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腕時計史 · MILESTONE — 第7章 現代
2005

パテック シリンバー(シリコン部品)

半導体を刻む技術で、時計の心臓部の素材を更新する——パテックは2005年、調速機構にシリコンを持ち込んだ。

§ 00 Overview

2005年、パテック フィリップは先端研究の成果として、シリコンを母体とする新素材シリンバー製の脱進機ホイールをリファレンス5250に搭載した。翌2006年には同素材のヒゲゼンマイ、スピロマックスをリファレンス5350へ広げる。シリンバーはシリコン表面を酸化処理した素材で、温度変化に強く非磁性で、半導体由来のエッチング技術で削り出す。ロレックスやスウォッチ グループと研究機関を介して進めた共同研究の産物でもあった。350年続いた金属ヒゲゼンマイに代わる選択肢を、複雑機構を量産する高級機の中心に据えた点に意味がある。

§ 01 Background

機械式時計の精度は、テンプとヒゲゼンマイの安定にかかっている。だが金属製のヒゲゼンマイは、温度や磁気、重力の向きによって弾性や形がわずかに変わり、進み遅れの一因となってきた。1897年にシャルル=エドゥアール・ギヨームが発明した鉄ニッケル合金インバーは、温度変化への耐性を高めた。20世紀の多くの時計はニヴァロックスに代表される金属合金を用い、温度補償の問題に一定の答えを出していた。

それでも金属には限界が残った。1本ずつ巻いて成形する工程は個体差を生み、磁気の影響も避けにくい。2000年前後、この壁を越える手がかりとして注目されたのが、半導体の製造技術だった。シリコンウェハーを微細加工する手法を使えば、複雑な形状を高い再現性で削り出せる。ヌーシャテルの研究機関CSEMが中心となり、時計部品への応用が探られた。

もっとも、純粋なシリコンには弱点があった。温度が変わると弾性が大きく動き、そのままではヒゲゼンマイに求められる精度を保てない。この課題を抱えたまま、パテック フィリップはロレックス、スウォッチ グループとともにCSEMの研究へ資金を投じていた。

§ 02 The Event

CSEMは、シリコンの表面に二酸化ケイ素の層を設けることで温度による変化を打ち消す方法にたどり着いた。こうして生まれた素材が、シリンバーである。名はフランス語で不変のシリコンを意味し、ギヨームのインバー合金への目配せでもあった。製法は欧州特許で保護され、共同研究に加わったブランドが当面のあいだ独占的に使える状態に置かれた。シリコン研究の先駆けとなったユリス・ナルダンも、別途この技術の利用を許された。

パテック フィリップがこの素材を初めて市場に出したのは、2005年の先端研究シリーズ第1作だった。アニュアルカレンダーのリファレンス5250に、シリンバー製の脱進機ホイールを搭載する。生産は100本ほどに限られ、サファイアの裏蓋には小さな拡大レンズが設けられ、新素材の歯車を覗き見られた。歯車は半導体産業由来の深掘り反応性イオンエッチングで削り出され、ミクロン単位の精度で量産された。

翌2006年、パテックはリファレンス5350でシリンバー製のヒゲゼンマイ、スピロマックスを加えた。このヒゲゼンマイは同心円に近い形で伸縮し、質量が小さく、重力や衝撃の影響を受けにくい。ブレゲが広めた終端巻き上げ式ヒゲゼンマイの利点を、平面に近い形のまま得ようとした設計である。同じ年、スウォッチ グループのブレゲもシリコン製ヒゲゼンマイを採用した。シリンバーは鋼より硬く、3分の1ほどの重さで、非磁性で錆びず、潤滑油を要さない。

§ 03 Significance

シリンバーの採用は、一作で完結する出来事ではなく段階的な拡張として進んだ。2008年には脱進機のアンクルもシリンバー製とした一体型のパルソマックスが登場し、ルビーのつめ石を使わない構造が実現する。2011年にはテンプ自体をシリンバーで作るジャイロマックスSiが加わり、ヒゲゼンマイ・脱進機・テンプの三者をまとめたオシロマックスとして体系化された。限定モデルで試された素材は、やがて量産キャリバーのヒゲゼンマイへと広がっていく。

波及はパテック一社にとどまらない。オメガは2008年にシリコン製ヒゲゼンマイを採り入れ、後のマスター クロノメーター世代の土台とした。ロレックスは2014年に自社のシロキシを発表する。共同研究の特許が2020年代初頭に失効すると、シリコン部品は業界の広い範囲へ普及していった。

意味するところは、調速機構の素材選択に新しい軸が加わったことである。350年あまり金属が担ってきた領域に、半導体の素材と製法が並ぶ選択肢が現れた。摩耗が進みにくく潤滑に頼らない構造は、保守の間隔を延ばす方向にも働く。一方で、手仕上げの金属ヒゲゼンマイには職人技という別の価値があり、両者は今も併存している。金属から高機能素材へという素材史の流れの中で、シリコンは確かな一段を占めた。

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