カール・モリッツ・グロスマン
ドイツ時計学校を興し、論文と工具でグラスヒュッテの時計づくりを体系立てた19世紀の時計師(1826-1885)
- BORN
- 1826年
- DIED
- 1885年
- BRAND
- モリッツ・グロスマン — 2008年創業
- MODELS
- 5 本
概要
カール・モリッツ・グロスマン(Carl Moritz Grossmann、1826-1885)は、ドイツの時計師である。ザクセンの都ドレスデンに生まれ、欧州各地で修業したのち、1854年にグラスヒュッテへ移った。工房では工具や計測器、懐中時計、精密振り子時計、クロノメーターを手がけた。1866年には英国時計協会の懸賞論文で1等を得ている。1878年にはドイツ時計学校の開校を主導し、教育課程の骨格を組んだ。フェルディナント・アドルフ・ランゲとともに、グラスヒュッテ時計産業の土台を築いた一人とされる。2008年に再興された時計ブランドは、彼の名を継いでいる。
生涯
01ドレスデンの徒弟時代
カール・モリッツ・グロスマン(Carl Moritz Grossmann)は1826年3月27日、ドレスデンに生まれた。当時のザクセン王国の首都である。父は宮廷郵便局で郵便物の仕分けに就いていた。暮らしは質素だったが、学業の成績が認められ、授業料免除の枠で技術教育施設に2年間通った。この学校は、現在のドレスデン工科大学の前身にあたる。
1842年、グロスマンはドレスデンの時計師のもとで徒弟修業に入った。上達が早く、通常より短い期間で修業を終えたと伝わる。仕事の合間には英語、フランス語、イタリア語を学んだ。同じ頃、11歳年上の時計師フェルディナント・アドルフ・ランゲと親しくなる。この交友が、のちの進路を決めることになる。
02遍歴の年月
修業を終えたグロスマンは、遍歴職人として旅に出た。最初はハンブルク近郊のアルトナで、クロノメーター師モリッツ・クリレ(Moritz Krille)のもとで働いたとされる。続いてミュンヘンの宮廷時計師ヨーゼフ・ビアガンツ(Josef Bierganz)に就いた。さらにスイス時計産業の中心地、ラ・ショー・ド・フォンへ移る。足跡はイギリス、フランス、デンマーク、スウェーデンにも及ぶ。旅はたびたび兵役で中断された。この年月は、技術とともに幅広い語学力を彼にもたらしたとされる。
03グラスヒュッテでの独立
1854年、グロスマンはドレスデンへ戻った。間もなく、すでにグラスヒュッテで工房を営んでいたランゲに誘われ、約30km離れたエルツ山地の町へ移る。この町では、1845年のランゲの創業を起点に時計産業が育ち始めていた。グロスマンは1854年末から翌年初めにかけて、自らの工房を開いた。
工房は当初、工具を手がける機械工房として出発し、やがて時計の製造へと広がった。彼のもとには腕の立つ時計師も集まった。その中には、ルートヴィヒ・シュトラッサー(Ludwig Strasser)がいたとされる。カール・マウクシュ(Carl Maucksch)も同じく名が挙がる。仲間の支えを得て、グロスマンは著述や講演に割く時間を確保した。
工房の外でも、彼は町の公共に深く関わった。長く町議会の中心的な一員を務め、1876年にはザクセン王国議会の議員に選ばれる。任意消防団の創設に加わり、ミューグリッツ谷への鉄道敷設も後押しした。1878年には、自ら構想したドイツ時計学校を開校へ導いている。
04講演の夜の急逝
1885年1月23日、グロスマンはライプツィヒで、世界時の導入をテーマに講演を行った。その直後に脳卒中で倒れ、帰らぬ人となる。彼の死後、工房は清算された。グラスヒュッテに移ってから、およそ30年後のことであった。
業績・代表作
01道具と精密時計
グロスマンの仕事は、時計を作るための道具から始まった。グラスヒュッテで彼は、時計師用の小型旋盤「グラスヒュッテ旋盤(Glashütter Drehstuhl)」を開発した。精密な工具や計測器も数多く手がけている。メートル法の目盛りを備えた彼の計測器は時計製造の現場に定着し、その使い方は学校でも教えられた。
時計では、懐中時計や精密振り子時計のほか、マリンクロノメーターを含むクロノメーターを製作した。設計上の関心は、レバー脱進機と、クロノメーター用デテントの改良に向かう。脱進機の動きを示す模型もつくった。独自の針合わせ機構や、歩度を細かく追い込むマイクロメーターねじも、彼の考案とされる。秒を計るストップウォッチを「クロノスコープ」などと名付け、その一つで特許を得たとも伝わる。
02書くことと訳すこと
グロスマンは、技術を文章に置き換えることのできる時計師であった。1866年、彼はレバー脱進機を論じた『Der freie Ankergang』を英国時計協会の懸賞に出した。結果は1等であった。同協会の懸賞でドイツ人が勝ったのは、これが初めてとされる。英語版の原稿は自ら訳したと伝わる。
フランスの時計学者クラウディウス・ソーニエ(Claudius Saunier)の教本も、彼の手でドイツ語になった。訳に自らの補足を加え、全3巻の『Lehrbuch der Uhrmacherei』としてまとめている。時計師向けの小辞典も編んだ。1877年には、業界向けの年鑑『Deutscher Uhrmacher-Kalender』を創刊したとされる。
生涯の目標として掲げたのは、単純で、しかも機械として完全な時計であった。その考えをそのまま題に据えた著作も残したとされる。
03ドイツ時計学校
業績の中心にあるのが、ドイツ時計学校(Deutsche Uhrmacherschule Glashütte)である。発端は、彼が若い同業者のために終業後に開いていた専門講座だったとされる。グロスマンは学校の構想を練り、教育課程の骨格を組んだ。学校は1878年5月1日に授業を始め、最初の教室は町の学校の2部屋だったとされる。理事会の初代議長を務めながら、彼は自ら数学や語学も教えた。
開校の日の演説で、グロスマンは次の趣旨を語っている。学校が授けうる最良のものは、この技が理論と実践の果てしない領域を抱えるという気づきである。その前では、誰もが一人の徒弟にすぎない、と。
04業績を貫くもの
工具、論文、翻訳、学校。グロスマンの業績は、技を個人の手の内にとどめず、他の職人が使える形に移す点で一貫している。道具は寸法をメートル法で示し、論文は原理を言葉にし、学校はそれを次の世代へ渡した。ドイツ時計博物館グラスヒュッテは、彼の学校が時計づくりを経験だけに頼る職から、根拠を持つ技術の分野へ発展させたと評している。単純で確かな機械という理想は、一本の時計にとどまらず、町の時計づくり全体に向けられていた。
評価・後世への影響
01没後の顕彰
グロスマンの没後、ドイツ時計学校の理事会議長は時計師ユリウス・アスマン(Julius Assmann)が引き継いだとされる。1886年には、ロンドンのドイツ人時計師協会が彼を顕彰する銘板を贈った。公式年表によれば、1903年に彼の小辞典が新たな編者を得て改訂されたという。1928年には、学校の入口に記念銘板が掲げられたとされる。1935年には、消防署前の広場が「モリッツ・グロスマン広場」と名付けられたとされる。没後30年ほどの時期には、町の中心に記念碑を建てる計画も持ち上がった。計画は実現しなかったが、10点の案が残されている。
02学校と名の再生
ドイツ時計学校は名称と課程を改めながら続き、1992年末に工学校として閉じた。2008年、その建物にドイツ時計博物館グラスヒュッテが開館する。同じ建物にはグラスヒュッテ・オリジナルのアルフレート・ヘルヴィッヒ時計学校も入り、今も徒弟が学んでいる。
工房の名も甦った。2008年、時計師クリスティーネ・フッター(Christine Hutter)が新会社を設立する。同社はブランドモリッツ・グロスマンとして、2010年に最初のモデルBenuを発表した。同社は1875年の「M. Grossmann」ロゴを、復刻調のモデルの文字盤に用いてきた。生誕200年の2026年には、同社が記念の限定モデルを相次いで発表した。同年6月には博物館で特別展「Grossmann200」が開幕し、記念碑の案が初めて一般に公開された。
この人物が関わったモデル
出典
本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。
- 01 公式 Grossmann200 – Denkmal für einen Wegbereiter der Glashütter Uhrenindustrie (Pressemitteilung, Juni 2026)
- 02 公式 Informationen zum Gebäude des Deutschen Uhrenmuseum Glashütte
- 03 公式 Special Exhibition Grossmann200 – Monument to a pioneer of the Glashütte Watch industry
- 04 公式 200 Jahre - Grossmann Uhren
- 05 公式 History - Moritz Grossmann
- 06 公式 Moritz Grossmann: Founder of his Glashütte manufacture and of the German School of Watchmaking (Press release, September 2012)
- 07 専門メディア Großmann, Carl Moritz (Neue Deutsche Biographie 7, 1966)
- 08 専門メディア Celebrating the Founder’s 200th Anniversary, Moritz Grossmann Releases the Tefnut 36 Silver-Plated by Friction Turquoise Blue
- 09 専門メディア Carl Moritz Grossmann: Gründungsvater der sächsischen Uhrenindustrie
- 10 専門メディア Die Gründerväter der Glashütter Uhren-Industrie