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腕時計史 · MILESTONE — 第1章 起点とフォーマットの探索
1832

ロンジン創業

分業に頼った谷の時計づくりを、一つ屋根の下へ——ロンジンの歩みは、量産と精度を両立させる近代化の縮図である。

§ 00 Overview

1832年、オーギュスト・アガシはスイス・ジュラ山中の町サン・ティミエで時計の商いに加わった。これがロンジンの起点とされる。当時の谷の時計づくりは、職人が自宅で部品を作り、商会がそれを集めて組み立て売る、エタブリサージュの分業に支えられていた。アガシは早くから国外へ販路を広げ、商会を育てた。甥のエルネスト・フランシヨンは、分散した工程を一つ屋根の下へ集める構想を抱き、1866年にスーズ川右岸の土地を取得、翌年そこに工場を開く。その場所が地元の方言で「長い草地」を意味するレ・ロンジンと呼ばれ、ブランド名の由来となった。工場制による生産は、量と精度の両立というロンジンの性格を方向づけた。

§ 01 Background

18世紀から19世紀にかけて、スイス・ジュラ山脈の谷あいでは、時計部品を作る家内工業が根づいていた。職人は自宅の仕事場で歯車やテンプ、針といった部品を仕上げ、商会へ納める。商会はそれらを集め、組み立て、仕上げて売った。この分業体制はエタブリサージュと呼ばれ、ジュラの時計づくりの土台だった。一つの時計は、専門を分け持つ多くの手を渡って仕上がった。

こうした家内工業が育った背景には、土地柄があった。山あいの谷は冬が長く、農作業の止まる季節も長い。農家はその間の収入を、細かな手仕事である時計部品づくりに求めた。サン・ティミエも、そうした谷の小さな町の一つである。

もっとも、この仕組みには弱点もあった。部品が多くの家で別々に作られるため、寸法や質にばらつきが出やすい。組み立てる側は調整に手間をかけねばならず、数を増やすほど均質さの確保は難しくなる。量と精度をどう両立させるか。分業に頼る時計づくりは、こうした構造的な課題を抱えていた。

§ 02 The Event

1832年、オーギュスト・アガシ(1809-1877)は、サン・ティミエの時計商に身を投じた。既存のコントワールに加わったとも、自ら商会を興したとも伝えられ、創業時の商号や役割には諸説が残る。アガシは生物学者ルイ・アガシの兄弟にあたる人物だった。商会はエタブリサージュ方式で動き、職人が自宅で作った部品をアガシが仕上げ、組み立て、各地へ売った。

この商会は早くから国外に目を向けていた。時計商に入る前に銀行で働いたアガシは、金融の知識と取引の人脈を備えており、それが販路の拡大を助けた。販路はヨーロッパにとどまらず、アメリカにまで広がった。共同経営者の引退などを経て、やがてアガシは商会を単独で率いるようになる。

1850年代、アガシの甥エルネスト・フランシヨン(1834年生)がサン・ティミエに加わった。フランシヨンは経営を継ぐと、分散していた生産のあり方を見直す。部品作りから組み立て、仕上げまで、ばらばらに行われていた工程を一つの場所へ集めれば、質を保ちつつ効率を高められると考えた。

1866年、フランシヨンはスーズ川右岸に隣り合う二区画の土地を取得した。その一帯は、地元の方言で「長い草地」を意味するレ・ロンジンと呼ばれていた。翌1867年、彼はそこに工場を開き、時計製造の各工程を初めて一つ屋根の下へまとめた。同じ年、商会は鍵を使わずリューズで巻き上げ時刻を合わせる新型の時計を世に出している。フランシヨンは、この地名にちなんで製品とブランドを「ロンジン」と名づけた。

§ 03 Significance

工場制への移行は、ロンジンの性格を決めた。工程を一つの場所へ集め、機械の助けを借りる生産は、部品のばらつきを抑えつつ数をまとめて作ることを可能にした。この集約は、自社でムーブメントを設計し作る体制への道も開いた。量と精度の両立という谷の古い課題に、工場という形で応えた点に、この歩みの意味がある。安定した品質と量は、創業期から築いてきた国外の販路を支え、輸出を軸とする商いの基盤となった。

フランシヨンは生産の刷新と並んで、ブランドの形も整えた。翼ある砂時計のロゴを掲げ、1889年に名称と図案を商標として登録する。これは現在も変わらず使われる登録商標としては世界最古とされる。作り手が名と印によって製品を保証する、近代的なブランドの早い実例である。

精度の面でも、ロンジンは早くから実績を残した。1878年には競技計時用のクロノグラフを手がけ、後には5分の1秒の計測にも対応し、天文台コンクールやスポーツの現場で評価を重ねていく。こうして築かれた量産と精密計時の土台は、後の航空時計——ウィームスの秒設定機構やリンドバーグの時角計——を支える素地となった。スイス時計産業の通史の中で、ロンジンは家内工業から工場制への移行を体現した一社として位置づけられる。

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