設計思想
無銘の文字盤という宣言
2015年3月、バーゼルワールドを前にH. モーザーは1枚の写真を公開した。フュメ(スモーク)文字盤からロゴ、インデックス、文字情報のすべてを取り除いた「エンデバー・コンセプトウォッチ・フュメ」である。「#RedefineLuxury」のタグとともに示されたこの一点物は、過剰なブランディングへの異議申し立てだった。本当のラグジュアリーは、画家の署名がなくとも判別できる絵画のように、製品そのものの質で語られるべきだ——それがメイラン家体制下のモーザーが投げかけた問いである。
2012年にMELBホールディングの傘下に入り、翌年エドゥアール・メイランがCEOに就任して以降、モーザーは小規模マニュファクチュールならではの挑発的な発信を模索していた。無銘の文字盤はその最初の明確な回答であり、後の「スイス・アルプ・ウォッチ」(2016年)に連なる批評的プロダクトの起点でもある。
一点物から4本の限定へ
当初ユニークピースとして構想されたコンセプトウォッチは、予想を超える反響を呼んだ。これを受けてモーザーは同年5月、各10本限定の4リファレンスからなる「エンデバー・センターセコンド・コンセプト」コレクションを発表する。ホワイトゴールドの1343-0208と1343-0207、ローズゴールドの1343-0106と1343-0107という構成で、ケース素材2種と文字盤2色(伝統的なロジウム仕上げのフュメ、ミッドナイトブルー・フュメ)の組み合わせが用意された。
ベースとなったのは、旧称モナールとして知られる3針モデル、エンデバー・センターセコンドである。機構面の変更はなく、変えたのは「何を消すか」だけ。この引き算こそがコレクションの本質だった。
1343-0107という選択
4本のうち1343-0107は、ローズゴールドケースにミッドナイトブルー・フュメを合わせた唯一の構成である。ロジウム系フュメが金無垢ケースと同系の暖色でまとまるのに対し、本機は温かい金色と冷たい青の対比を軸に据える。手がかりとなる表示が皆無の文字盤では、色のグラデーションそのものが意匠の主役となるため、この寒暖の対比は4本の中でも視覚的な振れ幅が最も大きい。
コンセプトの定着
実験として始まった無銘文字盤は、その後モーザーの代名詞へと育っていく。ファンキーブルー文字盤の1343-0108などの派生を経て、コンセプト文字盤は定番コレクションに組み込まれ、自動巻きの1200系リファレンスへと受け継がれた。1343-0107は、その系譜の出発点に立つ最初期の製品版という位置を占める。
意匠分析
1343-0107の設計は、エンデバー・センターセコンドの標準仕様から「引いた」結果として成立している。ケースは18Kローズゴールドの3ピース構造で、径40.8mm、厚さ10.9mm。側面はポリッシュとサテン仕上げが交互に切り替わり、無銘の文字盤に代わってケース自体が造形の見せ場を担う。風防はサファイアクリスタル、裏蓋はシースルーバックである。
文字盤はミッドナイトブルー・フュメ。中心から外周へ向けて暗くなるサンバースト仕上げのグラデーションが施され、インデックスもロゴも刷りも存在しない。時刻はリーフ型(木の葉型)の時分針とセンターセコンドの位置関係から読み取ることになり、分単位の正確な読み取りは想定されていない。視認性を犠牲にしてでも色面の純度を優先する——この割り切りが本機の設計思想そのものである。なお、ダイヤル上から消されたモーザーのロゴは、尾錠とムーブメントには刻まれており、「無銘」はあくまで文字盤に限定された演出である点も興味深い。
シースルーバック越しに見えるのは手巻きのCal.HMC 343。毎時18,000振動 (2.5Hz)というスロービートで、ツインバレルにより最低7日間のパワーリザーブを確保する。リザーブ表示を文字盤側ではなくムーブメント側に置く構成は、無地の文字盤と必然的に整合する。脱進機は工具レベルで着脱可能なモジュール式で、姉妹会社プレシジョン・エンジニアリングAG製のストローマン・ヒゲゼンマイ(ブレゲ・オーバーコイル付き)を備える。ガンギ車とアンクルに金を用いる仕様も、外装の静けさとは対照的な機構面の饒舌さといえる。
ストラップはハンドステッチのブラウン・アリゲーターで、ローズゴールドの尾錠が付属する。兄弟機の1343-0106がカーフを合わせるのに対し、ミッドナイトブルーの本機には伝統的なアリゲーターが選ばれた。
系譜と歴史
本機の歴史は、2015年3月上旬に公開された一点物の「エンデバー・コンセプトウォッチ・フュメ」に始まる。バーゼルワールド2015を前にした事前発表で、ホワイトゴールドケースに無銘のフュメ文字盤を載せた特注対応のユニークピースとして提示された。会期中の反響は大きく、モーザーはこの実験を製品化する決断を下す。
2015年5月、各10本限定の4リファレンスからなるエンデバー・センターセコンド・コンセプト・コレクションが発表され、1343-0107はその1本として世に出た。ローズゴールドケース、ミッドナイトブルー・フュメ文字盤、ブラウン・アリゲーターストラップという構成で、生産は2015年、限定数は10本である。
以降、本機自体に仕様変更や再生産は確認されていない。一方でコンセプト文字盤の系譜は拡張を続け、同じCal.HMC 343を積むファンキーブルー仕様(ローズゴールドの1343-0108、ホワイトゴールドの1343-0209)が加わったのち、自動巻きCal.HMC 200系を搭載する1200系リファレンスやスティールケースへと展開された。2020年にはコンセプト誕生5周年を記念する限定モデル群が発表され、無銘文字盤は実験から定番へと完全に移行した。現行カタログのコンセプト系モデルは1200系が中心であり、手巻き7日巻きの1343系コンセプトは初期限定版としてこの系譜の起点に位置づけられる。