設計思想
1. 矩形への賭け — 1997年バーゼルのカバレット
A. Lange & Söhne は、1994年に Lange 1、Saxonia、Arkade、Tourbillon "Pour le Mérite" の四本で再出発を果たしたばかりのブランドであった。いずれも戦前のサクソン時計製造への帰参を宣言する厳格な意匠で、丸ケースか、丸に近い形状で統一されていた。そのブランドが1997年バーゼルで発表したのが、本格的な矩形ケースに大型日付窓を組み合わせた「カバレット」である。発表時のリファレンスは 107.031、ピンクゴールドケースに黒・銀のツートーンダイヤルを組み合わせた一本だった。アール・デコを参照した3段ステップベゼル、わずかに広がるラグ、ローマ数字と菱形インデックスの混在する文字盤は、当時の Lange の語法から見れば意図的な逸脱であった。「カバレット」という、Glashütte の重厚な伝統からは距離を置く名前そのものが、その姿勢を象徴している。
2. ホワイトゴールドと濃紺の追加
カバレットは発表翌年の1998年にラインアップを拡張する。イエローゴールド×シャンパンの 107.021、ピンクゴールド×シルバーの 107.032、そして本機 107.027 — ホワイトゴールドケースに濃紺ダイヤルを組み合わせた仕様 — がこの時期に加わった。基幹カバレットでホワイトゴールドが採用されたのは 107.027 が唯一であり、ダイヤル色も基幹5本のなかでこの濃紺は他と重ならない。ホワイトの貴金属に対し、暖色を排した冷ややかなブルーを乗せるという選択は、初発の 107.031 が打ち出したアール・デコ的な装飾性とは別方向の、より禁欲的な性格を本機に与えている。文字盤の暗さから、コレクター間では「Darth」の異名で語られることもある。
3. 4年で姿を消した一本
107.027 の生産は2002年に終わったとされる。同時期に追加された 107.021 が2010年まで、107.032 が2009年まで生産されたことに比べると、本機の市場滞在期間は際立って短い。明確な理由は公表されていないが、当時の市場でホワイトゴールドの矩形ケース・濃紺ダイヤルという組み合わせが量的に限られたタイプであったことが背景にあったと伝わる。生産終了後、カバレットは2004年にムーンフェイズ仕様(Ref. 118.021/118.032)、2008年に世界初のストップセコンド機構付きカバレット・トゥールビヨンへと派生を広げる一方、基幹の時刻のみ仕様は2010年から2011年頃に整理された。短命であったがゆえに 107.027 は基幹カバレットの全体図のなかで識別性の高い一本として残った。
意匠分析
ホワイトゴールド製の矩形ケースは、25.9mm × 36.3mm、厚さは約8.6mmという扁平なプロポーションを持つ。ベゼルは3段に切り上げられたステップ構造で、角は鋭く立ち上がりつつ上面は緩く傾斜する。サイドはサテン仕上げ、ラグは内側に切り欠きを入れたうえで角を立てたポリッシュという、Lange 流の細やかな仕上げの切り分けが矩形ケースのうえでも貫かれる。ラグはケースから外側へやや張り出し、ストラップ装着時のラグ間長は約42mmとなる。
文字盤は基幹カバレット5本のなかで本機だけが採用する濃紺で、光量の少ない場所では黒に近く見えるほど深い色調を持つ。垂直方向のブラッシュ仕上げが施され、6時位置のスモールセコンドだけが同心円のサーキュラー仕上げで切り出される。アプライドのローマ数字は III, VI, IX, XII の四箇所に、その間を菱形インデックスが埋める構成で、すべての指標は文字盤中心を向くよう傾けられている。リーフ針とインデックスはホワイト系で仕立てられ、青いダイヤル地との明度差で視認性が確保される。12時の大型日付窓は、Lange 各モデルに共通する特許機構(二枚の独立した数字ディスク)で構成され、日付の早送りは2時側ケースエッジに収められた小さなプッシャーで行う。
サファイアクリスタルの裏蓋越しに姿を現すのが、矩形のフォルム・ムーブメント、手巻きキャリバー L931.3 である。1994年の Arkade に搭載された L911 を矩形のメインプレートに作り直したもので、無処理ジャーマンシルバーの3/4プレート、グラスヒュッテリブ、手彫りのテンプ受け、ゴールドシャトン、焼戻しのブルースクリュー、白鳥首式緩急針調整など、Lange 流の仕上げの語彙はそのまま持ち込まれている。リューズを引くとテンプが直接ブレーキされる停止機構を備える。矩形ケースに矩形ムーブメントを収めるという姿勢自体が、丸ムーブを矩形ケースに収める同業他社への静かな反論である。
系譜と歴史
カバレット・コレクションは1997年バーゼルで発表された。発表時のリファレンスは 107.031 で、ピンクゴールドケースに黒・銀のダイヤルを組み合わせた一本である。107.027 はその翌年、1998年にラインアップ拡張のなかで追加された。同年には 107.021(イエローゴールド)と 107.032(ピンクゴールドの銀ダイヤル仕様)も加わっており、基幹カバレットの中核となる4本がこの時期に出揃った。
107.027 の生産は1998年から2002年までの4年間続いたとされる。この間、ダイヤル仕様やムーブメント世代の途中変更は公表記録上見当たらず、流通量も他の基幹カバレットに比して限定的であったと伝わる。オークション流通の個体記録からは、1999年前後にイタリアの正規ディーラーを介して販売された個体などが確認できる。
2002年の生産終了後、ホワイトゴールドケースの基幹カバレットは追加されていない。プラチナケースの 107.025(2004年から2006年)と 107.035 がその後の高位仕様として登場するが、ホワイトゴールド+濃紺ダイヤルという組み合わせは基幹カバレット内では復活していない。
カバレット・コレクション全体としては、2004年にムーンフェイズ仕様(Ref. 118.021、118.032)を追加、2008年には世界初のストップセコンド機構付きトゥールビヨンとなるカバレット・トゥールビヨンが登場する。一方で基幹の時刻のみカバレットは2010年から2011年頃にカタログから整理された。カバレット・トゥールビヨンも2013年に生産終了し、その後しばらく新作は途絶えたが、2026年5月の Concorso d'Eleganza Villa d'Este にてカバレット・トゥールビヨン ハニーゴールド(Ref. 703.050)が50本限定で発表され、矩形カバレットの系譜が一時的に復活している。