アルフレート・ヘルヴィッヒ
1920年、グラスヒュッテのドイツ時計学校でフライング・トゥールビヨンを考案した時計師で、800名を超える後進を育てた教育者
- BORN
- 1886年
- DIED
- 1974年
- BRAND
- グラスヒュッテ・オリジナル — 1845年創業
概要
アルフレート・ヘルヴィッヒ(Alfred Helwig、1886-1974)はドイツの時計師である。ザクセン州グラスヒュッテのドイツ時計学校で、長く教壇に立った。1920年、上側の受けを持たず、片側だけでキャリッジを支えるフライング・トゥールビヨンを考案した。この機構は教え子の手で精密な懐中時計に仕立てられ、ハンブルクの精度試験で好成績を残している。同校に関わった41年間で育てた時計師は800名を超え、トゥールビヨンを論じた著書『Drehganguhren』も残した。現在はグラスヒュッテ・オリジナルの時計学校が彼の名を冠している。
生涯
01修業と遍歴(1886-1912)
ヘルヴィッヒは1886年7月5日に生まれた。1900年から時計師グスタフ・ドゥンケル(Gustav Dunkel)に師事したと伝わる。1904年には、グラスヒュッテのドイツ時計学校(Deutsche Uhrmacherschule Glashütte)へ進む。卒業は翌1905年である。
在学中に作った婦人用の金製懐中時計は母に捧げられ、裏蓋には母の頭文字「PH」が彫られている。この時計は現在、グラスヒュッテ・ドイツ時計博物館(Deutsches Uhrenmuseum Glashütte)が所蔵する。
卒業後は各地の工房で経験を積んだ。その一つが、グラスヒュッテの精密時計工場(Glashütter Präzisions-Uhrenfabrik)である。ここでクロノメーター製作へ関心を深めたとされる。1908年からはハンブルクのクロノメーター工場で、精密時計の製造を実地に学んだ。1911年にはグラスヒュッテへ戻り、自身の工房を構えている。
02教壇に立つ(1913-1938)
1913年、27歳のヘルヴィッヒはドイツ時計学校の実技教員に任じられた。教員不足を補うための依頼だったと伝わるが、これが同校での41年に及ぶ歩みの始まりとなる。
着任の翌年に第一次世界大戦が始まる。ヘルヴィッヒも召集され、教壇に戻ったのは1917年とされる。戦後の1920年にはフライング・トゥールビヨンを考案し、1922年にマイスター試験に合格した。1923年に上級教員(Oberlehrer)となる。1933年には、職業学校教員の上位職(Gewerbestudienrat)に就いたとされる。
在任中に育てた時計師は800名を超える。専門知識を面白く語る教師として学生に慕われ、着任25年の1938年には、学生たちが黒い森の鳩時計を贈って祝ったと伝わる。
03研究職と晩年(1937-1974)
1930年代半ばから、同校は航空・海運の軍需に関わる依頼も受けるようになった。1936年、ハンブルクのドイツ海洋気象台(Deutsche Seewarte)がマリンクロノメーターの改良を打診した。ヘルヴィッヒはこれに応じ、試作機を手がけたとされる。翌1937年には学生指導を離れて研究開発の任に移り、彼の指導による学校製トゥールビヨンもここで途絶えたとされる。
著述は戦中から戦後にかけても続いた。精密調整を論じた『Die Feinstellung der Uhren』は、戦争の影響で刊行が1950年までずれ込んだとされる。友人ヘルマン・ゲルツ(Hermann Goertz)の天文時計では、天文表示の計算を受け持った。1956年にはこの時計の最初の大規模な修復も指揮したと伝わる。この天文時計も、現在はドイツ時計博物館に収められている。ヘルヴィッヒは1974年に没した。
業績・代表作
01上の受けを外したトゥールビヨン
アブラアン=ルイ・ブレゲが1801年に特許を得たトゥールビヨンは、キャリッジを上下から挟んで支える。下は地板側の軸受、上はブリッジである。三番車が四番カナを押す力がキャリッジにかかるため、枠は頑丈で重くならざるを得なかった。
ヘルヴィッヒは、この上側の軸受をキャリッジの下へ移した。近接した2つの軸受で片側から軸を支え、上のブリッジを不要にしたのである。歯車の力から解放された枠は細く削れるようになった。軸受の石やネジを含めても、キャリッジの重さは0.5gに満たない。デテント脱進機の通過バネは、最も薄い部分で0.025mmまで削られている。
狙いは、慣性の小さい軽い回転体によって姿勢差を減らし、精度を高めることにあった。上から機構を見通せる外観は、その副産物である。実際、当時の学校製の時計ではキャリッジはムーブメント側に置かれ、文字盤からは見えなかった。
1922年のマイスター試験の課題作は、5分で1回転するフライング・トゥールビヨンを備えた。レバー脱進機と、直列につないだ2個の香箱を持つ。ムーブメントの素材は教え子のエトガー・ジムヒェン(Edgar Simmchen)が用意した。この時計は第二次世界大戦の直前に手放され、所在は分かっていないとされる。
02教室で形になった「学校トゥールビヨン」
ヘルヴィッヒの構想は、教室で繰り返し形になった。1920年代から1930年代にかけ、上位の学生が彼の指導でフライング・トゥールビヨンの懐中時計を製作した。知られる本数は20本前後である。ただし本数は文献によって16本から31本まで幅があるとされる。製作には校長カール・ギーベル(Karl Giebel)とヘルヴィッヒの承認が要り、1本に約18か月を費やしたと伝わる。
多くは1分で1回転するキャリッジにデテント脱進機を組み、パワーリザーブ表示を備えたとされる。収集家で研究者のヘルムート・クロット(Helmut Crott)によれば、基本形と主要寸法はヘルヴィッヒが定めた。香箱のつなぎ方などは学生に委ねられていた。キャリッジの骨格はA.ランゲ&ゾーネの古典的なトゥールビヨンを手本にしたとされる。
これらの時計は、ハンブルクのドイツ海洋気象台の精度試験で好成績を収めた。調整を担ったのはヘルヴィッヒ自身で、少なくとも11本が最上位の「特別級」に合格したとされる。
03著述と、業績を貫くもの
1927年の著書『Drehganguhren』は、トゥールビヨンとカルーセルの構造と長所・短所を体系的に論じた。標準的な文献とみなされる一方、英訳はまだ出ていないとされる。生涯に書いた論文と著書は約40点にのぼるとされ、その著作は今も時計師や調整師の参考書として読まれている。
ヘルヴィッヒの仕事に通底するのは、精度を構造と教育の両面から追う姿勢である。力を受けない位置へ軸受を移し、部品を限界まで軽くする。そしてその設計を自分の作品として閉じず、学生の課題として何度も作らせた。考案者の名は長く表に出なかったが、技術は教え子たちの時計とともに受け継がれた。
評価・後世への影響
01腕時計への継承
フライング・トゥールビヨンが腕時計に入ったのは、考案から60年以上を経た1980年代である。独立時計師ヴィンセント・カラブレーゼが1986年に試作し、1989年にはブランパンが量産品を発表したとされる。1990年代には、グラスヒュッテの時計ブランドもこの構造を腕時計に採り入れた。一方で、腕時計の解説でヘルヴィッヒの名が考案者として挙がることは少ないとも指摘されている。
02名を継ぐ学校と時計
グラスヒュッテ・オリジナルは、2002年に開いた自社の時計学校に彼の名を付けた。同社は彼の名を冠したトゥールビヨン腕時計も複数発表している。考案100年の2020年には「アルフレート・ヘルヴィッヒ・トゥールビヨン 1920」を25本限定で出した。トゥールビヨンは裏側にだけ置かれる。当時の学校製の時計に倣った構成である。最終組立は、旧校舎に入る同社の歴史工房が担った。
03博物館とオークション
旧ドイツ時計学校の校舎は、2008年からドイツ時計博物館として使われている。館は彼が1927年に作ったフライング・トゥールビヨンの拡大作動模型を所蔵する。2011年には生誕125年を記念する特別展も開いた。学校製のトゥールビヨンは、1970年代から1980年代に大型オークションの目玉になったとされる。近年もフィリップスなどに出品されている。独学でトゥールビヨンを作った時計師に、リヒャルト・ミクロシュ(Richard Miklosch)がいる。彼は生前のヘルヴィッヒと面識を持ち、その構造を論じた文章を残したとされる。
出典
本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。
- 01 公式 Gold women’s pocket watch
- 02 公式 Tribute to a genius in the Glashütte art of watchmaking
- 03 専門メディア Glashütte Original
- 04 専門メディア Introducing Glashutte Original Alfred Helwig Tourbillon 1920 Limited Edition
- 05 専門メディア Q: Who Was Alfred Helwig? A: Inventor Of The Flying Tourbillon
- 06 専門メディア In-Depth: Alfred Helwig’s Flying Tourbillon in Wrist- and Pocket Watches
- 07 専門メディア Alles über den Erfinder des fliegenden Tourbillons
- 08 オークション Jürgen Kuhls "DUS Flying Tourbillon"