ルイ=ユリス・ショパール
1836-1915。ジュラの村ソンヴィリエで工房を興し、頭文字L.U.Cを今に残すショパールの創業者・時計職人
- BORN
- 1836年
- DIED
- 1915年
- BRAND
- ショパール — 1860年創業
- MODELS
- 5 本
概要
生涯
01ジュラの農村と時計の仕事
ショパールが工房を構えたソンヴィリエは、スイス西部ベルン州のジュラ山地にある村である。この一帯では、農家が冬の農閑期に時計の部品を作る副業が根づいていた。部品を集めて完成品に仕立て、販路を握ったのはコントワールと呼ばれる時計商だった。
ショパールは父の勧めで若くして時計づくりを学んだ。父フェリシアンの次男として生まれたと伝わる。部品を納める側にいる限り、利益の多くはコントワールの手に渡る。若いショパールはこの構図を見て、自ら時計を仕上げて売る独立の道を選んだとされる。
021860年、ソンヴィリエの工房
1860年、24歳のショパールはソンヴィリエに自身の工房を開いた。扱ったのは懐中時計とクロノメーターで、ブランドの公式史はこれを高精度の時計製造所として紹介している。顧客が求めたのは、日々持ち歩ける薄く正確な懐中時計だった。ショパールは早い段階でこの需要を見定めた。前年の1859年には息子ポール=ルイが生まれており、工房はのちに彼の手へ渡ることになる。
評判はスイス国内の公的な需要にも及んだ。スイスの射撃大会ティル・フェデラルや鉄道会社へ時計を納めたことが、公式史と専門誌の双方に記されている。公式史はこれらの納入を1885年の項に掲げる。ショパールはさらに東欧を巡って作品を示し、スカンディナヴィアやロシアにも顧客を得たと伝わる。ロシア皇帝ニコライ2世も顧客の一人だったとされるが、その時期は資料によって食い違う。村の工房は、国境の外に買い手を持つ製造所へ育っていった。
03代替わりとショパール家の退場
1914年から1917年にかけて、息子ポール=ルイが工房を段階的に引き継いだ。その途中の1915年、創業者は世を去った。工房の経営は、創業者の存命中から少しずつ次の世代へ移っていたことになる。
会社は1937年、時計産業の中心地ジュネーブへ移った。家業を担ったのは創業者の孫ポール=アンドレである。だが、その次の代に家業を継ぐ者は現れなかった。
1963年、ドイツ・プフォルツハイムの宝飾時計商カール・ショイフレ3世がジュネーブを訪れた。スイスの時計会社を求めていた彼は、ポール=アンドレと面会する。売買の話はその場でまとまったと公式史は記す。工房にはL.U.ショパールの看板が掛かっていたと伝わる。創業家による経営は約1世紀で幕を閉じたが、新しい所有者は自社の名で上書きせず、ショパールの名を残した。
業績・代表作
01完成時計を自ら売るという選択
ショパールの業績の第一は、特定の機構の発明ではなく、事業の組み立て方にある。19世紀のジュラでは、部品づくりと組み立てが村々の工房に分かれ、完成品の販売はコントワールが担うことが多かった。この分業の中で、腕のある職人でも名を知られないまま部品を納め続けることは珍しくなかった。
ショパールは、自ら時計を仕上げ、ケースに収め、売るところまでを手がけた。当初は地域の専門工房が作った部品を用い、それを手直しして調整し、自身の基準で組み上げたとされる。すべての部品を自作することよりも、仕上げと調整を自らの手に置くことを重んじた進め方である。品質の最終責任を負う者が、そのまま売り手として顧客の前に立つ形である。
02薄さと精度という製品の軸
工房の製品は懐中時計とクロノメーターに絞られていた。目指したのは、毎日持ち歩いても負担にならない薄さと、日々の用に足る精度の両立である。懐中時計を日常の道具として仕立てる考え方が、製品の軸にあった。
納入先の顔ぶれにも、この方向がよく表れている。鉄道は正確な時刻を業務の土台とする組織である。その納入先に名を連ねたことは、精度を看板とした工房の性格とよく重なる。
03頭文字と蜂の巣
ショパールは自らの名を、製品と工房の看板の両方に刻んだ。1913年、工房は「L.U.C L.-U.ショパール時計製造所、1860年創業」を掲げた最初の広告を出している。L.U.Cはルイ=ユリス・ショパールの頭文字である。文字盤に「L.U.Chopard」と銘を入れるのが創業者の慣わしだったとも伝わる。
代替わり後の1918年、広告の見出しは「L.U.C時計製造所、L.-U.ショパールの息子」に改まった。頭文字は創業者の死後も工房名として掲げ続けられた。個人の署名として始まった3文字が、工房そのものを指す名へ性格を変えていたことがわかる。
もう一つの印が蜂の巣である。創業から1920年代まで、同社の時計は機械と蓋の内側に、蜂に囲まれた巣の図柄を彫り込んでいたとされる。ブランドの説明では、蜂は勤勉と協働の象徴である。図柄は工房の名とともに、使い手の目に触れにくい製品の内側に刻まれた。
ショパールが残したものを一言でまとめるなら、名を持つ完成時計としての懐中時計である。部品の供給者から完成品の作り手へ移り、その品質を自分の名と頭文字で保証した。この姿勢が、のちの世代が頭文字に立ち返る足場になった。
評価・後世への影響
01頭文字の再生
創業者の名は、1963年に経営が創業家を離れた後も社名として残った。1996年、カール=フリードリッヒ・ショイフレはフルリエにマニュファクチュールを設立した。同社はここで生まれる自社製ムーブメントの系譜に、L.U.Cの名を与えた。最初の自社製キャリバー1.96(現96.01-L)を載せた時計は、1997年のL.U.C 1860である。創業の年と同じ数字が、その名に入っている。
同じ1996年の設立を機に、蜂の巣の図柄も一部のL.U.Cモデルに復活したとされる。薄く正確な懐中時計を求められた創業者の工房と、薄型の自動巻きを出発点としたL.U.Cの機械は、方向の上で重なって見える。
02記念と収蔵
2006年、フルリエのマニュファクチュール10周年に合わせ、館内に時計博物館が開かれた。館名のL.U.CEUMにも、創業者の頭文字が織り込まれている。
創業150周年の2010年には、L.U.C Louis-Ulysse – The Tributeが150本限定で発表された。懐中時計としても腕時計としても使える構造で、創業者への献辞を名に掲げる。この切り替えの仕組みは、ショイフレ家の会社を興したカール・ショイフレ1世が1912年に考案した装置の再解釈とされる。搭載するキャリバーL.U.C EHGは、ジュネーブ時計学校との協力で生まれた手巻きの懐中時計用ムーブメントである。ショパールとショイフレ、二つの家の歴史が一本の時計で結ばれた。
この人物が関わったモデル
出典
本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。
- 01 公式 La Maison Chopard, Our History
- 02 専門メディア 20 years of Excellence expressed with Three initials: L.U.C.
- 03 専門メディア New: Chopard L.U.C XPS 1860 Officer SHH Edition
- 04 専門メディア 10th Anniversary of Chopard Manufacture in Fleurier
- 05 専門メディア A Brief History of Time: Chopard's Watchmaking History — Part One: 1860–1997
- 06 専門メディア Chopard, L.U.C Louis-Ulysse - The Tribute
- 07 専門メディア Chopard, L.U.C XPS Officer
- 08 専門メディア Chopard Artisans of Emotions
- 09 専門メディア A Tribute to Ingenuity