装飾技芸の系譜と1990年代の予兆
ヴァシュロン・コンスタンタンは1755年の創業以来、エナメル絵付け、彫金、ギヨシェ、宝石嵌めといった装飾技芸を時計に取り入れてきた。19世紀から20世紀初頭にかけては懐中時計や装身具時計に装飾が施されたが、20世紀後半には装飾技芸そのものが時計業界全体で衰退の道を辿る。クォーツショックを経た時計産業が機械式の精度や複雑機構へと回帰するなかで、装飾工芸を時計の主役に据える試みは長らく傍流であった。
転機は1990年代に訪れる。同社のスタイル&ヘリテージ部門ディレクターであるクリスチャン・セルモニ氏は、当時を「これらの工芸を絶やさぬよう、ごく少数の懐中時計をミニチュアエナメル文字盤で生産していた」と語っている。1996年に発表された「Mercator」は、16世紀のフランドルの地理学者ジェラルドゥス・メルカトルの地図をシャンルヴェ・エナメルで文字盤に描いた腕時計であり、装飾工芸を主役にした腕時計シリーズの先駆として位置づけられる。1996年には博物学者ジャン=ジャック・オーデュボンの鳥類画を同じくシャンルヴェで描いた限定モデルも続いた。