IWC マーク11
コックピットに増える磁気から機械式をどう守るか。IWCの答えは、軟鉄の籠でムーブメントを包む古い手法にあった。
概要
Overview1948年、英国空軍は航法に用いる高精度な腕時計をIWCに求めた。航空機のコックピットには電子機器が増え、その磁場が機械式ムーブメントの精度を乱す問題が深刻になっていた。IWCは、文字盤や受け、裏蓋を軟鉄で作り、ムーブメント全体を磁気から遮蔽するファラデーケージで応えた。中身は手巻きの口径89で、ハック機能と中央秒針を備える。完成したマーク11は、保管参照番号6B/346の航法用腕時計として、1949年11月から空軍へ支給が始まったとされる。高い精度と耐磁性を両立したこの一本は、軍用航法時計の標準となった。
背景
Background第二次世界大戦は航空機の電子化を一気に押し進めた。無線機やレーダー、各種計器がコックピットに詰め込まれ、それらが生む磁場が、近くに置かれた機械式時計の精度を狂わせた。テンプやヒゲゼンマイが磁気を帯びると、進みや遅れが大きくなる。戦後の高速・高々度を飛ぶ機体では、この影響はいっそう無視できなくなっていた。
空を飛ぶ航法士には、正確な時刻が欠かせなかった。気泡六分儀で天体を観測し、その時刻から機体の緯度と経度を割り出す天測航法は、海上で船乗りが用いてきた手法を空へ持ち込んだものである。秒の狂いが位置の誤差に直結するため、腕時計には高い精度と、それを乱さない耐磁性が同時に求められた。
もっとも、当時手に入る耐磁合金は摩耗に弱く、温度変化にも影響されやすかった。素材だけで磁気を防ぐのは難しい。英国軍は装備品を『マーク』に番号を添えて呼ぶ習わしを持ち、腕時計もその対象だった。大戦を通じてスイスの時計メーカーと取引を重ねてきた英空軍は、航法士のための一本に厳しい仕様を課そうとしていた。
出来事
The Event1948年、英空軍の発注を受けてIWCは航法士向けの新型に取りかかった。仕様の中心は耐磁性である。素材の合金には頼れないと見たIWCは、20世紀初頭から知られる軟鉄の遮蔽に解を求めた。ムーブメント全体を軟鉄の籠で囲う手法である。
厚さ約1mmの軟鉄板の文字盤、同じ素材の受けリング、内側の裏蓋。これらが組み合わさり、磁力線をムーブメントの周囲へ逃がすファラデーケージを形づくった。文字盤までが鉄製のため、ふつうの時計より分厚い。風防はケース内側からねじ込んで固定され、機内が急減圧しても飛ばされない工夫が施された。針と数字には夜光が塗られ、夜間でも読み取れた。マーク11は、はじめから耐磁を目的に設計された腕時計の先駆とする評価もある。
中身は手巻きの口径89。アルバート・ペラトンが手がけたこの機械は、クロノメーター級の精度を持ち、中央秒針とハック機能(秒針停止)を備えた。テンプは毎時18,000振動、ブレゲひげぜんまいを用いる。ケースは直径36mmのステンレス製で、裏蓋はねじ込み式。文字盤と裏蓋には英軍所有を示す矢印(ブロードアロー)が刻まれた。保管参照番号は6B/346、『航法用腕時計マーク11』と呼ばれた。
製造はIWCとジャガー・ルクルトの2社が担った。支給前には、グリニッジ王立天文台の精度検査場で5姿勢・各温度にわたる2週間の調整と試験を経た。最初の時計が空軍に渡ったのは1949年11月とされる。なお、ジャガー・ルクルト製は耐震機構を欠いた初期口径89の弱点から1953年ごろに姿を消し、以後はIWCが供給の中心となった。
意義
Significanceマーク11の意義は、まず耐磁の手法を一つの定型にした点にある。軟鉄の籠でムーブメントを丸ごと囲う発想は、1954年のIWCインヂュニアに受け継がれ、技術者向けの民生機へ広がった。同じ頃、ロレックスもミルガウスで耐磁を追い、磁気環境への対応は腕時計の一つの主題として根づいていく。ただし鉄の遮蔽は確実な反面、文字盤や裏蓋が厚く重くなる代償をともなった。やがて耐磁の軸が非磁性の素材へ移っていくのは、この重さを避ける道でもあった。
設計の堅実さは、使われ続けた年月が物語る。英空軍はマーク11を30年以上にわたって採用し、1950年代にかけて複数回に分けて追加調達した。退役は1980年代初頭に及んだとされる。オーストラリアやニュージーランド、南アフリカなど英連邦各国の空軍でも用いられた。
航法時計としての役割は、時代とともに移り変わった。気泡六分儀を用いた天測航法は、無線航法やレーダー、やがてGPSの普及で表舞台から退いていく。それでもマーク11が残した、黒文字盤に白いアラビア数字という飾らない様式は、その後のパイロットウォッチの基準となった。道具として生まれた一本が、ジャンルそのものの顔をかたちづくった。