ブライトリング ナビタイマー
飛行中の計算を、腕の上で。1952年にブライトリングが送り出したナビタイマーは、時計に計算尺を載せた航空の道具だった。
概要
Overview1952年、ブライトリングは回転ベゼルに対数計算尺を組み込んだクロノグラフ、ナビタイマーを世に出した。名はnavigationとtimerを合わせた造語である。パイロットは飛行中に、燃料消費や平均速度、上昇・降下率、距離やマイルとキロの換算など多くの計算を強いられた。電子計算機がまだない時代、それを担ったのが計算尺だった。ブライトリングは1940年代のクロノマットで培った計算尺ベゼルを航空用に改め、米国の操縦士協会AOPAと結び付けて腕に載る計算機として仕立てた。コックピットの実需に応えたこの道具は、後にパイロットウォッチの代表的存在となる。
背景
Background1950年代初頭、民間と軍用の双方で航空は急速に裾野を広げていた。操縦士の数は増え、長距離の飛行計画を自ら立てる場面も日常になっていく。飛行には絶えず計算がついて回る。対地速度、飛行距離、燃料の残量と消費、上昇や降下にかかる時間、マイルとキロや海里の換算——どれも安全に直結する数値だった。
当時、こうした計算を支えたのは電子機器ではなく対数計算尺である。板状や円盤状の計算尺を操って数値を読み取るのだが、狭い操縦席で別の道具を取り出すのは煩わしい。計算に気を取られれば操縦がおろそかになりかねない。腕の上で完結する手段が求められていた。
ブライトリングは早くから航空との縁が深かった。1940年代のクロノマットでは、対数計算尺を回転ベゼルに載せる発想を腕時計で実証している。ただしその計算尺は技術者向けの汎用的なもので、飛行に最適化されてはいなかった。3代目のウィリー・ブライトリングは、これを航空専用に磨き直す余地を見ていた。
出来事
The Event1952年、ウィリー・ブライトリングは米国最大の操縦士団体AOPA(航空機所有者・操縦士協会)と結び付き、その会員のための新しいクロノグラフを手がけた。これがナビタイマーである。協会は、飛行中にどの計算が要るかについて助言したと伝わる。
中心となったのは、1940年代のクロノマットに由来する計算尺だった。その対数目盛りを航空計算向けに組み直し、回転ベゼルに移している。ベゼルの外周には小さな珠が並び、指で回す操作をしやすくしてある。この計算尺で、平均速度や距離、燃料消費、上昇・降下率、各種の単位換算など約20種の計算と変換が、ほかの道具なしに行えた。文字盤上の目盛りとベゼルを噛み合わせる、腕に載る計算機である。
ケースは直径41mmと、当時の腕時計としては異例に大きい。視認性を最優先した設計だった。黒い文字盤に大ぶりのアラビア数字を置き、ラジウムの夜光で暗い操縦席でも読み取れるようにしている。計時はクロノグラフで、30分・12時間の積算計とスモールセコンドの3つの小文字盤を備えた。搭載機はコラムホイール式の手巻きクロノグラフ、ヴィーナス178が中心で、一部にヴァルジュー72も使われたと伝わる。
初期の個体はAOPA会員向けに作られ、文字盤にブライトリングの社名はなく、協会の翼を象ったロゴが置かれた。一般市場への販売はその後で、社名と翼のロゴを載せて売り出されている。この最初期のモデルに後年あてがわれたのが、型番806である。
意義
Significanceナビタイマーが示したのは、計算という働きまで腕時計に持たせた点である。計時に徹してきた腕時計が、航法の実務を担う道具になった。計算尺は17世紀以来の古い技術だが、それを飛行の現場で使える形に収めた点に新しさがあった。
もっとも、計算尺の実用上の役割は永くは続かない。携帯型の電子計算機が広まるまで、複雑な計算は長く計算尺の役目だった。1970年代にそれが普及すると、ベゼルでの計算は実務の主役を離れていく。それでも計算尺の目盛りはナビタイマーの文字盤から消えなかった。機能の名残が、そのまま意匠の核として残ったのである。
意匠の面では、目盛りで埋まった文字盤と大ぶりのケースが、パイロットウォッチの一つの型をつくった。視認性を優先した構えは、後続の航空時計にも受け継がれている。ナビタイマー自身も、24時間表示を備え宇宙へ持ち込まれたコスモノートなどへ枝分かれし、現在まで作り続けられている。
航空時計の流れに置けば、ウィームスやリンドバーグの航法時計が示した操縦士の実需を、計算尺という形で受け止めた一点にあたる。その関心はやがて、ジェット時代の多時間帯表示へと移っていく。懐中時計で磨かれたクロノグラフを、用途を絞って腕へ展開した例でもある。