アルベール・ペラトン
IWCにペラトン式自動巻をもたらした、20世紀スイスの時計技術者(1898–1976)
アルベール・ペラトン(Albert Pellaton、1898–1976)は、スイスの時計技術者である。スイスのトラヴェールに生まれ、ヴァシュロン・コンスタンタンで設計を学んだのち、1944年にIWC(インターナショナル・ウォッチ・カンパニー)の技術ディレクターに就任した。在任中、回転錘の両方向の動きを使う効率的な自動巻機構を完成させ、この方式は後に「ペラトン式自動巻」と呼ばれた。同機構は1950年のキャリバー85に初めて搭載され、その原理は現代のIWC自動巻にも受け継がれている。耐磁時計マーク11やインヂュニアの開発も主導し、第二次大戦後のIWCの技術的方向を定めた人物として知られる。
生涯
1. 時計師一族とヴァシュロン時代
アルベール・ペラトン(Albert Pellaton)は1898年、スイス西部のトラヴェールに生まれた。ヴァル・ド・トラヴェールと呼ばれるこの一帯は、ヌーシャテル湖からフランス国境へと続く時計づくりの土地である。
ペラトン家は時計師の一族であった。祖父のアルベール・ペラトン=ファーヴル(Albert Pellaton-Favre、1832–1914)はトゥールビヨンと精密時計を得意とした名工で、伯父のジェームズ=セザール・ペラトン(James-César Pellaton、1873–1954)はル・ロックルの時計学校で脱進機を教えた人物として知られる。ペラトンが時計師の道を選んだのは、自然な成り行きであった。
修業を終えたペラトンはヴァシュロン・コンスタンタンに入り、ムーブメントの設計を手がけるようになる。同社の設計部門が再編により解体されると、ペラトンは新たな職場を求めることになった。
2. IWC技術ディレクターへ
1944年、ペラトンはシャフハウゼンのIWCに技術ディレクターとして迎えられた。当時のIWCを率いていたのは、技術と生産の問題に通じた人材を求めていた経営者エルンスト・ヤコブ・ホンベルガーである。
ペラトンはIWCで22年を過ごした。就任の翌年には自動巻の開発に着手し、1946年には手巻のキャリバー89を完成させている。1950年には自社初の自動巻キャリバー85を世に出し、1955年にはインヂュニアの開発を主導した。生産工程の最適化にも取り組み、IWCの年間生産は一時5万本に達したと伝えられる。
1957年、ペラトンはゾロトゥルンの時計学校から若き時計師クルト・クラウス(Kurt Klaus)を採用した。クラウスはペラトンの助手として働き、後にIWCの永久カレンダーを生み出すことになる。クラウスは後年、ペラトンを完璧主義者として回想し、「IWCの時計師の仕事はつねに高い水準にある」という彼の言葉を伝えている。
3. 退任とその後
22年の在任を経て、ペラトンは1966年にIWCを退いた。その後の私生活については多くが語られていないが、1976年に世を去ったとされる。一部の資料は没年を1966年と記すが、IWC公式の人物紹介は退任を1966年、没年を1976年とする立場をとっている。
ペラトンが在任中に築いた自動巻機構と耐磁設計の蓄積は、彼の退任後もIWCの技術的な土台であり続けた。直接の後継者というべきクルト・クラウスを通じて、その仕事の流儀は次の世代へと引き継がれていく。
業績・代表作
1. ペラトン式自動巻機構
ペラトンの名を時計史に刻んだのは、回転錘の運動を巻き上げに変換する自動巻機構である。1944年にIWCの技術ディレクターに就任したペラトンは、翌1945年5月には「モントル62オートマティック」と呼ばれる自動巻腕時計の開発計画を始めている。当時の自動巻機構は、回転錘の動きを歯車列で直接伝える方式が主流で、多くは一方向の回転しか巻き上げに使えず、力の損失が大きかった。
ペラトンが選んだのは、歯車による直結ではなく爪(つめ)を用いる方式である。偏心カムが回転錘の回転を揺動運動に変換し、ロッキングバーに取り付けられた二つの爪が、その往復運動を巻き上げ車に伝える。これにより回転錘の両方向の動きを巻き上げに利用でき、伝達効率が大きく高まった。
この機構は1950年のキャリバー81およびキャリバー85に初めて搭載された。キャリバー85はIWCが自社で手がけた最初の自動巻ムーブメントであり、後にキャリバー854へと発展する。爪を介する構造は歯車列を衝撃から保護する効果も持ち、堅牢性の点でも優れていた。なお当時のスイス特許では、発明者としてIWCの所有者エルンスト・ホンベルガー=ラウシェンバッハの名が記載されている。機構が「ペラトン式」と呼ばれるようになったのは後年のことである。
2. 耐磁時計の系譜 — マーク11とインヂュニア
戦後、家電やレーダーの普及により、機械式時計は磁気の影響という新たな課題に直面した。ペラトンはこの問題に対し、軟鉄製の内ケースで機械全体を覆い、磁界を遮蔽する手法を採った。
1948年、英国空軍向けに開発されたパイロットウォッチ「マーク11」は、この軟鉄インナーケースを備えた。搭載されたのは手巻のキャリバー89で、これもペラトンが1946年に手がけたセンターセコンド付きの設計である。レーダー機器の強い磁界が時計の精度を乱すという軍の要請に応えたものであった。
1955年に登場したインヂュニアは、耐磁の思想をさらに進めた。マーク11譲りの軟鉄インナーケースに加え、脱進機の一部に銅ベリリウム合金を用い、アンクルやガンギ車そのものを磁気の影響を受けにくくしている。自動巻のキャリバー85系を搭載したインヂュニアは、堅牢な実用時計というIWCの性格を象徴する一本となった。
3. 効率と堅牢性 — ペラトンの設計思想
ペラトンの仕事を貫くのは、装飾性ではなく機能の確かさである。自動巻機構においては伝達効率を、耐磁時計においては外乱への抵抗を、いずれも「時計が日常で確実に動き続けること」という一点に向けて設計している。
爪式の巻き上げは構造が衝撃に強く、長期の使用に耐える。軟鉄ケースは派手な機構ではないが、磁気という見えない脅威から機械を守る。ペラトンはまた、酸化アルミニウムを用いたより堅牢な香箱の開発にも関わったとされる。こうした選択の積み重ねが、IWCに「実用に徹した精密時計」という像をもたらした。キャリバー85系の自動巻機構は2000年代に再評価され、現行のムーブメントにも原理が受け継がれている。
評価・後世への影響
ペラトンが残したものは、彼の名を冠した一つの機構という形で今日まで生き続けている。
ペラトン式自動巻機構は、クォーツ・ショックの時代を越えて使われ続けた。2000年、IWCは7日間のパワーリザーブを持つキャリバー5000系にこの機構を再び採用し、以降の8000系や52000系にも受け継いでいる。現代の仕様では爪はセラミック製となり、摩耗にほとんど左右されなくなった。基本的な作動原理が半世紀以上にわたって変わっていない点に、最初の設計の完成度がうかがえる。ペラトン機構を備えたヴィンテージのIWC自動巻は収集家にも親しまれており、IWC自身も同機構の5対1スケール模型を制作し、その仕組みを伝えてきた。
人の系譜という面でも、ペラトンの影響は残った。彼が1957年に採用したクルト・クラウスは、1985年のダ・ヴィンチに搭載された永久カレンダーを設計し、IWCを代表する時計師となった。クラウスがペラトンから受け継いだのは、特定の機構というより、精度と仕上げに対する厳格な姿勢であった。
「ペラトン」という名は、現在ではIWCの自動巻機構を指す言葉として定着している。一人の技術者の名が機構の呼称として残る例は、時計の世界でも多くはない。その呼称自体が、戦後のIWCを形づくった仕事への評価といえる。