フィリップ・デュフォー
Grande Sonnerie、Duality、Simplicityを生んだ、ヴァレ・ド・ジュー出身のスイス人独立時計師
- BORN
- 1948年
- DIED
- 存命
概要
フィリップ・デュフォー(Philippe Dufour、1948年生)は、スイス・ヴァレ・ド・ジュー出身の独立時計師である。1992年にバーゼル国際時計宝飾見本市で発表した世界初の腕時計用グランド・ソヌリ、1996年の二テンプ機構腕時計「Duality」、そして2000年に発表した時分秒のみの三針時計「Simplicity」で知られる。ジャガー・ルクルト、ジェラルド・ジェンタの会社、オーデマ ピゲなどで働いたのち、1978年に自らの工房を構えた。手仕上げによる伝統技法の継承を担う存在として、現代の独立時計界で広く敬意を払われている。
生涯
01ヴァレ・ド・ジューに生まれて
デュフォーは1948年、スイス西部の渓谷ヴァレ・ド・ジュー(Vallée de Joux)のル・サンティエに生まれた。ジャガー・ルクルト、オーデマ ピゲ、ブレゲなどの工房が集中する、18世紀以来の時計製造の中心地である。地元のヴァレ・ド・ジュー時計学校(Ecole d'Horlogerie de la Vallée de Joux)で学び、時計師の道を歩むことになる。
02ジャガー・ルクルトから独立まで
1967年、卒業後にジャガー・ルクルトに就職。その後ジェネラル・ウォッチ社に移り、カリブ海の組立部門に配属された。1974年にスイスに帰国後はジェラルド・ジェンタの会社、続いてオーデマ ピゲで働く。
独立を志したデュフォーは、1978年に設備の整った工房を買い取り、古典時計の修復を手がけながら技術と知識を広げていった。
03自らの名を冠した最初の時計
彼が最初に手がけたムーブメントは懐中時計用のグランド・ソヌリで、1982年にオーデマ ピゲから5個の発注を受ける。1個あたり約2,000時間の手作業を要したと伝わる。
この仕事では彼の名は表に出なかった。AP への納品を終えたデュフォーは、自らの名で仕事をする自信を得たとされる。
04ヴァレに残るという選択
1992年のバーゼル発表を契機に、デュフォーは独立時計師としての国際的評価を確立する。1987年から独立時計師アカデミー(AHCI)の会員でもある。ロベール・グルーベル、ステファン・フォーゼイらとともに伝統技法の継承活動にも関与してきた。コレクターのクロード・スフェア(Claude Sfeir)はデュフォーのビジネス・パートナーとして知られる。現在は時計師である娘マガリとともに仕事をしている。アトリエを大都市に移すことはなく、生まれ育ったヴァレ・ド・ジューに留まったまま、現代独立時計界の精神的支柱と仰がれる立場にある。
業績・代表作
01グランド・ソヌリ:1989年−1992年
デュフォーが独立時計師としての地位を確立したのは、グランド・ソヌリ(grande sonnerie、大時打ち)機構を実装した一連の作品によってである。グランド・ソヌリは時打ち・刻打ち・ミニッツリピーターを統合した複雑機構で、20世紀後半に至っても、懐中時計でさえ製造例の限られる存在であった。
1992年、デュフォーはバーゼルの場で、懐中時計用に開発した同機構を腕時計に小型化した作品を披露した。自らの名を冠した最初の腕時計であり、ミニッツリピーターを備えた世界初のグランド・ソヌリ腕時計とされる。
02Duality:1996年
1996年発表のDualityは、1930年代にヴァレ・ド・ジューで作られた学校時計に着想を得た作品で、二つの脱進機を差動装置でつないだ構造を採る。各テンプの個別誤差を相殺して精度を高めることを狙った設計である。当初は25本が計画されたが、Simplicity に注力するため製作は9本で止められたとされる。
03Simplicity:2000年−
2000年のバーゼルで、デュフォーは複雑時計の系譜から離れ、時・分・秒のみの三針手巻き腕時計「Simplicity」を発表する。1950〜60年代のエレガントな様式に着想を得たとされ、外装は控えめである一方、ムーブメントの仕上げにこそ作品の本質が置かれた。
ジュネーブ波形装飾(Côtes de Genève)の彫り深さ、ブリッジ内角に施された内アングル(anglage、面取り)の鋭さ、桟側面・歯車面・ねじ頭に至るまでの一貫した手仕上げ。これらは20世紀後半の工業化の中で失われつつあった技法そのものであった。製作数は約200本とされ、2020年には20周年記念版も作られた。Simplicityは特に日本のコレクターから熱烈に支持されたとされる。
04設計言語と継承の活動
デュフォーの作品を貫く設計言語は「過去の規範に従う」点に要約される。機構面でも仕上げ面でも、産業化以前のヴァレ・ド・ジューの規範に照らして仕事を進める姿勢である。
この姿勢は技術の継承活動にも結実している。グルーベル、フォーゼイらとのプロジェクト「Naissance d'une Montre(時計の誕生)」では、若手時計師ミシェル・ブーランジェ(Michel Boulanger)に伝統技法を伝えたとされる。
評価・後世への影響
デュフォーの仕事がもたらしたものは、作品そのものより評価の基準である。ブリッジ内角の手仕上げ、桟側面の磨き、ねじ頭に至るまでの一貫性。産業化のなかで採算に合わないとして省かれてきた工程が、独立時計の品質を測る物差しとして共有されるようになった。仕上げを語る際に彼の名が参照点として持ち出される状況は、現在も変わっていない。
独立時計師という業態が経済的に成立しうることを示した点も大きい。少量生産で工房を維持し、その仕事が国際的に評価されるという道筋が、後続の作り手に選択肢として開かれた。産業化以前のヴァレ・ド・ジューの規範を現在へ接続し、技法を人から人へ渡す作業に軸足を置いたことが、この時計師の役割だったといえる。生まれた渓谷から工房を動かさなかったことも、その姿勢の一部として受け止められている。
出典
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