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腕時計史 · MILESTONE — 第7章 現代
2001

ユリス・ナルダン フリーク(シリコン脱進機)

ムーブメントそのものが回転して時刻を示し、脱進機にシリコンを用いる——2001年のフリークは、機械式時計の素材選びを変える転機となった。

§ 00 Overview

2001年、ユリス・ナルダンはフリークを発表した。文字盤も針もリューズも持たず、歯車列と脱進機を組み込んだムーブメント自体が1時間で一回転し、その針状の橋が分を示す。下に置かれたケース大の香箱が時を表し、時刻合わせはベゼルで行う。調速にはブレゲの自然脱進機に着想を得たデュアル・ダイレクト脱進機を採り、2枚の脱進車が生む慣性に対処するため、その車をシリコンで作った。市販時計のムーブメントにシリコン部品を用いた最初の例とされ、以後シリコンは耐磁・無潤滑の利点から業界へ広がっていく。

§ 01 Background

2000年前後の高級時計界は、機構の根幹を大きく変えずに伝統を磨く方向にあった。ムーブメントの基本構成は18世紀後半にルピーヌが整えた形から大きく動かず、地板の上に香箱と歯車列を載せ、ブリッジで押さえるという骨格が長く踏襲されていた。

とりわけ脱進機の刷新は、挑む者の少ない難所だった。新しい脱進機を量産にのせる試みは大きな賭けで、オメガがダニエルズのコーアクシャルを実用化したのが1999年(#108)という事実が、その困難さを物語っていた。

ユリス・ナルダンは1846年創業の海洋クロノメーター製造で知られた会社だったが、1980年代にロルフ・シュナイダーとルートヴィヒ・エクスリンが組み、天文表示などで再生を遂げていた(#105)。その工房に、若い時計師カロル・フォレスティエの構想が持ち込まれる。テンプを回転籠に収めるのではなく、ムーブメント全体を中心軸の周りで回し、その外周を香箱が囲むという中央カルーセルの案である。ただし回転には大きな動力が要り、当初の試作は10時間ほどしか動かず、そのままでは時計にならなかった。

§ 02 The Event

フリークは2001年、バーゼルの見本市で姿を現した。文字盤がなく、針もなく、リューズもない。時刻を合わせるのは外周のベゼルを回す操作で、巻き上げは裏側のベゼルが担う。

構造はこうである。香箱をムーブメントの下に移し、ケースいっぱいの太鼓のように仕立てた。これにより駆動時間は7日へと伸びた。その上で歯車列と脱進機の一式が、中心軸を支点に1時間で一回転する。回転する上側のブリッジの先端が分針の役を果たし、下の香箱は12時間で一回転して時針を兼ねる。中心軸はサファイアクリスタルに軸受を持ち、機構の動きが外から透けて見える。エクスリンはフォレスティエの案を引き取り、動力不足を香箱の配置換えで解いた。

調速機には、新たに考えたデュアル・ダイレクト脱進機を据えた。ブレゲが構想した自然脱進機に着想を得た方式で、2枚の脱進車が交互に働き、アンクルを介さず直接テンプへ力を伝える。部品同士の摩擦が小さく、注油を要しない点が利点だった。一方で脱進車が2枚になるぶん慣性が増し、そのままでは振りが重くなる難点があった。

この慣性を抑える鍵が素材だった。開発陣は軽くて精密な材料を探し、ピエール・ギガックスがシリコンを提案する。クォーツ危機で機械式を脅かした半導体の素材が、ピンの頭ほどの小さな脱進車として用いられた。市販時計のムーブメントにシリコン部品を採った最初の例とされる。最初のフリークのケースはホワイトゴールドだった。

§ 03 Significance

フリークが残したものは、まずシリコンという素材を機械式時計に開いた点にある。シリコンは軽く、磁気の影響を受けず、摩耗が少なく注油もほぼ要らない。温度変化にも安定し、調速部品の材料として多くの長所を備えていた。当初は脱進車だけの採用だったが、用途はやがてヒゲゼンマイやテンプへと広がる。シリコン部品は金属の切削ではなく、半導体に近いエッチングで成形される。これは時計づくりに新たな生産技術を持ち込むことでもあった。

ユリス・ナルダン自身、2001年秋にCSEMから技術提供の打診を受け、シリコン製ヒゲゼンマイの開発へ進んだ。その後シリコンは各社に普及し、非磁性や無潤滑の利点を生かした部品が増えていく(#113)。素材を機能と高級化の両輪で捉える流れの一つの起点であり、素材の系譜(T1)に連なる。

もっとも、先駆ゆえの代償もあった。初期のデュアル・ダイレクト脱進機は安定性に課題があり、後の点検時により確実な型へ載せ替えられた個体も多いと伝えられる。それでも、ムーブメントが回って時を刻むという見せ方は、機構を鑑賞の対象に変える発想として後続に影響を与えた。リシャール・ミルが創業した2001年(#111)は、素材と構造で常識を問い直す動きが重なった年でもあった。

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