樫尾 俊雄
リレー式計算機「14-A」と腕時計「カシオトロン」を生んだ、カシオ創業四兄弟の次男で発明家(1925-2012)
- BORN
- 1925年
- DIED
- 2012年
- BRAND
- カシオ — 1946年創業
概要
樫尾俊雄(Toshio Kashio、1925-2012)は日本の発明家で、カシオ計算機を興した樫尾四兄弟の次男である。東京に生まれ、逓信省の技官を経て1946年に兄の町工場へ加わった。1957年の小型リレー式計算機「14-A」で会社の礎を築き、以後は開発部門を率いた。1974年には「時間は1秒1秒の足し算」という発想から、同社初の腕時計カシオトロンを開発している。電卓のために磨いた計算の技術を腕時計へ移し、カシオの時計事業の出発点をつくった技術者である。
生涯
01逓信省の技官から兄の町工場へ
樫尾俊雄は1925年、東京に生まれた。少年時代にトーマス・エジソンの伝記を読み、発明家を志した。電機学校で学んだのち、1940年、15歳で逓信省に入った。通信の技官として働き、1945年にはモールス通信の高速送信装置を特許出願している。
終戦の翌年、俊雄は長兄の樫尾忠雄が三鷹で営む樫尾製作所に加わった。顕微鏡の部品や歯車を請け負う小さな工場である。注文を待つだけでなく、何かを発明して兄を助けたいという考えからだったと伝わる。
最初の成果は「指輪パイプ」だった。指輪に吸い口を付け、両切りのたばこを根元まで吸えるようにした小物である。物資の乏しい時代に作るそばから売れ、その利益が後の計算機開発の元手になった。
02ソレノイドからリレーへ
転機は1949年、銀座のビジネスショウで見た外国製の電動計算機だった。モーターで歯車を回す方式で、音が大きく、計算にも時間がかかった。俊雄は、すべてを電気回路で処理すればこの欠点を除けると考えた。
最初に選んだのは、電磁石の一種であるソレノイドを使う方式である。1954年に試作機ができたが、商社の担当者には時代遅れと評されたと伝わる。掛け算の答えにさらに数を掛ける連乗の機能を欠いていたためだという。
カシオの社史によれば、連乗を加えた機械が完成に近づいた1956年、俊雄は設計を白紙に戻した。機構の込み入ったソレノイド式では量産が難しいと見て、電話交換機に使われていたリレー(継電器)で組み直す道を選んだ。1957年6月、リレー式の「14-A」が商品化され、同じ月にカシオ計算機が設立される。
03開発部門の長として
1960年代に半導体を使う電子式の電卓が現れると、計算機の主役はそちらへ移った。リレーにこだわった俊雄の判断が、カシオの出遅れを招いたとされる。
それでも開発の中心は俊雄にあり続けた。1974年11月には同社初の腕時計カシオトロンを、1980年1月には電子楽器「カシオトーン201」を送り出している。役職の面では、取締役技術部長として会社の設立に加わった。その後は開発本部長を経て、1988年に代表取締役会長、2011年に名誉会長となった。会長になってからも、本社ではなく羽村技術センターに会長室を置いたと伝わる。
04紙と鉛筆の晩年
1984年に藍綬褒章を受け、2007年には東京電機大学から名誉博士号を受けた。俊雄は晩年まで、紙と鉛筆で考えを書き留める方法を変えなかった。80歳を過ぎても、思索に没頭して夜を明かすことがあった。
口癖は「昨日の俺はバカだった」である。昨日と同じことを繰り返すだけなら仕事をしていないのと同じだ、とも語っている。俊雄は2012年5月15日、87歳で死去した。
業績・代表作
0114-A ― 計算機の操作を決めた設計
「14-A」は、341個のリレーで14桁の四則演算を行う卓上型の計算機である。カシオはこれを世界初の小型純電気式計算機と位置づけている。歯車式より静かで速く、官公庁や証券会社、一般企業の事務部門にも導入されたとされる。14-Aの発明は、1958年に東京発明協賛会会長賞を受けた。
この機械の新しさは、計算の仕組み以上に操作の側にあった。当時の計算機の多くは、桁ごとに0から9のキーを並べるフルキー方式だった。14-Aは数字キーを全体で10個にまとめた、いわゆるテンキーを採った。情報処理学会のコンピュータ博物館によれば、表示窓も一つで、入力した数を消して答えを示した。いまの電卓と同じ作法である。似た配列は米国の手動式加算機に先例があったが、俊雄はそれを知らずに考案したとされる。
1959年には平方根を求められる「14-B」、1962年にはプログラム機能を持つ科学技術用の「AL-1」が続いた。
02カシオトロン ― 時間を計算として扱う
俊雄が腕時計に向かった理由は、「時間は1秒1秒の足し算である」という捉え方にある。秒を積めば分になり、分を積めば時になる。同じ足し算を日付まで延ばせば、月の長さも計算で扱える。電卓のために磨いたLSIの技術は、そのまま時計の中身になり得た。
水晶振動子で時を刻むクォーツ時計が広がり始めた時期に、カシオは針ではなく数字で時を示す方式を選んだ。開発の合言葉は「完全自動腕時計」である。カシオトロンは時・分・秒に加えて大の月と小の月を自動で判別し、月末の日付合わせを不要にした。カシオはこのオートカレンダーを世界初としている。ただし、うるう年の2月29日は判別の対象外だった。
機械式時計で同じ働きを担うのは、歯車とカムの組み合わせである。うるう年までを読む永久カレンダーは、長く複雑時計の領域に置かれてきた。カシオトロンはその判別を論理回路の計算へ移し、カシオは後にうるう年まで扱うフルオートカレンダーへ進んだ。
03カシオトーン ― 音を二つに分ける
子どもの頃から音楽を好んだ俊雄は、55歳で電子楽器の開発に取り組んだ。誰でも手軽に演奏を楽しめる楽器をつくることが目標だった。楽器の音を、鳴り始めの「子音」と、続いて響く「母音」に分けて捉え、二つを組み合わせて音色を作る。この「子音・母音システム」を載せたのが、1980年のカシオトーン201である。
04「発明は必要の母」
三つの仕事を貫くのは、使い手がまだ気づいていない必要を先に形にするという考え方である。俊雄は「必要は発明の母」を古い言葉とし、「発明は必要の母」と言い換えた。
14-Aのテンキーは、桁ごとのキーを追う手間を省いた。カシオトロンは月末の日付合わせを、カシオトーンは楽器の習得にかかる時間を減らした。どれも、使い手に調整や熟練を求めない方向の発明である。
俊雄は、発明は1%のひらめきと49%の努力、50%の天運から成るとも語った。その天運とは兄弟に恵まれたことだという。着想を製品にし、量産し、市場へ届ける役は兄弟が担った。
評価・後世への影響
俊雄は共同名義を含めて313件の特許を取得した。その仕事を伝える場所は、晩年まで暮らした成城の住まいである。2013年6月、自宅の一部が樫尾俊雄発明記念館として公開された。館内には「数」「音」「時」の名を持つ展示室があり、「時の部屋」ではカシオトロンから続く腕時計の歩みを紹介している。2015年6月には、カシオの多機能腕時計を集めた期間限定の展示も同館で開かれた。記念館は小学生を対象にした発明アイディアコンテストを毎年開き、俊雄の志を次の世代へ伝えている。
建物そのものも評価の対象になった。住宅の設計は滝沢健児である。2025年11月の文化審議会の答申を経て、建物は国の登録有形文化財(建造物)となった。文化庁の文化遺産データベースは、国分寺崖線の上に建つ発明家の旧宅として紹介している。
腕時計の側では、カシオトロンの開発思想がいまも参照されている。2024年、時計事業の50周年を記念して初代を復刻した「TRN-50」が発売された。外観は初代を再現し、中身には標準電波の受信、スマートフォンとの連携、ソーラー駆動を収めている。時刻も日付も使い手に合わせさせない「完全自動腕時計」の考え方は、半世紀を経て電波とスマートフォン連携に引き継がれた。
時計史の中で見ると、俊雄は時計師でもデザイナーでもない。腕時計を計算の応用として捉え、カシオの時計事業の出発点を据えた技術者である。後に続く多機能デジタルウオッチの系譜は、その発想の上に積み上がっていった。
出典
本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。
- 01 公式 1970年代 | カシオの歴史
- 02 公式 1980年代 | カシオの歴史
- 03 公式 【発明の日】エジソンに憧れた父・樫尾俊雄を想う
- 04 公式 カシオの歴史
- 05 公式 カシオ腕時計50周年!カシオトロン復刻モデル「TRN-50」開発者インタビュー
- 06 公式 樫尾 俊雄 | 樫尾四兄弟
- 07 公式 ニュースリリース(発明アイディア コンテスト)
- 08 公式 樫尾俊雄について
- 09 公式 国登録有形文化財(建造物)の登録について
- 10 公式 樫尾, 俊雄, 1925-2012 - Web NDL Authorities
- 11 公式 地域から見る 文化遺産オンライン(東京都・世田谷区)
- 12 報道 カシオ、時計事業50周年記念 「カシオトロン」を復刻した限定ウオッチ
- 13 報道 Fallece a los 89 años Kazuo Kashio, cofundador de Casio
- 14 報道 親しみやすい天才発明家――カシオ計算機創業者の素顔に触れられる「樫尾俊雄発明記念館」(1/2 ページ)
- 15 報道 親しみやすい天才発明家――カシオ計算機創業者の素顔に触れられる「樫尾俊雄発明記念館」(2/2 ページ)
- 16 報道 Kazuo Kashio, a Founder of Casio Computer, Dies at 89
- 17 報道 昨日の俺はバカだった:カシオ計算機の礎を築いた開発人生―成城「樫尾俊雄発明記念館」
- 18 報道 カシオが考える理想のスマートウォッチ像
- 19 報道 カシオの「数」「音」「時」の部屋で発明の歩みを知る
- 20 報道 樫尾俊雄氏が死去 元カシオ計算機会長
- 21 専門メディア 「発明は必要の母」 現代に通じるカシオ創業者の発明哲学
- 22 専門メディア Vintage electronic watches on display at Casio founder’s home
- 23 専門メディア 【Casio Computer】Casio 14-A