設計思想
Vintage Collection という構想
2008年、IWCは創業140周年を迎えた。5年ごとの周年を盛大に演出する慣行とは少し異なり、140という数字に特別な記号性はない。それでもIWCは、この節目に自社の歴史を振り返るプロジェクトを用意した。それがVintage Collectionである。同年3月のSIHH(ジュネーブ国際高級時計サロン)で発表されたこのシリーズは、現行ファミリーそれぞれの源流となった6機種を、現代のサイズと機構で再解釈する試みであった。Pilot's Watch(1936年)、Portuguese(1939年)、Ingenieur(1955年)、Aquatimer(1967年)、Da Vinci(1969年)、Portofino(1985年)の6機種である。
公式リリースが強調した点は二つある。第一に、これは『コピー』ではないこと。第二に、現行ムーブメントを搭載した、現代の腕に合うサイズの新作であること。歴史を消費するのではなく、現代の文脈で読み直すという姿勢が貫かれている。
1955年Ref.666からの転位
Vintage Ingenieurが源流に据えたのは1955年Ref.666、初代Ingenieurである。当時のIWCは、強磁場環境で働く科学者・技師のために、軟鉄製インナーケース(ファラデーケージ)で磁気から機構を守るという発想を結実させた。同時期にロレックスがMilgaussで、オメガがRailmasterで同じ問題に答えていたことを思えば、Ref.666はIWCがその時代の課題に応えた回答であった。
このIW3233世代は、Ref.666の素朴で丸みを帯びた三針スタイルを継承しつつ、1976年にジェラルド・ジェンタが投入したIngenieur SL(Ref. 1832)以降の『機構的スポーツウォッチ』の路線とは異なる時間軸へと、意識的に踏み込んだ。1955年の意匠が呼び戻されたという事実は、その時点でのIWCがIngenieurの源流をどう位置付けていたかを示している。
Sincere向け派生としての位置
IW3233-07は、シンガポールの老舗リテーラーSincere Watch(1954年創業)向けに供給された派生Refである。ローズゴールドケースに黒文字盤を組み合わせたこの構成は、Sincereの選定によるアジア市場向けの仕様にあたる。同社向けには、Vintage Aquatimer(IW3231-07)とVintage Pilot's Watch(IW3254-07)にも対応する『-07』派生が存在し、三機種でSincere向けのトリオを構成していた。
このような小売主導の派生Refは、IW3233-09(イタリア向け)やIW3233-13(香港向け)、IWCブティック専売のブラウン文字盤500本限定IW3233-11、Laureus支援の青文字盤1,000本限定IW3233-10(2011年)などの地域・流通限定派生と共に、Vintage Ingenieurの最終的な姿の幅を形作る要素であった。3233番台のVintage Ingenieur Automaticは2012年頃を境に流通から退き、翌2013年、Mercedes-AMG提携を主軸に世代刷新されたRef. 3239へと役目を譲っている。
意匠分析
ローズゴールドのケース径は42.5mm、厚さは14.5mm。1955年初代Ref.666が直径36.5mmだったことを考えると、6mm拡大されている。この大型化は2000年代後半のラグジュアリーウォッチに共通する潮流であり、Vintage Collection全体に貫かれた設計判断でもある。
ケース形状は、ジェラルド・ジェンタ設計のIngenieur SL(Ref. 1832)に代表される一体ブレスのスポーツモデル系譜とは明確に距離を置き、平板で控えめなベゼル、丸みを持ったラグの古典的な三針ケースに回帰している。1955年Ref.666の意匠的記憶を呼び戻すための選択であり、Vintage Collectionの思想を端的に表す箇所でもある。
文字盤は黒地に、ローズゴールドのアプライドインデックス(スティック+ドット)が植字される。バトン型に近いインデックス意匠はRef.666を踏襲する一方、4時方位や全周のドット位置取りは、むしろ1967年Ref.866系の処理に近いとも言われる。針はドフィーヌ型で、ローズゴールドケースとの色調統一が図られた。日付窓は3時位置に開けられ、地色は黒で統一されている。
クロコダイルストラップは22mmラグ幅で、22-18mm程度のテーパー処理。バネ棒構造の標準的なストラップ装着方式を採る。
裏蓋はサファイアクリスタルのシースルー仕様で、IWC自社製の自動巻Cal.80110が眺められる構造である。Cal.80110は2005年に発表された80000番台の最初の機種であり、IWC伝統のペラトン式双方向自動巻機構を引き継ぎつつ、ロータ周りの構造とショックアブソーバの設計を新たにした世代にあたる。毎時28,800振動(4Hz)、パワーリザーブは約44時間、日付クイックセット付き。
注目すべき設計上の選択は、初代Ref.666が備えていた軟鉄製インナーケースによる磁気耐性が、この世代では省かれている点である。Ingenieurという名のもとに長く維持されてきた科学者・技術者向けの装備が、Vintageの名における意匠的継承を優先する判断によって落とされた。一方、120m防水は維持されており、日常使用における基本的な堅牢性は確保されている。
系譜と歴史
IW3233-07の出自を辿るには、2008年3月にジュネーブで開催されたSIHHに遡る必要がある。IWCは創業140周年(1868-2008)を記念し、Vintage Collectionと総称される6機種のジュビリーエディションを発表した。Pilot's Watch(1936年源流)、Portuguese(1939年)、Ingenieur(1955年)、Aquatimer(1967年)、Da Vinci(1969年)、Portofino(1985年)の各ファミリーから1機種ずつが選ばれている。
Vintage Ingenieur Automatic 3233番台は、当初ステンレススチール × 黒文字盤の通常生産仕様(IW3233-01)と、500本限定のプラチナ仕様(IW3233-05)で展開された。最初の140本のプラチナ仕様は、140周年に呼応する番号入りセットとして専用レザーケースで提供されたと伝わる。
2009年にはローズゴールド × シルバー文字盤(IW3233-03)とホワイトゴールド × アルダワーズ文字盤(IW3233-04)が加わり、貴金属仕様の展開が広がった。本機IW3233-07は、シンガポールの老舗リテーラーSincere Watch向けにコミッションされた派生として、ローズゴールド × 黒文字盤の構成で同シリーズに加わっている。
その後、2011年にはLaureus Sport for Good Foundationを支援する青文字盤1,000本限定仕様(IW3233-10)が登場。前後してIWCブティック専売のブラウン文字盤500本限定IW3233-11、イタリア向けIW3233-09、香港向けIW3233-13など、地域・流通別の派生が断続的に追加された。
WatchBaseの記録上、IW3233-07の生産期間は2008年から2012年とされる。Vintage Ingenieur Automatic自体は2012年を境に流通から退き、翌2013年にMercedes-AMG提携を中核とした新世代Ref. 3239 Ingenieur Automaticへとファミリーの座を譲った。