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腕時計史 · 縦糸 / THREAD — テーマ別 / Theme
T1

素材の系譜

素材は時計を飾るものから、時計そのものを成り立たせるものへ変わった。機能の追求と高級化が、その長い転換を貫く二本の糸である。

§ 00 Summary

時計の素材は、何を価値とみなすかとともに移り変わってきた。懐中時計の時代は金や銀が装飾として主役を占めたが、腕時計が実用品へ転じると、丈夫なステンレス鋼が日常の素材になった。戦後は航空由来のチタンが軽さと非磁性をもたらし(シチズン、1970年)、傷に強い高度セラミックがそれに続いた(1986年)。21世紀にはシリコンが機械の内側へ入り込み、カーボン複合材を核に据えるリシャール・ミルが現れる。機能の追求と高級化という二つの動機が、この系譜を貫いている。

§ 01 Overview

時計における素材の歴史は、何を価値とみなすかの変遷でもある。懐中時計の時代、ケースの主役は金や銀だった。多くは衣服の内側に収められ、機械を守る役割はさほど問われなかった。素材は装飾であり、身分や富を映す鏡として選ばれた。

この前提を崩したのは、腕時計が実用品へ転じた流れである。第一次大戦で腕時計が道具として受け入れられると、丈夫で扱いやすい素材が求められた。ステンレス鋼は1913年ごろに英国で生まれ、1920年代にスイスの時計業界へ持ち込まれる。普及を後押ししたのは1929年の世界恐慌で、金銀の需要が落ち込むなかで安価で錆びにくい鋼への転換が進んだ。ジュネーブではタウベール社などが、強力なプレスでステンレスを成形する技術を確立した。代表的な合金はステイブライトと呼ばれた。スイス輸出時計に占める貴金属ケースの比率は、1920年の半数超から1935年には数%まで下がったと伝わる。腕時計が自らの素材として選び取ったのが、このステンレスだった。初期の鋼は汗の酸に弱く傷みやすかったが、改良が重ねられ、後年には耐食性の高い904Lなどの鋼が過酷な環境で使う時計を支えていく。

戦後、機能をさらに追う動きが新しい素材を呼び込む。航空・宇宙産業で重んじられ、アポロ計画にも使われたチタンである。1970年、シチズンがX-8クロノメーターで、ケース全体をチタンとした最初の腕時計を世に出した。純度99.6%のチタンは鋼より軽く、錆びず、磁気にも強い。ただしチタンは加工が難しく、表面が傷つきやすい弱点も抱えていた。革ベルトと組み合わされており、ブレスレットまで含めた総チタン製は、1980年のIWCとポルシェ・デザインの協業を待つことになる。生産はおよそ2000本に満たなかったと伝わる。シチズンはこの弱点を埋める表面硬化技術を長年かけて磨き、1982年には1300m防水のプロ用ダイバーズもチタンで仕立て、後のスーパーチタニウムへつなげていった。

傷への強さは、それ自体が一つの目標になった。ラドーは1962年のダイヤスターで超硬合金(タングステンカーバイド)を用い、傷を許さないケースを掲げていた。同社はサファイアガラス風防の量産でも先行している。その延長線上に、1986年の高度セラミックがある。同年、IWCがダ・ヴィンチで酸化ジルコニウム製のケースを量産機に採り入れ、ラドーもインテグラルで高度セラミックを世に問うた。焼結で硬く緻密に仕上がるセラミックは、鋼の数倍に達する硬度を持ち、鋼より軽く、磁気や薬品にも侵されない。ただし焼成時に約3割縮むため成形は難しく、加工にはダイヤモンド工具を要した。IWCは当初、セラミックをケース中央のみに用い、金のラグと組み合わせている。後には複数の色も可能になり、素材が意匠の主役へ躍り出る。

やがて素材は、ケースから機械の内側へと入り込む。2001年、ユリス・ナルダンがフリークで脱進機にシリコンを使った。軽く、非磁性で、摩擦が小さく潤滑をほとんど要さず、半導体の手法によって精密に成形できるシリコンは、機械式の調速機構を更新する鍵となった。酸化膜をまとわせれば温度変化にも強く、ひげゼンマイの素材にも適していた。機械式時計をかつて脅かしたクォーツの申し子が、その精度を支える側へ回ったのは皮肉である。同じ原理はパテック フィリップのシリンバーをはじめ、複数の有力ブランドへ特許のもとで広がっていった。

同じころ、素材そのものがブランドの核になる時代も訪れた。2001年に登場したリシャール・ミルは、レース用ヨットの帆や航空に由来するカーボン複合材(TPTやNTPT)を軸に、グレード5チタンやグラフェンといった先端素材を駆使した。最初のRM 001はトゥールビヨンを中心に据え、カーボンナノファイバーなどの素材を機構へ取り入れた。『腕上のレーシングマシン』を掲げ、軽量と耐衝撃が工学的な意匠としてそのまま価値になった。

金からカーボンへ至るこの系譜を押し進めたのは、機能と高級化という二つの動機である。軽さ・耐傷性・非磁性という実用の追求と、希少さや先端性がもたらす付加価値とが、互いを押し上げてきた。かつて価値を映すだけだった素材は、いまや時計の性能と個性を決める要素になった。近年は再生金属や持続可能な素材への関心も高まり、この二つの動機に新たな基準が加わりつつある。

§ 02 Milestones on this thread
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