MT5652
2018年、ブラックベイGMTと共に登場した、チューダー初の自社製フライヤーGMT機構を備える70時間ムーブメント
Cal. MT5652は、2018年にチューダーがブラックベイGMT Ref.79830RBと共に発表した、同社初の自社製GMTキャリバーである。グループ系列のKenissi(キニッシ)が製造を担う。振動数28,800vph (4Hz)、パワーリザーブ70時間、26石、横断バランスブリッジに非磁性シリコン製ヒゲゼンマイを組み合わせる。最大の特長は、現地時刻の時針をリューズ操作で1時間単位に瞬時送りできるフライヤー式GMT機構。COSC認定クロノメーターで、後にブラックベイProやペラゴス FXD GMT向けのMETAS認定派生型へと展開した。
| Maker | Tudor |
|---|---|
| Reference | MT5652 |
| Type | Automatic |
| Display | Analog |
| Frequency | 28,800 bph (4 Hz) |
| Jewels | 26 石 |
| Power reserve | 70 h |
| Movement ⌀ | 31.8 mm |
| Hands | Hours, Minutes, Seconds, Additional 24 Hour Hand (adjustable) |
| Date | Date |
| Additional | Chronometer |
系譜と歴史
1. 自社製路線の延長としてのGMT
2010年、チューダーは独自のムーブメント開発に向けた長期プロジェクトを始動。5年後の2015年バーゼルワールドで初のManufacture Tudorキャリバー「MT5621」を発表し、ノースフラッグに搭載した(同時期にMT5612がペラゴスにも投入された)。長年ETA社製ムーブメントへの依存を続けてきたブランドにとって、これは独自性確立への大きな一歩であった。2016年には専業の製造会社Kenissi(キニッシ)を設立し、ル・ロックルへ工場を構える。
このMT56系の派生展開として、2018年バーゼルワールドで姿を現したのがMT5652である。同年、ロレックスはステンレス製GMT-Master II「ペプシ」を再投入したが世界的な品薄が続いた。市場の渇望に応える形で発表されたのが、ペプシベゼルを纏ったブラックベイGMT Ref.79830RBであり、MT5652はそのために新設計されたGMT機構付きの自社製キャリバーであった。
2. 「フライヤー式」という選択
GMT機構には大きく二系統がある。独立可動の24時間針を持つ「コーラー式(Office GMT)」と、現地時刻の時針が1時間単位でジャンプする「フライヤー式(Traveller's GMT)」である。前者は事務所で他地域の時刻を参照する用途に向き、後者はタイムゾーンをまたぐ旅行者の使用を前提とする。フライヤー式は構造的に複雑なため、長らくロレックスCal.3186/3285ほか限られた高級GMTが採用してきた。
チューダーがMT5652でフライヤー式を選んだ意義は大きい。ETA系の汎用GMTモジュールはコーラー式が主流で、4,000ドル前後の価格帯における「真正GMT」搭載は実質的な空白地帯であった。MT5652はその空白を、Manufacture × COSC認定 × 70時間パワーリザーブという仕様で埋めることになる。
3. 派生とMETAS時代への移行
MT5652は発表後、ブラックベイGMTのカラーリング違いやスチール&ゴールド版Ref.79833MN、2022年発表の固定ベゼル機「ブラックベイPro Ref.79470」など複数機種に展開された。
その後、METAS Master Chronometer認定に対応した派生型「MT5652-U」が登場。15,000ガウスの耐磁性能と日差0/+5秒の精度を保証する一方、パワーリザーブは65時間と短縮された。同型はペラゴス FXD GMT(2024年、フランス海軍仕様)に搭載される。さらにペラゴス FXD GMT Zulu Time派生では、70時間パワーリザーブを維持したMaster Chronometer仕様「MT5652-1U」も投入されている。
2024年には、より小型ケース向けの「MT5450-U」(MT5400系のGMT派生)がブラックベイ58 GMT用として登場。MT54系プラットフォーム上にフライヤーGMT機構を組み込んだもので、MT5652と並ぶチューダーGMTの二大系統となった。
4. 産業構造における位置
MT5652登場以前、フライヤー式GMTを採用したスイス時計は高価格帯が中心であった。Kenissiの量産体制が支えるMT5652は、この機構を3,000ドル台後半の価格帯に組み込む産業的な転換点となったといえる。Kenissiは同時にブライトリング、シャネル、TAGホイヤーなど多数のブランドへ自動巻ムーブメントを供給するが、フライヤーGMT搭載の自社製キャリバーをブランド名義で展開する例は、チューダーが嚆矢である。
技術解説
構造とディメンション
Cal. MT5652は、直径31.80mm、厚さ7.52mmの自動巻きムーブメントである。Manufacture Tudorのうち、最大寸法を持つMT56プラットフォーム(MT5601、MT5602、MT5612と共通)を継承し、GMT機構を追加した派生として設計された。基盤プレートと輪列、テンプ周辺の物理的レイアウトは時刻表示専用のMT56系と共有されており、チューダー自身が「モジュール追加ではなく内部統合方式」と説明する点が特徴である。
振動数と精度
振動数は28,800vph、すなわち4Hzに相当する。1秒あたり8回テンプが振動する仕様で、現代の量産機械式ムーブメントとして最も普及した数値である。これにより秒針の運針は8分割の滑らかさを得る。COSC(スイス公認クロノメーター検定協会)が定める日差-4〜+6秒の範囲内で認定を受けるが、チューダーは完成時計の状態でさらに厳しい-2〜+4秒を社内基準として課している。
テンプとヒゲゼンマイ
調速機構は慣性可変式テンプ(Variable Inertia Balance)を採用する。リム周囲のマイクロアジャスティング・ねじを回して慣性モーメントを微調整する方式で、ロレックスのマイクロステラ・テンプと同系統の発想に基づく。ヒゲゼンマイは非磁性のシリコン製で、磁気の影響を実質的に受けない。これは外部サプライヤー製ながら、設計と組成はチューダーが管理する独自仕様の部品である。
テンプを保持するのは横断バランスブリッジ(Traversing Bridge)である。テンプ受けが片持ちのコック式ではなく、地板の両端に二点固定される構造で、衝撃時のテンプ軸のたわみを抑制する。チューダーが「ロバストネス」と呼ぶ堅牢性思想を体現する設計要素である。
自動巻機構と香箱
ローターは双方向巻上方式を採る。MT5652の70時間パワーリザーブは、単一香箱の容量設計と輪列の効率化により得られた数値で、「ウィークエンドプルーフ」と称される。金曜夜に外し月曜朝に再装着しても再ゼンマイ巻きが不要となる実用設計である。
GMT機構
フライヤー式GMTのリューズ操作系統は次のとおりである。リューズ第1段では、現地時刻の時針が1時間単位でジャンプする。同時に日付ディスクが連動し、ローカル時間が昼夜境界を越えると日付が自動的に進退する。リューズ第2段では、時針・分針・24時間針が連動して動く。秒針はストップ機能(ハッキング)を備え、停止状態で正確な時刻合わせが可能となる。
運用上は、居住地時刻を24時間針で固定し、移動先では時針のみを現地時刻に合わせるという手順が想定される。秒・分のリズムが保たれるため、精度を維持したままタイムゾーンを移動できる。
仕上げ
仕上げは装飾性よりも視認性と耐久性を重視した「インダストリアル」志向である。輪列受けと地板にはサンドブラスト処理とサテン仕上げが施され、ローターにはチューダーのレーザー刻印が見られる。ジュネーブシールに代表される華麗な装飾は施されていないが、これは堅牢な実用性能を優先するロレックス系列のムーブメント哲学を継承するものといえる。
認定と派生
標準MT5652はCOSC認定のみだが、派生型のMT5652-UおよびMT5652-1UはMETAS Master Chronometerにも認定される。METAS認定下では、組み立て完了後の時計状態で15,000ガウスの磁場に晒した後でも日差0〜+5秒以内の精度を維持することが求められる。-U派生型では仕上げにも変更が加えられ、タングステン製のオープンワーク・モノブロックローターと放射状レーザー溝による独自のサンレイ装飾が採用されている。