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PERSON · 1946–1998

赤羽 好和

Yoshikazu Akahane
技師

ツインクォーツとスプリングドライブを構想した、諏訪精工舎(現セイコーエプソン)の時計技術者(1946-1998)

01 — 概要 / OVERVIEW

赤羽好和(Yoshikazu Akahane、1946-1998)は、諏訪精工舎(現セイコーエプソン)に所属した日本の時計技術者である。1971年に入社し、クォーツ時計の電池開発を経て「ツインクォーツ」の開発に従事。年差±5秒という当時の世界最高水準の精度を実現した。1977年頃には、機械式時計の調速機構をクォーツ制御に置き換える「クォーツロック」を構想する。これがのちにスプリングドライブと呼ばれる、機械式駆動と電子制御を融合した独自機構の出発点となった。プロジェクトは二度の頓挫を経て、1999年にキャリバー7R68として結実したが、赤羽自身は前年の1998年8月、52歳で逝去している。

02 — Life

生涯

A life in time

1. 諏訪精工舎への入社

赤羽好和は1946年頃に生まれたとされる。出生地や少年期の経歴について公開された一次資料は限られている。

1971年、赤羽は長野県の諏訪精工舎(現セイコーエプソン)に入社する。前々年の1969年に世界初の市販クォーツ腕時計「セイコー クオーツ アストロン」が発表され、業界は機械式からクォーツへの大転換期を迎えていた。新人技術者として彼に最初に与えられた仕事は、クォーツ時計の電池開発であった。

2. ツインクォーツ — 精度への執着

クォーツ時計の精度を制限していた最大の要因は、水晶振動子の温度特性であった。気温の変動で振動周波数がわずかにずれ、それが日差・年差として蓄積する。

赤羽が中心的に関わった「ツインクォーツ」プロジェクトは、この課題に正面から挑むものであった。時刻計測用の水晶振動子に加え、温度計測用の水晶振動子をもうひとつ搭載し、両者の差分から温度補正を行う方式である。1978年に発売された「グランドツインクォーツ」は年差±10秒、後継の「セイコー スーペリア ツインクォーツ」は年差±5秒という、当時として破格の精度を達成した。クォーツに対する徹底した精度志向は、その後の赤羽の発想の土台となる。

3. スプリングドライブの長い道のり

ツインクォーツの開発と並行して、赤羽はさらに踏み込んだ構想を温めていた。坂を下る自転車のブレーキを見て発想を得たという逸話が伝わるが、その真偽は確証がない。確かなのは、「ぜんまいで動き、クォーツ精度で時を刻む腕時計」という構想が1977年頃に彼の頭の中で固まり、翌1978年には「クォーツロック」と命名した基本特許が諏訪精工舎から出願されたことである。

1982年、本格的な開発が始まった。試作機は動いたものの、持続時間はわずか4時間。実用化には消費電力を10分の1に削減する必要があり、第一次開発は中止される。1993年、技術者・高橋理らによって第二次開発が再開されたが、これも技術的な壁を越えられないまま1994年に再び頓挫した。

それでも赤羽はこの構想を捨てなかった。1997年、ウオッチ事業部副本部長となっていた彼は、自ら第三次開発の再開を号令する。若手技術者を巻き込み、同年12月、目標仕様を満たすムーブメントの試作完成にこぎつけた。

4. 完成を見ぬまま

1998年4月、バーゼルフェアでスプリングドライブの技術発表を済ませた赤羽は、その4ヵ月後の同年8月、52歳で逝去した。スプリングドライブが「キャリバー7R68」として正式に市販されるのは翌1999年12月のことであり、20年余りに及ぶ構想は、発案者本人がその完成形を市場で目にすることなく結実した。

03 — Work

業績・代表作

What this person built

1. 三つの核となる業績

赤羽の業績は、大きく三つの段階に整理できる。いずれもクォーツ技術と機械式技術の境界を踏み越える試みであり、相互につながった一連の探究として読むことができる。

第一は「ツインクォーツ」(1978年)。水晶振動子を2基搭載し、片方を温度補正に用いることで、年差±5〜±10秒という当時の世界最高水準の精度を達成した。クォーツ時計の精度向上に確たる一歩を刻んだ機構である。

第二は「キャリバー7R68」(1999年)を皮切りとするスプリングドライブ。ぜんまいで発電機を回し、クォーツが正確な時刻情報を作り、そこに電磁ブレーキをかけて精密に減速制御するという、機械式駆動・発電・電子制御の三層構造を持つ独自方式である。年差±15秒、そして滑らかに流れる秒針の動きが特徴となった。

第三は、これらを支える特許群である。スプリングドライブの完成までに諏訪精工舎(セイコーエプソン)が出願した特許は200件を超えると伝わり、調速・低損失発電・低消費電力IC・高効率自動巻きなど多岐の技術領域に及ぶ。

2. 設計哲学 — 二項対立を解消する第三の道

赤羽の発想を貫いているのは、それまで二項対立で語られてきた「機械式 vs クォーツ」の枠組みを、第三の選択肢で乗り越えるという思想である。

機械式時計の魅力(電池に依存しない自立性、機構の美しさ、滑らかな指針の動き)と、クォーツ時計の精度を、どちらか一方を捨てるのではなく統合する。そのために、機械式の調速機構であるテンプを捨て、代わりに発電機と電磁ブレーキ、そしてクォーツとICによる速度制御を置く。「ぜんまいを止めずに正確に減速する」という発想は、伝統的な時計学の語法には存在しなかったものである。

この設計言語は、その後のセイコーが繰り返し参照することになる。自動巻発電の「キネティック」、太陽光発電とクォーツを組み合わせる派生形などにも、共通する思想の系譜が読み取れる。

3. 業界への影響

スプリングドライブは、スイスを中心とする欧州の高級時計業界に対し、日本の時計製造が独自機構で対抗できることを示した事例として記憶されている。トゥールビヨンや高振動機械式といった既存の精度追求とは別の論理で年差±15秒を実現する手法は、業界の精度概念そのものを再定義する側面を持った。

また、赤羽の取り組みは、大企業内で20年以上にわたって続いた個人的執念のプロジェクトとしても異例である。第一次・第二次開発の中止後も、彼が試作3号機を自らの机の引き出しに保管していたという挿話が伝わる。組織のなかの発明家が、組織のリソースを使いながら個の構想を貫いた稀有な事例として、現代の企業研究開発のあり方を考えるうえでも参照される。

04 — Legacy

評価・後世への影響

What remains

没後の評価と継承

赤羽の構想を完成形へ導いたのは、開発の最終段階で中心的役割を果たした高橋理、小池邦夫をはじめとする後輩技術者たちである。彼らは赤羽の没後、スプリングドライブを1999年に「キャリバー7R68」として量産化し、2004年には自動巻機構を備えた「キャリバー9R65」搭載の、初のグランドセイコー スプリングドライブを世に送り出した。

スプリングドライブはその後、グランドセイコーの主力技術系統のひとつとして発展する。9R86(クロノグラフ)、9R96(高精度仕様)、9RA5(新世代薄型)、そして9RA2(プロフェッショナルダイバーズ用)へと展開され、いずれも赤羽が示した「機械式駆動・電子制御」の枠組みのなかで進化を続けている。

2021年、日本の国立科学博物館が選定する「未来技術遺産(重要科学技術史資料)」に「セイコー スプリングドライブ 7R68」が登録された。発案から44年、発売から22年を経ての公的な認定であり、赤羽の業績が時計史の文脈で確固たる位置を得たことを示している。

セイコーエプソンの拠点である長野県塩尻市の工場、およびセイコーミュージアム銀座では、スプリングドライブの開発史が継続的に発信されている。発案者の机に保管されていたという試作3号機のエピソードは、技術者個人の執念と組織の継承が交差した瞬間として、しばしば引用される。

05 — Works

この人物が関わったモデル