設計思想
1. 20年目のボンドウォッチ
オメガが007シリーズに時計を供給し始めたのは、1995年の『ゴールデンアイ』からである。2015年はその関係が20年を迎えた年にあたり、24作目『007 スペクター』が公開された。オメガはこの作品に合わせて2本の限定モデルを用意した。1本はシーマスター アクアテラ150Mの限定版、もう1本が本機である。
それまでのボンド関連モデルの多くは、劇中の時計をもとに007の意匠を加えた記念モデルだった。本機はこの流れと異なる。オメガ公式は、ボンドが実際に着用した時計が限定版として発売されるのはシリーズ史上初めてだと説明している。
2. ダイバーズから旅の時計へ
土台となったのは、2014年に復刻されたシーマスター300 マスター コーアクシャルである。1957年のCK2913を現代の技術で再構築したモデルで、ステンレススチールの基幹Refは233.30.41.21.01.001にあたる。本機はそのケースとムーブメントをそのまま受け継いだ。
変わったのは、時計が想定する使い手である。基幹Refの回転ベゼルは潜水時間を計る60分目盛だが、本機は12時間目盛に替えられた。潜るよりも国境をまたいで移動することの多いボンドの人物像に、第2時間帯を読むベゼルを重ねた選択と読める。劇中ではこのベゼルが小道具として役割を与えられたとも伝わる。ダイヤルからは12時位置の数字が消え、秒針はロリポップ型になった。変更点はわずかだが、時計の性格は明確に変わっている。
3. 007の刻印を外に出さない設計
本機のダイヤルには、007の文字もガンバレルの意匠も入らない。ボンドとの関係を示す印は、NATOストラップのループとブレスレットのクラスプに刻まれた007ロゴに限られる。英国の時計店Laingsは、これを記念品ではなくボンドが着ける時計そのものだと評した。
この抑制は、シーマスター300という素材の性格とも噛み合う。1957年のオリジナルは、潜水の専門家に向けた道具として生まれた。本機は外見をほとんど変えず、使い道の想定だけを書き換えた。映画の小道具と量産品の距離を最も縮めたボンドウォッチと言える。
4. 同時代の兄弟と、その後
同じ2015年に出たアクアテラ150Mの限定版は、青いダイヤルにボンド家の紋章に着想した模様を入れた。ムーブメントにはCal.8507を積む。限定数は15,007本とされる。劇中着用という一点で、本機とは性格の異なる記念モデルである。
基幹の233.30系は2021年に刷新され、Cal.8912を積む234.30.41.21.01.001へ移った。新世代ではケースが薄くなり、秒針はロリポップ型が標準になったとされる。6年前に限定版で試された意匠が、基幹モデルに取り込まれた形である。
意匠分析
ケースは基幹Refの233.30.41.21.01.001と共通である。1957年のCK2913に倣い、ラグはねじれのない直線的な形状をとる。上面をポリッシュ、側面をサテンで仕上げ、両者の境にポリッシュの面取りを入れて稜線を際立たせている。公式値のケース厚14.65mmは、径41mmに対してやや厚い。ラグからラグまでは48mmあり、平たく長いラグのために数字以上に大きく感じられるとされる。
最大の変更点はベゼルである。黒いセラミック製のリングに、リキッドメタルで12時間目盛が入る。リキッドメタルは硬度の高いアモルファス合金である。数字は0から11まで並び、12時位置は「0」で示される。回転は両方向で、第2時間帯に合わせる操作を前後どちらからでも行える。一方、光沢のあるセラミックの仕上げはヴィンテージ調の外観と対照的だとの指摘もある。
ダイヤルはサンドブラスト仕上げの黒で、植字ではなく凹ませた三角形のアワーマーカーを持つ。基幹Refにあった12時位置の「12」は省かれ、代わりにオメガのロゴと「OMEGA」「SEAMASTER」の文字が拡大された。
針はロジウムメッキで、時針はブロードアロー型である。夜光には青く発光するヴィンテージ調のスーパールミノヴァが塗られ、日中は淡いベージュに見える。秒針先端の円形は初期のシーマスター300に見られた意匠で、ここに復刻の文脈がもう一段深く刻まれた。
標準の装着は黒とグレーの5本ストライプのNATOストラップで、ボンドが過去作で着けたストラップを想起させる配色である。ループには007のガンロゴが入る。同梱のステンレスブレスレットは全面サテン仕上げとされ、クラスプに007ロゴを持つ。
ムーブメントは自社製のCal.8400である。コーアクシャル脱進機(摩擦を減らし精度の持続性を高めるオメガの脱進機構)と、シリコン製ヒゲゼンマイを備える。精度に関わる部品を非磁性素材で構成し、15,000ガウスの磁場に耐える。2つの香箱を直列に配置してパワーリザーブは60時間。振動数は毎時25,200振動(3.5Hz)で、COSC(スイス公式クロノメーター検定協会)の認定を受ける。裏蓋はサファイアガラスで、ブリッジと回転錘のアラベスク状ジュネーブ波模様が見える。回転錘にガンバレルの意匠は入らない。
系譜と歴史
本機の土台となるシーマスター300 マスター コーアクシャルは、2014年3月のバーゼルワールドで発表された。Cal.8400/8401を中心とする非磁性ムーブメント群も同じ場で披露されている。
2015年、オメガはボンド映画への時計供給20年目を迎えた。同年、24作目『007 スペクター』に合わせた2本の限定モデルが用意された。先に発表されたのはアクアテラ150Mの限定版で、本機はその後に続いたとされる。WatchBaseは本機の生産開始を2015年9月と記録している。発表前後には、ダニエル・クレイグが本機を着けてオメガの工房を訪れた写真が公開されたと伝わる。
映画は2015年10月に英国で公開された。本機は映画公開と足並みをそろえて店頭に並んだとされる。限定数は7,007本で、公式も明示している。
製品は、黒とグレーのNATOストラップを装着した状態で出荷された。専用の化粧箱には、007ロゴ入りクラスプを持つステンレスブレスレットが同梱された。WatchBaseはNATOストラップの部品番号を032CWZ003210、ブレスレットを020STZ003184と記録している。ストラップ単体も公式アクセサリーとして販売されたが、ループに007ロゴは入らないとされる。
限定生産のため、生産期間中の仕様変更は確認されていない。生産終了の正確な年月は公表されていない。公式サイトでは現在、入手できないモデルとして扱われている。基幹の233.30系は2021年に234.30.41.21.01.001へ移行した。これにより、本機はCal.8400世代のシーマスター300に属する限定版として位置づけが固まった。
出典
本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。
- 01 専門メディア Omega James Bond Seamaster 300 ‘SPECTRE' Limited Edition Announced
- 02 専門メディア Baselworld 2014: Introducing the Omega Seamaster 300 Master Co-Axial – Remaking a Classic with the Latest Tech (with specs and pricing)
- 03 オークション Omega The Hong Kong Watch Auction: NINE
- 04 ブログ Omega Seamaster 300 SPECTRE Limited Edition