ジョン・ハーウッド
腕の動きで巻き上がるリューズのない腕時計を考案し、1926年の量産化へ道を開いた英国の時計師
- BORN
- 1893年
- DIED
- 1964年
概要
ジョン・ハーウッド(John Harwood、1893-1964)は英国の時計師である。腕の動きでゼンマイを巻く自動巻き腕時計を考案した。ランカシャーのボルトンに生まれ、第一次世界大戦後はマン島ダグラスの工房で腕時計の修理に就いた。リューズを持たない機構で英国とスイスに特許を出願し、スイスのフォルティスとA.シルトの協力で1926年に量産化を果たす。自身の会社は不況のなかで行き詰まったが、量産された自動巻腕時計の起点として名を残している。
生涯
01ボルトンからマン島へ
ジョン・ハーウッド(John Harwood)は1893年、イングランド北部ランカシャーのボルトンに生まれた。時計修理の技術を身につけた後、第一次世界大戦に従軍する。腕時計が自ら巻き上がるという構想は、西部戦線の塹壕で芽生えたと伝わる。
復員後、ハーウッドはマン島に移り住んだ。島の中心地ダグラスの小さな工房で、腕時計の修理を生業とする。持ち込まれる時計の多くは、同じ種類の不調を抱えていたと伝わる。リューズの軸が通る穴から塵や湿気が入り込み、機械を傷めていた。修理の現場で繰り返し目にしたこの弱点が、のちの発明の出発点となる。
02試作と特許
大英博物館の解説によれば、ハーウッドは1922年、スイス製13リーニュのムーブメントを土台に試作を始めた。本人は後年、最初の試作品は満足に働かなかったと回想している。限られたケースの中で、錘の動きと巻き上げ輪列の釣り合いを割り出すまでに長い時間を要したと語っている。
二つ目の試作では、時刻を合わせる方法も改めた。1923年に英国で特許を出願し、同年10月にはスイスでも出願する。スイス連邦の特許第106583号は、1924年に成立した。修理工として抱いた着想は、こうして権利の形を得た。
03事業化への道と挫折
特許を得ても、製品化の道はすぐには開けなかった。資金の後ろ盾を得るまでに、さらに4年ほどを要したとされる。協力先を求めたスイスでは、グレンヘンのフォルティスとA.シルトが量産を引き受けた。英国での販売のために、Harwood Self-Winding Watch Companyも設立される。
しかし事業は長く続かなかった。1929年に始まる世界恐慌が時計の需要を冷やし、会社は1930年代初めに清算へ追い込まれたとされる。発明者としての功績は、事業の成功には結びつかなかった。
04晩年と評価の回復
自動巻腕時計の起源については、後年ロレックスの広告が自社の発明であるかのような印象を与えた。ハーウッドはロレックスと書簡を交わし、発明者の名をめぐって争ったと伝わる。1956年6月、ロレックスは英紙サンデー・エクスプレスに訂正を載せ、ハーウッドを発明者と認めた。創業者のハンス・ウィルスドルフも、ハーウッドの功績を認めたと伝わる。
翌1957年には、英国時計学会(British Horological Institute)から金メダルを贈られたとされる。ハーウッドは1964年に世を去った。
業績・代表作
01巻き真の穴をなくすという発想
ハーウッドが目指したのは、巻く手間を省くことだけではなかった。当時の腕時計は毎日リューズで巻く必要があり、その巻き真がケースを貫いていた。自動で巻き上がるなら、巻き真もリューズも要らない。開口部をなくせば、ケースは塵や湿気に強くなる。修理工として見てきた故障の原因を、構造そのものから取り除こうとしたのである。
巻き上げの動力には、ケース内で往復する錘を用いた。錘の振れ幅は限られ、両端に設けたばねで向きを変える。のちにバンパー式と呼ばれる方式で、仕組みの詳細は年表記事ハーウッド自動巻で扱う。
02リューズに代わる操作系
リューズを捨てた以上、時刻を合わせる別の手段が要る。ハーウッドは、文字盤を囲むベゼルを回して針を動かす方式を考えた。ベゼルの縁には刻み目が付けられ、指先で回しやすく作られている。文字盤の小窓には赤い点がのぞき、針合わせの状態にあるかどうかを示す。大英博物館が所蔵する1929年製の個体は、手で巻く機構を持たない。ゼンマイは、着用者の腕の動きだけで巻かれる。
03スイスでの量産化
構想を量産品に変えたのは、スイス・グレンヘンの製造者たちである。エボーシュ(半完成ムーブメント)をA.シルトが供給し、組み立てと販売をフォルティスが担った。フォルティス創業者のヴァルター・フォークトは、この発明の意義を認めて量産を引き受ける。製品は1926年のバーゼル見本市で公開され、同年7月13日に最初の出荷が始まった。
ブランパンもハーウッドと協業し、自社のベースムーブメントを用いた円形の自動巻腕時計を1926年に手がけたと伝わる。総生産数はおよそ3万本とされ、ケースや文字盤の異なる派生品も作られた。量産品として世に出た自動巻腕時計は、ハーウッドのものが最初と広く位置づけられている。
04オートリストと設計の一貫性
ハーウッドは、錘を用いない別方式の自動巻も考案した。オートリスト(Autorist)と名づけられたこの腕時計は、ストラップの動きを巻き上げの動力にする。ストラップとケースの連結部を介して、ゼンマイが巻かれる仕組みである。製造は再びA.シルトとフォルティスが担った。
ハーウッドの仕事に共通するのは、使い手の手間を減らしつつ、時計を外界から守ろうとする発想である。複雑な機構を足して性能を誇るのではなく、壊れにくさを構造から確保しようとした。修理台の前で磨かれたこの考え方が、二つの発明を貫いている。
評価・後世への影響
01没後の評価
ハーウッドの死から2年後の1966年、スイスの業界誌ヨーロッパ・スターが回顧記事を載せた。自動巻腕時計の開発と、フォルティスによる発売の経緯をたどる内容である。
効率の面では、ハーウッドの方式は後発に道を譲った。1931年にロレックスが全回転ローターのパーペチュアルを発表し、やがて全回転式が主流となる。それでも、量産された自動巻腕時計の起点という位置づけは変わっていない。大英博物館は1929年製の銀ケースのハーウッドを所蔵し、時計展示室で公開している。オーストラリアのビクトリア博物館も、オートリストを収蔵品に加えている。
02マン島とグレンヘンに残る名
2020年、マン島郵便局は島ゆかりの時計師を描いた6種の切手を発行した。ハーウッドは、ジョージ・ダニエルズやロジャー・W・スミスと並んで図案に取り上げられている。フォルティスが今も操業するグレンヘンの社屋は、ジョン・ハーウッド通りに面するとされる。
2026年、フォルティスは最初の出荷から100年を記念し、ハーウッドとの歩みを改めて紹介した。同社は自動巻腕時計の発明そのものではなく、量産化の担い手としての役割を前面に出している。発明者と製造者を分けて語るこの整理によって、ハーウッドの名は改めて自動巻腕時計の起点に置かれている。
出典
本文の執筆にあたって参照した資料。閲覧日は内容を確認した日を示す。
- 01 公式 wrist-watch; self-winding watch; watch-case
- 02 公式 100 Years of Automatic Watchmaking | Fortis Harwood Automatic 1926
- 03 公式 Wrist Watch - Fortis 'Autorist' Switzerland, circa 1933
- 04 報道 Post Office stamps celebrate our links with watchmakers
- 05 専門メディア Fortis marks the centenary of the Harwood automatic wristwatch
- 06 専門メディア Fortis redefined
- 07 専門メディア #TBT John Harwood And The World’s First Automatic Wristwatch
- 08 専門メディア A Century Of Automatic Watch Movements With Fortis And John Harwood
- 09 専門メディア Automatic sliding