高度セラミックの採用(IWC/ラドー)
金属が傷を避けられない素材であるなら、焼き固めた物質がその限界を超える——1986年、二社が異なる道で高度セラミックを腕時計へ持ち込んだ。
概要
Overview1986年、スイスの二社が同じ年に高度セラミックを腕時計へ持ち込んだ。ラドーはインテグラルで、傷に強い酸化ジルコニウム系のセラミックをブレスレットに組み込み、量産品として市場に出した。IWCはダ・ヴィンチ パーペチュアルカレンダーに黒い酸化ジルコニウムのケースを与えたが、加工の難しさから生産は少数にとどまった。鉄やチタンが避けられなかった擦り傷を、焼き固めた高硬度の素材が退ける。狙いも数量も異なる二つの試みは、貴金属や合金とは別系統の素材を時計の本流へ導く起点となった。
背景
Background1980年代半ば、機械式時計の作り手は岐路に立っていた。クォーツが安価で正確な時刻を行き渡らせ、機械式の存在意義が問われていた。価格でも精度でも電子式に対抗できないなら、別の価値を示すほかない。素材はその突破口の一つだった。
当時のケースは鉄や金が主で、1970年代にはチタンも登場していた。いずれも金属である以上、日常の使用で細かな擦り傷を負うことは避けられない。鏡面に刻まれた傷は、高級品ほど目につく弱点でもあった。傷のつかないケースという発想は、古くから作り手の関心を引いていた。
ラドーは早くからこの方向を探っていた。1962年のダイヤスターでは超硬合金を用い、傷に強いケースを実現していた。ただしこれは後の高度セラミックとは系統の異なる素材だった。1970年代にはサファイアガラスの風防を量産に取り入れ、素材で差をつける姿勢を続けていた。
一方のIWCは、複雑機構で機械式の価値を示す道を歩んでいた。1985年には自動巻のパーペチュアルカレンダー クロノグラフを発表している。
出来事
The Event1986年、スイスの二社がそれぞれの流儀で高度セラミックを腕時計に持ち込んだ。素材はおもに酸化ジルコニウムで、純度の高い粉末に結合剤を混ぜて型に詰め、1,400度を超える高温で焼き固めて作られる。焼成の過程で素材はおよそ3分の1ほど縮むため、最終寸法を見越した設計が欠かせない。焼き上がった素材はきわめて硬く、傷がつきにくい。鋼より軽く、肌になじむ感触も持つ。
ラドーはインテグラルでこの素材を採った。発表当初のモデルは、セラミックをブレスレットに組み込み、ケース本体は鋼で覆い、端まで届くサファイア風防を合わせた構成だったとされる。量産を前提とした設計であり、工業生産された高度セラミック時計としては最初の例とされる。
IWCの道は対照的だった。同じ1986年、ダ・ヴィンチ パーペチュアルカレンダー(Ref.3755)に、黒い酸化ジルコニウムのケースを与えた。ケース中央をセラミックとし、ラグやリューズには18金を組み合わせている。複雑機構を抱えた高級機で、硬い素材は仕上げにダイヤモンド工具を要するほど加工が難しく、生産はごく少数にとどまった。酸化ジルコニウムをケースに用いた最初の例とされ、翌年には白も加わった。
二社の主張はどちらも『最初』を含むが、指す対象は異なる。ラドーは量産品としての先行を、IWCはケース素材としての先行を語る。
意義
Significance高度セラミックの採用は、時計の素材という見方を動かした。それまで素材は金属が前提で、価値は金やプラチナといった貴金属の希少性に結びついていた。セラミックは貴金属ではないが、傷への強さや軽さといった機能そのもので価値を主張した。素材の価値が、希少性だけでなく機能からも生まれうると示した点に意義がある。
もっとも、この素材には扱いにくさが残った。硬い反面、衝撃で割れる弱さがあり、色の選択も乏しく、リューズのような小さな部品は作りにくかった。これらの制約を解くための研究が、その後の数十年にわたって続く。色を自在に扱えるようになるのは、さらに後年のことだった。
やがてセラミックは多くの作り手に広がり、色や成分の幅も増えていった。ラドーはこの素材を看板に据え、IWCもパイロットウォッチなどへ用途を広げた。窒化ケイ素や炭化ホウ素といった別系統のセラミック、セラミックと金属の性質を併せ持つ素材も現れる。傷に強い素材という発想は、後のシリコン部品や先端複合素材の流れとも一本の系譜でつながる。