械・ゲージによる計測という造兵廠の原理を時計に持ち込み、品質を職人個人の技量から工場の規格へと移した。それまで欧州の手仕事が担ってきた時計づくりを、機械で再現できる生産へ近づけたことである。
市場の面では、価格と量の常識が動いた。労働費が時計の高価さの主因だった時代に、機械化はその費用を圧縮する道を示した。揃った部品で同じ型を数多く作る方式は規模の利益を引き出し、時計を限られた階層の持ち物から広い消費財へ近づけていく。ウォルサム自身、操業を終える1957年までに約4,000万個の時計や精密機器を世に送ったと伝わる。
方式そのものも広がった。製造機械を作る知識はウォルサムからエルジンへ、さらに多くのアメリカの工場へ伝わり、互換部品による時計産業の型を形づくる。やがてフローレンティン・アリオスト・ジョーンズがこの手法を学んでスイスへ渡り、1868年にIWCを興すなど欧州にも影響を及ぼした。一方で、規模を優先するアメリカ式は似通った時計を数多く生む傾向を抱え、多様さと柔軟さを保ったスイスとの競争は後の課題として残る。アメリカ時計産業の通史において、本項はその工業化が始まった一点に置かれる。