設計思想
異色の依頼主への、異色の回答
ブヘラの「ブルー・エディションズ」は、Tudor、IWC、ブランパンなど多数のブランドが参加してきた同店専売シリーズであり、青を共通の意匠言語とすることが約束事だった。H.モーザーはすでにヴェンチャー・スモールセコンドのブヘラ仕様で一度この企画に参加していたが、2018年の2作目では発想を裏返した。文字盤を青く染めるのではなく、ムーブメント側のテンプ、テンプ受け、ローターを青で仕上げ、表側にはアンスラサイトのフュメ文字盤を据えたのである。シースルーバックを覗いたときに初めて「ブルー・エディション」の意味が立ち上がる構成は、企画の制約を逆手に取った回答だった。
ミニマリズムの対極にある原点回帰
当時のモーザーは、インデックスもロゴも削ぎ落としたコンセプト文字盤や「Swiss Mad Watch」のような挑発的な企画で、現代的ミニマリズムの旗手として認知されていた。その文脈で登場した本機は明確な異物である。ワイヤーラグ、玉ねぎ型リューズ、レイルウェイ分目盛、夜光塗料を厚く湛えたアラビア数字とソード針。いずれも20世紀初頭の軍用・飛行士時計の定番文法であり、モーザーがそれまで一度も使わなかった語彙だった。意匠の典拠は、創業者ハインリヒ・モーザーゆかりの博物館に収蔵される20世紀初頭の自社製タイムピースとされる。懐中時計にラグを後付けして腕に巻いた時代の記憶を、自社の歴史から汲み上げた原点回帰である。
新コレクションの試金石として
本機が単なる小売店限定の変わり種に終わらなかった点は、その後の展開が証明している。発表から1年後の2019年11月、モーザーはフュメの代名詞「ファンキーブルー」文字盤を載せた量産型ヘリテージ・センターセコンド 8200-1201を発表し、ヘリテージを正規コレクションへ昇格させた。以後、トゥールビヨン、パーペチュアルカレンダー、デュアルタイム、ブロンズ限定の「Since 1828」へと派生が続く。発表当時から、本機はヘリテージ路線の市場反応を測る試験的な一本と見られており、その読みは結果として正しかった。CHF11,900という同社では最も手の届きやすい価格帯の設定も、新路線の間口を広げる判断だったと言える。8200-1200は一度きりの専売モデルでありながら、現在まで続くコレクションの設計図を最初に描いたリファレンスである。
意匠分析
ケースは直径42mm、厚さ11.1mmのステンレススチール製で、全面ポリッシュ仕上げとする。最大の個性は細い針金状のワイヤーラグである。これは20世紀初頭、懐中時計にラグを溶接して腕時計化した時代の手法を引用したもので、ケース本体の量感に対して取り付け部を意図的に華奢に見せることで、改造懐中時計の佇まいを再現している。リューズは玉ねぎ型で、側面に刻みを持ち「M」のロゴが刻印される。
文字盤はアンスラサイトのフュメで、サンバースト仕上げの上を外周に向けて暗く沈ませる。光の角度によって煙るような黒からモカ寄りの色味まで表情を変える点が、単色のグレー文字盤との違いである。アラビア数字とソード針にはスーパールミノバが塗布されるが、数字は塗装による平面的な処理である。翌年の8200-1201が立体的なセラミック系夜光素材グロボライトのアップライト数字を採用したのに対し、本機の文字盤はより古典的な版画調にとどまる。この差は、本機がヘリテージの意匠を最初に試した段階の設計であることを物語る。
搭載するCal.HMC 200は直径32.0mm、厚さ5.5mmの自動巻で、毎時21,600振動 (3Hz)、パワーリザーブは最低72時間。姉妹会社プレシジョン・エンジニアリング製のオリジナル・ストローマン・ヒゲゼンマイを備え、受けにはモーザー・ダブルストライプが施される。本機専用仕様として、ローター、テンプ、テンプ受けが青く仕上げられ、シースルーバック越しにブヘラの企画色を表側に出さず示す。裏蓋には「BUCHERER 1888」の刻印が入ると伝わる。ストラップはキャラメル色のクーズー革で、裏地に青い革をあしらい、ステンレススチール製ピンバックルで留める。防水は30mで、実用上は日常生活防水にとどまる設計である。
系譜と歴史
8200-1200は2018年11月下旬に発表された。ブヘラが自社専売企画として展開する「ブルー・エディションズ」の一作で、モーザーからは38mmのエンデバー・ダイヤモンズ・ブヘラ・ブルー・エディションと同時に公開されている。モーザーにとってはヴェンチャー・スモールセコンドのブヘラ仕様に続く2本目のブヘラ専売モデルだった。発表時の価格はCHF11,900で、販売はブヘラ店舗に限定された。本数を区切ったナンバード・リミテッドではなく、販路を限定した専売モデルという位置づけである。
本機は既存コレクションの派生ではなく、「ヘリテージ」という新しい製品系統の第1作として世に出た。発表から約1年後の2019年11月、モーザーはファンキーブルー文字盤と立体夜光数字グロボライトを備えた量産型のヘリテージ・センターセコンド 8200-1201を発表し、ヘリテージは特定小売店の限定企画から同社の正規コレクションへと移行した。以後、同系統にはヘリテージ・トゥールビヨン 8804-1200、ヘリテージ・パーペチュアルカレンダー 8341-0400、ヘリテージ・デュアルタイム 8809-1200が加わり、2021年11月にはドバイ・ウォッチ・ウィークで50本限定のヘリテージ・ブロンズ「Since 1828」8200-1701が発表されている。
ブヘラ専売だった本機自体に、生産期間中の仕様変更は確認されていない。現在のモーザー公式サイトのヘリテージ・コレクションには8200-1201と8809-1200のみが掲載されており、本機は掲載されていない。一度きりの小売店エディションとして役目を終え、系譜の起点として記録される存在となっている。