航空時計の系譜
空を渡る者は、時刻のほかに位置と時差を腕で知ろうとした。航空時計の歩みは、計時を航法の道具へと変える試みの連なりである。
要旨
Summary航空時計は、海の航法が抱えた問題を空へ持ち込むかたちで育った。高速で移動する操縦士には、正確な時刻を読み、現在位置を割り出し、複数の時間帯を把握する手段が要った。1920年代から30年代にかけて、ウィームスの秒設定機構やリンドバーグの時角計が、無線時報との同期と経度計算を腕時計で可能にした。第二次大戦期には視認性の高い観測時計が整い、戦後のIWCマーク11が耐磁の実用機を確立する。ブライトリングは計算尺をベゼルに載せ、ナビタイマーで機上計算を担わせた。ジェット時代のGMTマスターは第2時間帯を示し、ワールドタイムは全時間帯を一望させた。
解説
Overview航空は、海の航法が数世紀かけて解いた問題を、より速い乗り物の上で問い直した。船乗りにとっての経度問題には、ハリソンの海洋クロノメーターが精密な計時で答えを与えていた。空でも事情は同じで、正確な時刻なしには天測による位置決定が成り立たない。ただし航空機は速度が桁違いで、わずかな時刻の狂いが大きな位置の誤差につながる。操縦士に求められたのは二つだった。暗い操縦席で時刻を確実に読むこと、そして時刻から現在位置と時差を割り出すことである。男性用の実用腕時計の出発点に置かれるカルティエ サントスは、飛行家のために操縦中でも見やすい時計として構想された。航空時計の歴史は、この二つの要求に応えてきた歩みである。
1920年代、大洋を空路で渡る試みは危険を伴い、1927年だけでも横断に挑んだ十数名が落命したと伝わる。その多くは航法の不確かさによる。天測には、グリニッジ標準時を秒の単位で知ることが要る。アメリカ海軍の航法教官フィリップ・ヴァン・ホーン・ウィームスは、この要請に応える時計を構想した。ロンジンが1929年から手がけた秒設定時計は、中央の回転円板を無線の時報に合わせることで、針を止めずに秒まで同期できた。この一連の時計は、回転ベゼルを備えた最初期の腕時計ともされる。ウィームスに学んだリンドバーグは、自らの大西洋横断の経験から、経度計算を助ける時計を考案した。1931年のロンジン時角計は、針が示す時刻と回転ベゼルから、グリニッジ時角を読み取って経度を求める器具だった。1時間は経度15度に当たり、時刻の差がそのまま位置の差として読み取れた。航空黄金期の航法計算は、これらの時計に多くを負っている。
もう一つの系譜は、計算ではなく視認性と堅牢性にある。第二次大戦期、ドイツ空軍は航法士のための観測時計を規格化した。これはベオバハトゥングスウーア、略してB-ウーアと呼ばれた。直径55ミリの大型ケースに黒文字盤と大きな夜光数字を備え、手袋の上から扱える大型リューズを持つ。航法士は天測の器具と併用して機の位置を割り出した。製造したのはランゲやストーヴァなど独の4社と、唯一のスイス勢IWCである。戦後の1948年、IWCは英空軍向けにマーク11を供給した。軟鉄の内ケースで磁気から機構を守る構造は、耐磁時計の系譜にも連なる。英空軍はこの時計を数十年にわたり用い、その簡潔な文字盤は後のパイロットウォッチに受け継がれた。
計算尺を腕時計に載せる試みも、航空時計を特徴づける。ブライトリングは1942年のクロノマットで、回転ベゼルに対数計算尺を組み込んだ。当初は科学者や技術者に向けた道具だった。1952年、操縦士団体AOPAの求めに応じて生まれたナビタイマーは、この計算尺を航空用に作り替えた。速度や距離、燃料消費、上昇率、マイルとキロの換算など、機上で要る計算を、クロノグラフと組み合わせて手元で行えた。電卓の普及前、操縦士にとって計算尺は実務の道具であり、ナビタイマーは腕に載る計算機として受け入れられた。
空が世界を縮めるにつれ、複数の時間帯を扱う必要が生じた。時間帯という枠組み自体は、1884年に定められた国際的な標準時に由来する。これにどう応えるか、答えは二つあった。一つはワールドタイムである。ジュネーブの時計師ルイ・コティエは1930年代初頭に機構をまとめ、回転する24時間環と都市名の表示で、全時間帯を一望させた。パテック フィリップは1937年にこれを腕時計化する。ただし大量の空路移動が始まる前で、当初は実用より旅情を誘う性格が強かった。もう一つはGMTである。ジェット旅客機の登場、とりわけ1952年のデ・ハビランド コメットが、時差を日常の問題へと変えた。パンナムの求めに応じてロレックスは1954年にGMTマスターを発表した。24時間針と回転ベゼルで、本国時刻と現地時刻を同時に示す。全時間帯を見せるワールドタイムと、二つの時刻を素早く読むGMTは、多時間帯への異なる答えだった。
現代では、GPSや慣性航法、電子計器が航法の役割を担い、腕時計の航法機能はほぼ過去のものとなった。それでも航空時計は意匠と文化として残る。回転ベゼル、計算尺、GMT針、視認性を突き詰めた文字盤は、いまも多くのパイロットウォッチに受け継がれている。かつて命を託した道具は、技術の証しと飛行への憧れを宿す対象へと姿を変えた。