240 PS IRM C LU
1977年に誕生した超薄型ミニローター機構を基盤に、月相・パワーリザーブ・針式日付を備える、240系の小複雑キャリバー
パテック フィリップが自社製超薄型自動巻Cal. 240を基盤に展開した、複雑機構付きの派生キャリバーである。径31mm、厚3.98mm、29石、21,600vph(3 Hz)の仕様で、22K金製ミニローターによる片方向巻き上げ、Gyromaxフリースプラング・バランス、Spiromaxシリコン・ヒゲゼンマイを備える。スモールセコンド(PS)、パワーリザーブ(IRM)、針式日付(C)、ムーンフェイズ(LU)を単一の盤面に非対称配置し、Patek Philippe Sealの内部基準に準拠する。1993年頃の小複雑Ref. 5015で初登場し、ノーチラスRef. 5712などへ展開した。
| Maker | Patek Philippe |
|---|---|
| Reference | 240 PS IRM C LU |
| Type | Automatic |
| Display | Analog |
| Frequency | 21,600 bph (3 Hz) |
| Jewels | 29 石 |
| Power reserve | 48 h |
| Movement ⌀ | 31 mm |
| Hands | Hours, Minutes, Small Seconds |
| Date | Date |
| Astronomical | Moonphase |
| Additional | Power Reserve Indicator |
系譜と歴史
1. クォーツ危機下に生まれた240系
1977年は、機械式時計産業がクォーツ危機の只中にあった年である。アジア製の安価なクォーツ時計が世界市場を席巻し、スイスの伝統的なマニュファクチュールの多くが姿を消した。そのような時代に、当時の経営陣ヘンリー・スターンとフィリップ・スターン父子は、機械式の最高峰を追求する道を選び、新世代の自動巻ムーブメントの開発に着手する。
開発の指揮を執ったのは、技術部門責任者ジェラール・ベレ(Gérard Berret)である。前職のユニバーサル・ジュネーブで薄型キャリバーの設計経験を持つ彼は、調整師マックス・スチューデルらと共に、薄型化と巻き上げ効率を両立させる新機軸として「ミニローター」を採用した。地板の中に沈み込むように配置された22K金製の偏心ローターは、スイス特許CH 595 653として登録され、ベース仕様で厚さわずか2.53mmという超薄型自動巻を実現した。1977年、この革新的なムーブメントは、ゴールデン・エリプス Ref. 3738に初搭載されている。
2. 小複雑機能への展開
240系は薄型を保ったまま複雑機能を加えやすい設計であり、1980年代以降、各種派生機構の基盤として用いられてきた。1985年のRef. 3940には永久カレンダーを加えた240 Q、1981年のスケルトン Ref. 3878には透かし彫り仕様の240 SQUが搭載され、シリーズの懐の深さを示している。
1990年代初頭、パテック フィリップは「小複雑(プチ・コンプリカシオン)」と呼ばれる新しい範疇を打ち出した。永久カレンダーや時間等式といった大複雑ではなく、日常使いの中で愉しめる程度の複雑機能を、薄型ドレスケースに収めるという思想である。1993年頃に発表されたRef. 5015は、その第一弾となるモデルで、ここに240 PS IRM C LU仕様が初めて姿を現した。スモールセコンド、パワーリザーブ表示、針式日付、ムーンフェイズという4つの表示を、240の薄さを大きく損なうことなく搭載した点が画期的であった。
3. ノーチラスへの転用と現代の位置
240 PS IRM C LUの存在感を決定的にしたのは、ノーチラスへの搭載である。2005年のRef. 3712で初めてノーチラスの盤面に小複雑が持ち込まれ、翌2006年、コレクション30周年を記念して登場したRef. 5712では、より洗練された非対称ダイヤルレイアウトと共に本格的に展開された。スポーツウォッチの文脈と小複雑キャリバーの結節点として、5712は長年にわたり同社の代表的なリファレンスのひとつであり続けた。
4. 240ファミリーの広がり
240系は、ワールドタイム機構を加えた240 HU(2000年のRef. 5110で登場)、天体表示の240 LU CL、近年ではCubitus Ref. 5822Pに搭載される240 PS CI J LUなど、現在に至るまで派生を重ねている。誕生から半世紀近くを経てなお薄型自動巻の中核を担い続けるその設計思想は、フィリップ・スターン期に確立された同社の近代史と分かちがたく結びついている。
技術解説
仕様の骨格
Cal. 240 PS IRM C LUは、径31mm、厚3.98mmの自動巻きムーブメントである。265点の部品、11個のブリッジ、29石で構成され、振動数は21,600vph(3 Hz)、パワーリザーブはフル巻き上げ時で約48時間、最低保証38時間とされる。Patek Philippe Sealを刻印し、機構内部にはスイス特許CH 595 653を起源とするミニローター機構が継承されている。
22K金ミニローターと巻き上げ機構
ベースキャリバーCal. 240から受け継がれる最大の特徴は、地板に沈み込むように配置された偏心ミニローターである。中央配置の通常ローターと比べ、径が小さく慣性質量が不足するため、素材に密度の高い22K金を採用してエネルギー効率を補っている。さらに、巻き上げ方向を片方向に限定することで、双方向化に必要なリバーシング・ギア(逆転防止機構)を省略し、摩擦損失を抑える設計となっている。これらの工夫により、薄型でありながら必要な巻き上げトルクを確保している。
Gyromaxバランスとシリコン・ヒゲゼンマイ
調速機構には、パテック フィリップが1949年に特許を取得した自社製フリースプラング・バランス「Gyromax(ジャイロマックス)」を採用する。テンプリムに配された慣性質量調整用スタッドを回転させることで、緩急針を用いずに精度調整を行う方式である。組み合わされるヒゲゼンマイは、シリコン素材「Silinvar」を基にしたSpiromax(スピロマックス)である。シリコンは反磁性で、温度変化や重力姿勢差の影響を受けにくい特性を持つ。Spiromaxは平面形状ながら、伝統的なブルゲ・オーバーコイル(終端を巻き上げた形状のヒゲゼンマイ)相当の等時性を確保する形状最適化が施されており、薄型キャリバーとの相性が良い。
採用される振動数3 Hzは、4 Hz級の高振動キャリバーと比較するとエネルギー消費が約2割低く、パワーリザーブ確保と機構効率の両立において合理的な選択肢とされる。
表示機構
キャリバー名末尾の符号は、それぞれ機能を示している。PSはPetite Seconde(スモールセコンド)、IRMはIndicateur de Réserve de Marche(パワーリザーブ表示)、CはCalendrier(針式日付)、LUはLune(ムーンフェイズ)を意味する。これらが一枚の盤面上に非対称に配置される点が本キャリバーの意匠的特徴で、伝統的なシンメトリーから解放されたモダンな表情を生んでいる。
ムーンフェイズは、月の朔望周期約29.53日を機構的に近似し、設計上は約122年に1日の誤差に留めるとされる。針式日付は、サブダイヤル上を針が一周する形式で、瞬時切り替えではなく徐々に進む方式が採られる。
仕上げとPatek Philippe Seal
仕上げは、ブリッジにジュネーブ・ストライプ(コート・ド・ジュネーブ)、地板にペルラージュ(円形粒模様)、エッジには手作業による面取りが施される。22K金ミニローター表面にもジュネーブ・ストライプとカラトラバ十字の彫刻が入る。
Patek Philippe Sealは、2009年にパテック フィリップが従来のPoinçon de Genève(ジュネーブ・シール)に代えて導入した独自の品質基準である。ムーブメントの仕上げに加え、ケース、ダイヤル、針、組み立て、最終時計としての精度を含めて統括的に管理する点に特色がある。Spiromaxヒゲゼンマイを採用するキャリバーについては、ケーシング後の日差が−1〜+2秒に収まることを内部基準として課している。