クルト・クラウス
クォーツ危機の最中、わずか81点の機構で永久カレンダーを再発明した、20世紀後半のIWCを代表する時計師(1934-)
クルト・クラウス(Kurt Klaus、1934-)は、スイス・ザンクト・ガレン出身の時計師である。1957年にIWCシャフハウゼンに入社し、1970年から1999年の引退まで開発・構造部門で新しいムーブメントの設計を担った。代表作は1985年のダ・ヴィンチ永久カレンダー・クロノグラフ(Ref. 3750)であり、わずか81個の部品で構成された機構は、すべての表示をリューズ一つで操作できるという業界初の発想を実現した。クォーツショックの渦中にあった機械式時計の地位を回復させた功労者として、現在もシャフハウゼンと縁を保ち続けている。
生涯
1. 東スイスの少年から時計師へ
クルト・クラウスは1934年、スイス東部の街ザンクト・ガレン(St. Gallen)に生まれた。時計学校で修業を積んだ後、ベルンに近いグレンヘンの老舗エテルナ(Eterna)で職を得る。後に本人が語ったところでは、当時の婚約者(のちの夫人)がグレンヘンを離れ、自身の出身地に近い場所で暮らすことを望んだため、クラウスは仕事と住まいの再構築を迫られたという。この個人的な事情が、結果として彼の人生をシャフハウゼンへと向かわせた。
2. シャフハウゼンでの始まり
1957年、22歳のクラウスはIWCシャフハウゼンに入社する。彼を採用したのは、自動巻き機構に名を残す技術者アルベルト・ペラトン(Albert Pellaton)であった。最初の配属はサービス部門で、修理を通じて時計の構造を内側から学ぶ年月が続く。1970年からは開発・構造・プロトタイプ製作の部門へ移り、ここから新しいムーブメントの設計に本格的に関わることになる。
3. クォーツの時代と永久カレンダー
クラウスがIWCの開発を担っていた1970年代は、クォーツ式腕時計が市場を席巻し、機械式時計の存在意義そのものが問われた時期であった。スイスの多くの時計工房が事業を縮小し、IWCもまた厳しい時代を生きていた。クラウスは懐中時計向けの複雑機構の開発を任され、まずアニュアル・カレンダーで成果を挙げると、続けて腕時計用の永久カレンダーへと挑む。1985年、バーゼル・フェアにおいて、彼が約10年を費やした作品はダ・ヴィンチ永久カレンダー・クロノグラフとして世に出た。発売当初の市場の反応は静かであったが、年末までに500本を売り上げると、当時の社長ギュンター・ブリュムライン(Günter Blümlein)が祝賀の夕食会を開いた——後年クラウス自身が、自作が成功したと信じられた瞬間として度々語っている挿話である。
4. 引退、そして引退しない時計師
1999年、65歳のクラウスは「開発・構造責任者」の職を公式に退いた。しかしIWCとの関係は途切れることなく、引退後も彼はシャフハウゼンの本社に通い、社内の時計学校で後進を育て、各国のコレクター集会や業界イベントで講演を続けている。2003年にはポルトギーゼ・パーペチュアル・カレンダーの開発に関与し、2009年にはデジタル表示を備えたダ・ヴィンチ・パーペチュアル・カレンダー・デジタル・デート・マンス(Ref. IW3761)の設計にも携わった。2022年にはIWCのキャンペーン映像にも登場するなど、80歳を過ぎてもなお同社の表に立ち続けている。2024年10月、クラウスは90歳の誕生日を迎え、IWCは公式に長年の功績への謝意を発信した。
業績・代表作
1. 81個の部品で表現された永久カレンダー
1985年のバーゼル・フェアでIWCが発表したダ・ヴィンチ永久カレンダー・クロノグラフ(Ref. 3750)は、クラウスがおよそ10年の構想と試作を経て生み出した作品である。当時の永久カレンダーは、ケース側面に複数の修正プッシャーを備え、月末や閏年の調整には専用の器具を必要とすることが一般的であった。クラウスは、リューズの操作だけで日付・曜日・月・四桁の年・月相のすべてを進められる機構を考案する。部品点数はわずか81個に抑えられ、可能なかぎりの単純化が貫かれている。月相表示は実際の月の運行と一日ずれるまでに577.5年を要する精度を備え、四桁の年表示は組み込みのプログラムにより2100年まで補正なしで動き続ける。設計はスライドルールと鉛筆、紙の模型のみで行われ、IWC社内では手描きで完成された最後のムーブメント設計として伝わる。
2. リューズ一つに込められた哲学
クラウスの設計を貫いているのは、複雑機構を可能な限り使い手の側に引き寄せるという姿勢である。永久カレンダーは伝統的に時計師の道具と知識を前提とした機構であり、操作の難しさが所有者を遠ざける一面があった。クラウスの永久カレンダーは、リューズの引き出し位置と回転方向だけで全表示を制御できる構造を採り、所有者が日常の中で機構を扱える地平を開いた。同じ思想は、後年の派生作にも継承されている。
3. モジュールの継承 — ポルトギーゼへの展開
2003年、クラウスの永久カレンダー・モジュールはCal. 5000系を母体とするポルトギーゼ・パーペチュアル・カレンダー(Ref. 5021)に再構成された。7日巻きの大型ムーブメントに合わせて寸法が調整され、ダブル・ムーンと呼ばれる北半球と南半球の月相を同時に表示する意匠が加えられている。1985年に生まれた基本構造が、退職後の作品にも生きていることは、クラウスの設計が持つ長い射程を示している。
4. 永久カレンダー以外の業績
クラウスの仕事は永久カレンダーに尽きない。1993年に発表されたイル・デストリエロ・スカフージア(Il Destriero Scafusia)は当時世界で最も複雑な腕時計とされ、トゥールビヨンやミニッツ・リピーター、スプリットセコンドなどを統合した一本であった。クラウスはこの開発の中核を担っている。ほかにも、スプリットセコンド機構、ワールドタイム・モジュール、ダイバーズウォッチ用の機械式水深計など、多くのIWCの代名詞的機構の構築に関わってきた。これらの実績は、彼が「永久カレンダーを発明した時計師」というラベルだけでは捉えきれないことを物語る。