ハインリヒ・モーザー
ロシア皇室に時計を納め、故郷シャフハウゼンに水力と工業をもたらしたスイスの時計師
ハインリヒ・モーザーは1805年、シャフハウゼンの時計師の家に生まれた。ル・ロックルで研鑽を積んだのち1826年にロシアへ渡り、1828年にサンクトペテルブルクで時計商を設立する。ロシア皇室や貴族の御用達となり、生涯に約50万本の時計を製作したと伝わる。1848年に故郷へ戻ると、ライン滝の水力に着目してモーザー・ダムの建設を主導し、シャフハウゼンの工業化を推し進めた。1868年にフローレンタイン・アリオスト・ジョーンズがIWCを創業した際には、工場と電力を提供してこれを後押ししている。1874年に没した。
生涯
1. 時計師の家に生まれて
1805年、シャフハウゼンの時計師の家に生まれた。一族は街の公共時計の保守を代々任されてきたが、年若いハインリヒには順番が回ってこなかった。ル・ロックルで研鑽を積んだのち、1826年にロシアへ向かう。
2. サンクトペテルブルクでの成功
1828年、サンクトペテルブルクで時計商を設立する。ロシア皇室や貴族の御用達となり、スイスとロシアを結ぶ製造販売の基盤を整えた。生涯に約50万本の時計を製作したと伝わる。
3. 故郷への帰還と工業化
1848年、ハインリヒは故郷シャフハウゼンに戻る。当時のシャフハウゼンはまだ農業色の濃い地方都市であったが、ライン滝の水力に着目した彼は1853年に時計ケース製造工場を立ち上げ、発電設備の建設にも携わった。1864年に完成するモーザー・ダムの建設を主導し、地域の工業化を牽引する。
1874年に没した後、会社の経営は両国の支配人に分割された。ロシア事業は順調に拡大したが、1917年のロシア革命を経て1918年に資産を失うことになる。
業績・代表作
1. スイスとロシアを結ぶ製造販売
サンクトペテルブルクの時計商を拠点に、スイスで製造した時計をロシア市場へ供給する体制を築いた。皇室や貴族を顧客に持ち、19世紀のロシアにおけるスイス時計の地位を確立した一人である。
2. IWC創業への支援
1868年、米ボストン出身のフローレンタイン・アリオスト・ジョーンズがシャフハウゼンにインターナショナル・ウォッチ・カンパニーを創業した際、ハインリヒは工場と電力を提供してこれを後押しした。ライン川の水力を電力へ変える設備は、彼が主導したモーザー・ダムによるものである。
評価・後世への影響
1. ブランドの再興
2002年、元IWC技術部長のユルゲン・ランゲ博士が、ハインリヒの曾孫ロジャー・ニコラス・バルジガーとともにモーザー・シャフハウゼンAGをノイハウゼン・アム・ラインフォールに設立した。2005年、創業者ハインリヒの生誕200年に合わせてブランドは正式に再出発する。
2. 地域への遺産
モーザー・ダムはシャフハウゼンの工業化を支え、IWCをはじめとする同地の時計産業の基盤となった。時計師としての事績にとどまらず、地域の産業構造を変えた人物として記憶されている。