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腕時計史 · MILESTONE — 第2章 腕時計の誕生
1904頃

カルティエ サントス

操縦の手を止めずに時刻を読む——航空という実需が、腕時計を女性の装身具から男性の道具へと変えていった。

§ 00 Overview

1904年頃、宝飾商ルイ・カルティエは飛行家アルベルト・サントス=デュモンのために、腕に着ける角型の時計を考案したとされる。当時、腕時計は女性の装身具とみなされ、男性は懐中時計を用いるのが通例だった。だが飛行船や飛行機の操縦中に懐中時計を取り出すのは難しい。サントスはこの不便を友人カルティエに訴え、カルティエは手首で時刻を読める時計で応えた。露出したビスとローマ数字を備える角型ケースは、装身具とは異なる実用の道具だった。1911年に市販され、男性が腕時計を受け入れる転換点となる。後のタンクへ続くカルティエの意匠の出発点でもある。

§ 01 Background

20世紀初頭、腕に時計を巻くのは女性の習慣だった。男性は鎖でつないだ懐中時計をポケットに収め、腕時計は装身具とみなされていた。女性向けには腕に巻く小型の時計が早くから作られ、ブレスレット型の装身具として扱われていたが、男性の世界では懐中時計が揺るがぬ標準だった。男性が腕に時計を着けるのを軟弱と見る空気すらあったと伝わる。

この通念に揺さぶりをかけたのが、当時パリで名を馳せた飛行家アルベルト・サントス=デュモンだった。ブラジル生まれで、工学を学ぶためフランスへ渡り、飛行船の操縦で社交界の寵児となった人物である。後に重航空機へ転じ、1906年には自作機14-bisでヨーロッパ初期の動力飛行を遂げている。

サントス=デュモンとルイ・カルティエは親しい友人だった。操縦の最中に懐中時計を取り出して時刻を確かめる動作は、空の上ではわずらわしく、危うくもある。この不便を、彼は宝飾商の友に打ち明けたと伝えられる。

§ 02 The Event

1904年頃、カルティエは友の求めに応える時計を仕立てたとされる。腕に革のストラップで固定し、手首をひねるだけで文字盤を読める。懐中時計のように取り出す手間がいらない。ケースは丸ではなく角型で、平らな底面が手首になじむよう設計されていた。ベゼルにはビスの頭をあえて露出させ、ローマ数字を配し、リューズの先にはサファイアのカボションを据える。ケースからストラップへ向かう取付部はなめらかな曲線を描き、文字盤の四隅にはわずかな丸みがあった。機械を覆い隠す装身具とは異なる、機能を装いに変える発想がそこにあった。

サントス=デュモンはこの時計を腕に巻いて飛んだ。1906年に14-bisで重ねた飛行は公衆の前で目撃され、フィルムにも記録されている。腕の時計も人目に触れ、パリの社交界に伝わっていった。ただし最初の一本そのものは現存せず、その姿は記録と証言からたどるほかない。考案の年も1904年とする説が主流だが、1906年に置く資料もあり、厳密な特定は難しい。

一般への販売はしばらく後のことだった。記録の上では、カルティエがこの形を商品にしたのは1911年とされる。初期のサントスはプラチナやイエローゴールドで作られ、パリの店頭で複数の仕様にわたって売り出された。ケースは縦35ミリ・横25ミリほどの小ぶりな寸法で、ムーブメントはジャガー系の供給とされる。市販まで七年ほど、この時計を腕にしたのは事実上サントス=デュモンただ一人だった。

§ 03 Significance

サントスがもたらしたのは、まず形の言語だった。丸い懐中時計が当然だった時代に、角型のケースとビスを見せる意匠を打ち出した。この直線的で幾何学的な造形は、後に広がるアールデコの感性を先取りするものだった。カルティエはこの方向を推し進め、樽型のトノー、矩形のタンクへと、丸を離れたフォルムの探求を続けていく。1906年のトノー、1917年に着想されたタンク——サントスはその系譜の出発点に置かれる。

意匠の革新は、腕時計そのものの位置づけも動かした。男性にとって時計は隠して持つ道具だったが、サントスは腕の上で見せるものへと反転させた。装身具から実用品へという転換は第一次大戦の塹壕時計が決定づけるが、その十年前に、空という新しい現場が同じ方向を指していた。

航空時計の系譜という観点では、サントスはしばしばその遠い起点に数えられる。操縦しながら時刻を読むという要求から生まれた点で、後のパイロットウォッチに連なる発想を宿していた。露出したビスや角型ケースは現行のサントスにも受け継がれ、その造形は一世紀を越えて保たれている。発明の系譜にブレゲを持つフランスの時計史に、カルティエは意匠という別の貢献を書き加えた。

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