第一次世界大戦/塹壕時計
塹壕の中では懐中時計を取り出す余裕がない——戦場の必要が、女性の装身具とされた腕時計を男性の実用品へと変えた。
概要
Overview1914年に始まった第一次世界大戦は、腕時計の社会的な意味を一変させた。19世紀末まで、腕に巻く時計は女性の装身具とされ、男性は懐中時計を持つのが常識だった。だが塹壕戦では、鎖でつないだ懐中時計をポケットから取り出して時刻を読む動作が命取りになりうる。砲撃と歩兵の前進を分単位で合わせる必要が高まり、片手で銃を構えたまま即座に時刻を確認できる腕の時計が求められた。多くの兵士が懐中時計に金具を付けて腕に巻き、各社も軍向けの腕時計を供給した。この戦争を経て、腕時計は男性の道具として受け入れられ、懐中から腕への移行は後戻りしない流れとなる。
背景
Background19世紀末から20世紀初頭にかけて、男性が身につける時計といえば懐中時計だった。鎖でベストやポケットにつなぎ、必要なときに取り出して文字盤を確かめる。これが紳士の作法であり、腕に巻く小型の時計は『リストレット』と呼ばれて女性の装身具と見なされていた。男性が腕時計をするのは女々しいという感覚が、当時の社会には根強くあった。
一方で、腕に時計を着ける発想そのものは戦争以前から存在した。1880年にはジラール・ペルゴが独帝国海軍向けに腕時計を供給したと伝えられ、1899年から1902年のボーア戦争では、英兵が懐中時計に金具を付けて腕に巻く工夫を自発的に試みたとされる。野戦で両手を空けたまま時刻を読めることの利点は、現場の軍人にはすでに知られていた。
ただし、それは例外的な実用にとどまり、市場の常識を動かすものではなかった。腕時計は依然として婦人物が中心で、男性向けの量産も限られていた。前提を覆すには、誰の目にも明らかな必要が要った。それを突きつけたのが塹壕戦である。
出来事
The Event1914年に勃発した第一次世界大戦は、塹壕線を挟んで膠着する新しい形の戦争だった。鉄条網と機関銃が支配する戦場で、兵士は銃を手に行動する。鎖でつないだ懐中時計をポケットから取り出して時刻を読むには、その手をいったん離さなければならない。わずか数秒のことが、命取りになりかねなかった。
時刻の正確さが決定的な意味を持ったのは、砲撃の戦術が変わったためである。1916年のソンムの戦いで本格的に用いられた移動弾幕(クリーピング・バラージュ)は、砲弾の着弾点を一定の間隔で前進させ、その直後を歩兵が追って前進する戦法だった。多くは数分ごとに着弾を百ヤード前後ずらす。歩兵が早く出すぎれば味方の砲弾に倒れ、遅れれば塹壕に戻った敵の機関銃にさらされる。砲兵と歩兵が分単位、ときに秒単位で時刻を合わせる必要があり、『時計を合わせろ』という号令が現実の手順となった。
この要求に懐中時計は応えにくかった。そこで兵士たちは、懐中時計の本体にワイヤー状の金具を取り付け、革ベルトを通して腕に巻いた。これが塹壕時計(トレンチウォッチ)である。やがてリューズは腕で扱いやすい位置へ移り、暗所で読めるよう文字盤と針には夜光塗料が用いられた。割れにくい風防や保護グリルなど、戦場由来の工夫も加わっていく。
需要に応えて各社が動いた。オメガやロンジンといったスイス勢が軍向けの腕時計を量産し、その多くはブランド名を伏せたまま供給された。中の機械は、もともと婦人用ペンダント時計のために設計された小型ムーブメントを転用したものが多い。英国ではマッピン&ウェッブが前線へ送れる時計を扱った。腕時計は、兵士にとって銃に並ぶ装備になりつつあった。
意義
Significance塹壕時計がもたらした最大の変化は、技術ではなく市場の認識にある。腕時計はそれまで女性の装身具という枠に押し込められていた。だが戦場で銃と並ぶ実用品として扱われたことで、その枠は内側から崩れた。前線で時計を頼りに生死を分けた兵士の姿が、腕時計に道具としての正当性を与えたのである。
復員した兵士たちは、戦地で使った腕時計をそのまま日常で着け続けた。彼らにとって腕時計はもはや女々しいものではなく、過酷な経験を共にした実用の品だった。この受容が市場の構造を反転させていく。婦人物が中心だった腕時計は男性の標準的な持ち物へと向かい、懐中時計の需要は縮んでいった。早くから腕時計に賭けていた製造者は、この転換で先行する立場を得た。その帰結としての定着は、別項『戦後、腕時計が男性の標準装備へ』で詳しく辿る。
市場の認識だけではない。軍事的な必要が、時計の形そのものを決めた。即時視認、堅牢さ、暗所での可読性——いずれも塹壕の要求から生まれ、後のツールウォッチへ受け継がれる発想の源流となった。軍用時計の系譜において、第一次大戦は実戦の要求が民間市場を動かした最初の決定的な転機であり、以後もこの図式は繰り返される。