3861
2019年、ムーンウォッチに初めてコーアクシャルを宿した、Master Chronometer認定の手巻クロノ
Cal. 3861は、2019年にOmegaが発表した手巻クロノグラフ・ムーブメントである。1968年のCal. 861、1996年のCal. 1861と続いた、Lemania 1873系のスピードマスター用キャリバーの系譜を引き継ぎつつ、コーアクシャル脱進機、シリコン製ヒゲゼンマイ、フリースプラング・テンプ、ハック秒機能を新たに取り入れた。振動数は21,600vph(3Hz)、パワーリザーブ50時間、26石。COSCとMETASの二段認定によるMaster Chronometer仕様で、15,000ガウスの耐磁性能と日差0/+5秒の精度を保証する。現行ムーンウォッチ・プロフェッショナルを駆動する。
| Maker | Omega |
|---|---|
| Reference | 3861 |
| Type | Handwound |
| Display | Analog |
| Frequency | 21,600 bph (3 Hz) |
| Jewels | 26 石 |
| Power reserve | 50 h |
| Movement ⌀ | 27 mm |
| Hands | Small Seconds, Hours, Minutes |
| Chronograph | Chronograph |
| Additional | Chronometer |
系譜と歴史
1. Lemania 1873からの系譜
Cal. 3861の血統は、1932年にOmega、Tissot、Lemaniaが結成した産業連合SSIHに遡る。Lemaniaは1884年、レマン湖畔でAlfred Lugrinが創業したクロノグラフ専業メーカーで、SSIHの枠組みのもと、Omegaへのクロノグラフ・キャリバー供給を半世紀以上にわたって担った。
スピードマスター初代を支えたCal. 321(Lemania 2310/2320系)はコラムホイール式の精緻な機構で知られたが、Omegaは1968年、量産性と整備性を優先し、カムスイッチ式のLemania 1873をベースとするCal. 861へと移行した。振動数は18,000vphから21,600vphへ引き上げられ、製造コストは大幅に圧縮された。本機はアポロ計画後半からスペースシャトル時代まで、NASAのミッションで最も多く軌道上を飛んだクロノグラフ・キャリバーとなる。1996年にはロジウム仕上げのCal. 1861に発展し、以後20年以上ムーンウォッチの心臓部を務めた。
2. 4年の開発期間、Master Chronometerへの到達
Cal. 3861は、約4年の開発期間を経て、アポロ11号月面着陸50周年を記念する2019年の限定モデルで初搭載された。Omegaが2015年にMETASと共同で確立した「Master Chronometer」認定の枠組みを、Lemania由来の伝統的アーキテクチャに持ち込むことが、この世代交代の主眼であった。
最大の変更は、英国時計師George Daniels(1926-2011)が1974年に考案したコーアクシャル脱進機の搭載である。Omegaは1999年のDe Ville Cal. 2500で同脱進機を初めて量産化したが、ムーンウォッチ・プロフェッショナル系列に採用されたのは本機が初である。これに加え、シリコン製ヒゲゼンマイ「Si14」、フリースプラング型テンプ、ハック秒機構、慣性可変ねじによる調整方式が組み込まれた。
外形寸法は前世代と同じ27mm/厚さ6.87mmが維持され、ケース内装の互換性が保たれている。半世紀以上連続生産されてきたモデル系列を更新するにあたっての、編集的にも興味深い設計判断である。
3. 別ラインでの「Cal. 321」復刻
興味深いことに、Omegaは3861発表と同時期に、コラムホイール式の初代Cal. 321を別途復刻している。これは1960年代までの初代スピードマスターを支えた本来のCal. 321を、当時の設計図面と内部断層撮影をもとに再構築した別キャリバーで、3861と並列する「歴史を二方向に伸ばす」プロジェクトとして位置づけられる。
4. 業界における立ち位置
汎用クロノグラフ・ムーブメントの世界では、ETA 7750系統の自動巻が事実上の標準として通用してきた。Cal. 3861はこの主流とは異なる選択を示している。手巻、カムスイッチ、水平クラッチ、3Hzという仕様は、自動巻・コラムホイール・高振動数を志向する近年のスポーツクロノグラフのトレンドからすれば保守的にも映る。しかしOmegaは、伝統的なアーキテクチャの上に最新の脱進機・素材・認証を重ねる、世代継承の手法を選んだ。Lemania 1873系の輪列とカム機構が60年近くを経てMaster Chronometer規格に到達した事実は、産業遺産が現代規格へ接続される稀有な事例として記録に値する。
技術解説
アーキテクチャと寸法
Cal. 3861は手巻クロノグラフであり、外径27mm(12リーニュ)、厚さ6.87mmを採る。これはLemania 1873・Cal. 861・Cal. 1861と継承されてきた寸法で、ケース・文字盤設計との互換性が保たれている。クロノグラフ機構はカムスイッチ式、クラッチは水平方式(ホリゾンタルクラッチ)を維持する。3時位置に30分積算計、6時位置に12時間積算計、9時位置にスモールセコンドを配する伝統的なトリコンパックス・レイアウトを踏襲。石数は26石、構成部品は約240点とされる。
振動数とテンプ
振動数は21,600vph(3Hz)で、これも1968年のCal. 861から変わらない。1秒を6分割するこの周期は、近年の4Hz以上に比べれば抑制的だが、コーアクシャル脱進機の作動条件として最適化された数値とされる。テンプはGlucydur(グリュシデュール)製のフリースプラング型(緩急針なし)を採用。慣性はテンプ・リム上の4本のマイクロ調整ねじによって変更する方式で、長期的な周期安定性に寄与するとされる。耐衝撃機構にはNivachocが用いられている。
コーアクシャル脱進機
本機最大の機構的革新は、コーアクシャル脱進機(Co-Axial Escapement)の搭載である。これは英国時計師George Danielsが1974年に発明し、1980年に英国特許を取得した脱進機で、スイス・レバー脱進機の摩擦損失を抜本的に減じる目的で設計された。レバー脱進機が刃先で滑り摩擦を発生させるのに対し、コーアクシャルは三段構造のパレットと2つの噛み合い面を持ち、放射方向(ラジアル方向)のインパルスを用いることで滑り摩擦をほぼ排する。これにより脱進機への注油を最小限にでき、長期的な精度維持と整備間隔の延長に寄与すると伝わる。Omegaは1993年にDaniels本人から特許を取得し、1999年のDe Ville Cal. 2500で初めて量産実装に成功した。以後ほぼ全機械式キャリバーへ展開してきたが、ムーンウォッチ・プロフェッショナル系列での採用は本機が初である。
シリコン製ヒゲ「Si14」と耐磁性能
ヒゲゼンマイにはOmegaが「Si14」と呼ぶシリコン製のものを採用する。シリコンは反磁性材であり、温度膨張係数も小さく、フォトリソグラフィ製法により寸法精度が極めて高い。これに加え、脱進機のガンギ車・アンクル等にも非鉄材を用いることで、Cal. 3861は15,000ガウスの磁場に晒されても運針に影響を受けない設計となっている。スマートフォンのスピーカー磁石、ノートPC、MRI周辺等、現代生活で遭遇しうる磁気環境を実用域で凌駕する数値である。
ハック秒機構
ムーンウォッチには日付表示がないため、リューズは2段引き(巻き上げ位/時刻合わせ位)である。Cal. 3861では新たにハック秒(秒針停止)機構が組み込まれ、時刻合わせ位置でリューズを引くと秒針が停止する。Cal. 1861までの50年以上、時刻合わせ時も秒針は走り続けていたため、これは精密な時刻合わせを可能にする実用的な進化として記録される。
Master Chronometer認定
Cal. 3861は搭載状態のままMaster Chronometer認定を受ける。同認定は2015年にOmegaとMETAS(スイス連邦計量・認定庁)が共同で確立した規格で、ムーブメント単体でCOSC認定を得たうえで、ケース搭載状態で15,000ガウス曝磁、6姿勢精度、温度差環境、パワーリザーブ域(満巻〜33%)を含む8項目の試験を10日間にわたって受ける。許容差は日差0/+5秒で、すなわち、遅れは認められない。
仕上げ
ブリッジには直線状のコートドジュネーブが施され、ロジウム仕上げ(ステンレスケース搭載モデル)または金メッキ仕上げ(貴金属ケース搭載モデル)で出荷される。先代のCal. 1861(ハサライト裏蓋向け)とCal. 1863(サファイア裏蓋向け)では仕上げ等級が異なっていたが、3861世代では裏蓋仕様にかかわらず同等の仕上げが施される。