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腕時計史 · 縦糸 / THREAD — テーマ別 / Theme
T7

軍用時計の系譜

腕時計を実用品に変えたのは流行ではなく戦場だった。視認性・精度・堅牢という仕様は、実戦の要求から生まれた。

§ 00 Summary

19世紀末まで腕時計は女性の装身具とされ、軍では懐中時計が道具だった。これを覆したのが戦場である。第一次大戦の塹壕では、両手を空ける必要と砲撃の同期が腕時計を不可欠にし、ワイヤーラグや夜光文字盤、保護グリルといった意匠を生んだ。第二次大戦では各国が兵士の時計を仕様書で定義する。米のA-11、英のW.W.W.、独のB-Uhrは、視認性と精度と堅牢という共通の要求から設計された。戦後も各国制式は素材や規格を更新しながら続き、その意匠は今日のフィールドウォッチへ受け継がれている。

§ 01 Overview

19世紀末まで、腕時計は女性の装身具と見なされていた。男にとって時計は懐中時計であり、それが信頼できる道具だった。腕の時計は姿勢が絶えず変わるため不正確とされ、「リストレット」という呼び名には侮りがにじんでいた。この常識を覆したのは流行ではなく、戦場の要求である。

転機の予兆はボーア戦争(1899-1902)前後にあった。英国の将校が懐中時計にワイヤーラグを半田付けし、革帯で腕に巻く工夫を始めたと伝わる。片手で銃を扱いながら時刻を確かめるには、腕の時計が理にかなっていた。だが決定的だったのは第一次大戦である。塹壕戦では両手を空ける必要があり、砲撃と突撃を合わせる要求が時計を生死の道具に変えた。前進する歩兵のすぐ先へ砲弾を落とす移動弾幕は、1916年のソンムで本格的に用いられた。歩調を秒単位で誤れば、味方の砲撃が自軍を撃つ。

この実戦の要求が、意匠を生んだ。懐中時計の側面にワイヤーラグを付けて腕に固定し、暗所で読むためラジウムの夜光を文字盤に塗る。砲弾の破片からガラスを守る金属の保護グリルを被せ、文字盤は黒や白のエナメルに大きなアラビア数字を置いた。1917年には英陸軍省が腕時計の支給を始める。こうして腕時計は、装身具から兵士の標準装備へと変わった。

戦間期にも軍は腕時計を使い続けたが、支給は各自の私物に頼る部分が大きく、仕様の統一は進まなかった。仕様が国家の手で明確に定義されるのは、第二次大戦である。各国は「兵士の時計」を仕様書として書き起こした。米国のA-11は単一のモデル名ではなく生産規格であり、エルジン・ウォルサム・ブローバが供給した(ハミルトンは同型を規格外で製造)。手巻・ハック機構・センターセコンド・最低15石・黒文字盤に白い1から12の数字、という要件が並ぶ。同じ規格は英空軍やソ連空軍でも採用されている。

英国の答えが、防水の腕時計を意味する軍用符牒W.W.W.である。1944年に国防省が仕様を定め、翌1945年に納入された。基準を満たした12社が供給した。うち11社がスイス、1社(ヴァーテックス)が英国系である。後に1967年の映画にちなんで「ダーティ・ダズン」と呼ばれるようになった。黒文字盤・夜光針・6時位置のスモールセコンド・防水・クロノメーター級の15石手巻が共通し、王室の所有を示すブロードアローが刻まれた。総生産はおよそ14万5千本とされる。

ドイツのB-Uhr(観測時計)は、空軍の航法担当者のための航空時計だった。航空省の仕様は、ケース径55mm、ブレゲヒゲ、ハック機構を求めた。手袋でも扱える大型リューズと、袖の上から巻けるよう長い革帯も備える。ラコ・シュトーヴァ・ヴェンペ・A.ランゲ&ゾーネの独4社に、スイスのIWCを加えた5社が手がけた。納入前に6姿勢・3温度で検査され、ドイツ海軍天文台の検定を受けた。文字盤は簡素なA型から、1942年以降は分目盛を外周に移したB型へと改められた。B-Uhrは個人の所有物ではなく空軍の備品であり、出撃ごとに航法担当者へ貸与され、任務後に返却された。中立のIWCは、英のW.W.W.と独のB-Uhrの双方に時計を供給している。

呼称や寸法は異なるが、これらの時計は同じ要求から設計された。暗い機内や夜の戦場で誤読しない視認性、複数の時計を合わせるためのハック機構と高い精度、泥や衝撃に耐える堅牢さである。なかでもハック機構は、協同作戦のための同期という軍用時計の核心を象徴していた。

戦後、各国制式は素材と規格を更新しながら続く。健康への懸念から、夜光のラジウムは次第にトリチウムへ置き換わった。米国ではMIL-W-3818B(1962)を経て、1964年にMIL-W-46374が制定される。ベトナムでの戦域拡大を背景に、正確だが安価で整備を前提としない使い捨ての時計が求められた。後の改訂では、文字盤に放射性物質を示すH3の表示が加わった。やがてトリチウムは封入管へ移り、1980年代末には機械式からクォーツへと替わる。英国では王立海軍向けにロレックスが軍用サブマリーナを納め、固定ラグや回転ベゼルといった潜水仕様が制式に取り込まれた。仕様の重心は、クロノメーター級の職人技から、大量で低コストの道具へと移っていった。

現在、実際の軍用支給の多くはクォーツやデジタルが担い、耐衝撃を特長とする樹脂製の時計も広く用いられる。一方で、塹壕と二度の大戦が刻んだ意匠——黒い文字盤、白いアラビア数字、夜光、視認性と堅牢さ——は、民生のフィールドウォッチやパイロットウォッチへ、設計言語として受け継がれた。実戦の要求が生んだ仕様は、平時の様式として今も腕の上にある。

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