米軍 A-11 制式時計
個々のブランドではなく政府の仕様が時計を規定する——A-11は規格化された軍用腕時計のあり方を示した。
概要
Overview第二次大戦下、米陸軍航空隊はパイロットと航法士のための腕時計に統一仕様を課した。それがA-11である。特定のモデル名ではなく、エルジン・ウォルサム・ブローバの3社が従った生産標準だった。黒文字盤に白い数字、秒針を止めて時刻を合わせるハック機構、手巻きで中央秒針——いずれも実戦の要求から導かれている。一つの仕様に複数のメーカーが従い、互換的に量産する。制式化された軍用時計の典型である。「戦争に勝った時計」と称されることもあるが、それは後年の誇張である。
背景
Background第一次大戦の塹壕時計を経て、腕時計は軍の装備として定着していた。だが供給は各社まちまちで、文字盤も機構も統一されていなかった。第二次大戦に入り、状況が変わる。航空作戦と機甲戦の協調が高度化し、複数の部隊が秒単位で行動を合わせる必要が生まれた。攻撃開始や航法の基準を共有するには、各人の時計が同じ時刻を、同じ精度で指していなければならない。
一方、アメリカには互換部品による大量生産の伝統があった。19世紀半ばのウォルサムやエルジンが築いたこの方式は、規格化された部品を組み合わせ、職人の手わざに頼らずに数を作る。民間向けの時計では、戦場の堅牢性や視認性、そして同期の要求を満たしきれない。政府が統一した仕様を定め、それに各社が従うという発想は、この量産文化と軍の必要が重なる地点から生まれた。A-11以前に支給された時計には白文字盤のものもあったが、視認性を重んじる流れのなかで、やがて黒文字盤へと移っていく。
出来事
The Event米陸軍航空隊は、腕時計の生産標準としてA-11を定めた。仕様番号は94-27834で、その後94-27834-A、94-27834-Bと改訂された。A-11は一つの製品ではなく、エルジン・ウォルサム・ブローバの3社が共通して従う規格である。大手のハミルトンも類似の時計を作ったが、これはA-11の枠には入らなかった。
仕様が求めたのは、最低15石の手巻きムーブメント、中央に伸びる秒針、そして秒針を止めるハック機構だった。文字盤は黒地に白いアラビア数字で、外周には10刻みの分目盛りが置かれた。視認性を最優先した構成である。ケースは防塵のものと防水のものがあり、ベゼルもコインエッジと平型が混在した。ケースは鋼を節約するためめっきを施した地金が主で、ニッケルが軍需で重視されたことから銀製のものもあった。径はおよそ30から32ミリにとどまる。
中心となったのはハック機構である。リューズを引くと秒針が止まり、基準となる時刻——飛行隊のクロノメーターや指揮官の時計——に正確に合わせてから、再び動かす。これにより部隊全体の時計を秒単位でそろえられた。止め方はメーカーで異なり、エルジンはテンプそのものを機械的に押さえ、ブローバとウォルサムは輪列の歯車を金属片で止めたと伝えられる。
製造はおよそ1942年から終戦の1945年まで続いた。ケース裏には製造年を示す刻印が残る。海軍航空局向けには夜光の文字盤と針を備えた版があり、こちらはFSSC 88-W-800と記された。A-11はアメリカの規格でありながら、英空軍では6B/234の名で、ソ連空軍などにも渡っている。
意義
SignificanceA-11が残したのは、特定の名機ではなく、一つの方式である。個々のブランドが意匠と機構を競うのではなく、政府が定めた仕様に複数のメーカーが従い、互換的に量産する。これにより、制式時計という近代的なカテゴリの輪郭がはっきりした。統一規格は、複数の工場が同じ時計を並行して作ることを可能にし、戦時の大量供給を支えた。背景には、19世紀以来アメリカが築いた互換部品の大量生産があり、その産業力が軍需と結びついた。
戦後、膨大な数の軍用時計が民間市場に放出される。実用本位の堅牢さと視認性、そして秒針を止めるハック機構は、こうして一般の使い手にも知られていった。黒文字盤に白数字というフィールドウォッチの意匠も、ここで一つの定型を得る。
軍用時計の系譜のなかで、A-11は塹壕時計と、1945年末に英軍が12社へ発注したダーティーダズンの間に位置する。前者で腕時計は軍に根づき、A-11で仕様の統一が進み、各国の制式へと受け継がれた。なお、A-11はしばしば「戦争に勝った時計」と呼ばれる。だが勝敗を決めたのは時計ではない。この呼び名は、戦後に育った愛着と宣伝が生んだ誇張である。