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腕時計史 · MILESTONE — 第1章 起点とフォーマットの探索
1845

A.ランゲ創業(グラスヒュッテ)

一人の時計師が、衰退した鉱山町に時計産業そのものを根づかせる——ランゲの1845年の創業は、スイスに対抗するドイツ時計の出発点となった。

§ 00 Overview

1845年12月7日、フェルディナント・アドルフ・ランゲはザクセン王国の小さな町グラスヒュッテで時計工房A.ランゲを開いた。ドレスデンで宮廷時計師グトケスに学び、欧州各地で研鑽を積んだ彼は、スイスや英国に後れを取っていたドイツに精密時計の産業を築こうとした。グラスヒュッテは銀鉱の枯れた鉱山町で、住民は職を失い困窮していた。ランゲは州政府から貸付を得て15人の見習いを集め、分業による生産体制を敷いた。やがて弟子たちは独立して部品工房を構え、町は時計産業の集積地へと育っていく。一企業ではなく一つの産業を起こしたこの創業が、ドイツ高級時計の系譜の出発点となった。

§ 01 Background

19世紀前半、精密な懐中時計づくりはスイスと英国が主導していた。ジュネーブやヴァレ・ド・ジューの工房、ロンドンの時計師たちが高級品の供給を担い、ドイツの諸邦は確立した産業を持たなかった。各地に腕の立つ職人はいたが、組織だった生産の体系はなく、優れた時計の多くは輸入に頼っていた。

ザクセン王国の南、ボヘミアと境を接するエルツ山地は、かつて銀鉱で栄えた地である。だが鉱脈は枯れ、19世紀には主要な産業を失っていた。住民は職を求めて流出し、残された村々は深い困窮にあった。新たな生計の手立てが、地域にとって切実な課題だった。

フェルディナント・アドルフ・ランゲは1815年、ドレスデンに生まれた。15歳で宮廷時計師ヨハン・クリスティアン・フリードリヒ・グトケスのもとに弟子入りし、頭角を現した。修業を終えると数年をかけてスイス、英国、フランスを巡り、各地の名工から技術と理論を吸収した。旅の手帳には機構の図や計算が綴られ、後の設計思想の素地となった。ドレスデンに戻った彼は、グトケスの娘と結婚し、宮廷時計師を補佐しながら、ドイツに時計産業を興すという構想を温めていく。

§ 02 The Event

ランゲは1843年、ザクセン政府にあてて一通の建議を送った。エルツ山地の困窮した人々のために、新しい時計産業を興すという計画である。投資の見積もりと収益の見通しまで細かく記したが、返答は一年近く来なかった。1844年5月に改めて送ると事態は動き、1845年5月31日、ランゲと州の契約が正式に結ばれた。

1845年12月7日、ランゲはグラスヒュッテで時計工房『A.ランゲ』(A. Lange & Cie)を開いた。州政府はこの設立に貸付を与え、彼は15人の見習いを集めて時計づくりの基礎から教えた。鉱業に代わる生計を、産業として地域に根づかせる試みである。

ランゲの構想の核は、生産の組織化にあった。一人が一個の時計を初めから終わりまで作るのではなく、工程を分け、各人が特定の部品や作業を受け持つ。スイスのヴァレ・ド・ジューで見た生産方式を範としたとされ、当時のドイツの時計づくりには新しい発想だった。彼は計測にメートル法を持ち込み、歯車の寸法を一つひとつ精密に計算した。工房を出る前にすべての時計を調整して精度を整える方針も、小売の段階で調整するのが普通だった時代には新しかった。

もっとも、立ち上がりは平坦ではなかった。大規模な機械を持たない手仕事の生産で、最初の懐中時計が仕上がったのは1848年とされる。生産は遅く、経営は長く苦しかった。それでもランゲは、見習いが技を身につけると独立を促し、部品を供給する小さな工房を町のあちこちに育てていった。

§ 03 Significance

ランゲの試みは、一つの工房を越えて地域全体を変えた。弟子から独立した職人たちが部品工房を構え、義理の息子ユリウス・アスマン、アドルフ・シュナイダー、モーリッツ・グロスマンといった時計師が相次いでグラスヒュッテに拠点を築く。半世紀のうちに、小さな鉱山町はドイツ精密時計の集積地へと姿を変えた。『グラスヒュッテ』の名はスイスとは別系統の高級時計を指すようになり、2022年には『グラスヒュッテ製』が原産地表示として保護された。

この地が育てた様式も独自だった。後にランゲが確立し、地板のほぼ4分の3を一枚で覆う3/4プレートは、ドイツ銀の地板やグラスヒュッテ縞とともに、ザクセン時計の見分け方として定着する。ランゲの没後、息子たちが事業を継ぎ、社名はやがてA.ランゲ&ゾーネとなった。

だが、この産業の歩みは穏やかではない。第二次大戦末期の空襲と、戦後の接収が、ランゲの名をいったん時計界から消し去る。それでも創業から145年を経た1990年、曾孫ヴァルター・ランゲが名を再登録し、ブランドは蘇る。その断絶と復活の物語は、ドイツ時計の通史が辿る大きな弧であり、すべてはこの1845年の小さな工房から始まった。

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