設計思想
小売店との協業が生んだ系譜
703.S3の背景には、ノモスとアムステルダムの時計商エースジュエラーズが重ねてきた協業の歴史がある。エースジュエラーズは家族経営の小売店でありながら、早くからオンライン販売に取り組んだことで知られる。両者の関係は2010年代半ばに始まり、2017年のオリオン「デ・ステイル」を皮切りに、タンジェント、クラブ キャンパス38「アムステルダム」、チューリッヒ ヴェルトツァイトの各限定が続いた。2020年のクラブ キャンパス38「#NomiesForLife」を経て、703.S3は協業5周年を記念する6作目として企画された。
なぜクラブ36だったのか
ベースに選ばれたのは、ノモスのエントリーモデルにあたるクラブ36である。エースジュエラーズによれば、クラブ36を土台とした限定は過去10年で3例目に過ぎないとされる。最も手の届きやすいモデルを選んだことで、限定でありながら価格の敷居を上げない構成が成立した。装飾を削ぎ落としたクラブの文字盤は、色彩の置き換えだけで表情が大きく変わる。協業の記念作に求められた「分かりやすい特別さ」を、機構ではなく色で実現する選択だった。配色は青と橙。エースのコーポレートカラーに由来し、同時にオランダの国民色である橙を想起させる。
150本を分け合う兄弟Ref
通常のクラブ36には、ソリッドバックの701とサファイアバックの703という2つのRefが存在する。この限定はその構造をそのまま写し取り、シースルーバックの703.S3が100本、ソリッドバックの701.S3が50本という構成をとった。裏蓋の仕様で生産数を分けるやり方は、ベースコレクションの設計思想を限定にも貫いた点で興味深い。本Refはその多数派、すなわち手巻きキャリバーAlphaの背面を眺められる側である。
第一世代クラブ36の終盤を飾る一本
703.S3が依拠した第一世代のクラブ36は、その後2022年に703.S4(NOMOS Watch Club向け特別仕様)の土台にもなり、2023年にはベースモデル自体が701.1/703.1のMk2世代へ移行した。結果として本Refは、初代クラブ36の設計を基にした最後期の限定群に位置づけられる。小売店との協業文化と、エントリーラインの世代交代。その2つの文脈が交差する地点に立つRefである。
意匠分析
703.S3の設計は、ベースの703と意図的にほぼ同一である。36mm径・厚さ8.2mmのポリッシュ仕上げスティールケース、18mmのラグ幅、100m防水という骨格に変更はない。この薄さで100m防水を確保する点はクラブ系の特徴であり、限定でもその実用性格は崩されていない。
固有性は文字盤に集約される。細かな粒状の質感を持つ深い青の地に、橙のアラビア数字が並ぶ。数字は白で縁取られ、暗い地色の上でも輪郭が立つ。ミニッツトラックは白で、5分刻みの2桁数字を刷り込むクラブ伝統の様式を踏襲する。時分針はロジウムプレートで、白のスーパールミノヴァを充填。スモールセコンドの針には橙が差され、文字盤の配色と呼応する。通常のクラブ36が白銀の地に赤や金のアクセントを置くのに対し、本Refは青と橙という強い2色を主役に据え、白を脇役に退かせた。発表時のレビューでは、金属枠に収まった白い夜光の矩形プロットが独立した存在感を放つ、という観察も示された。
シースルーバックの内側には手巻きキャリバーAlphaが見える。厚さ2.6mmのこのムーブメントが、8.2mmのケース厚を支えている。グラスヒュッテ様式の3/4プレート、ストライプ装飾、青焼きネジといった伝統的な仕上げを備え、毎時21,600振動 (3Hz)、パワーリザーブは約43時間。ストラップは黒のホーウィン社製シェルコードバンで、2本のNATOストラップが付属する。色で遊ぶ文字盤に対し、付け替えの余地まで用意した構成である。
系譜と歴史
703.S3は2021年9月下旬に発表された。専門メディアでは同年9月23日前後に一斉に紹介され、販売は同月末からエースジュエラーズの店舗とオンラインのみで行われた。発表年は両者の協業が始まってから5年の節目にあたり、本Refはその記念作という位置づけで世に出ている。生産はシースルーバックの本Refが100本、ソリッドバックの701.S3が50本の計150本。シースルーバックの本Refでは、裏蓋から手巻きキャリバーAlphaを眺めることができる。限定本数を裏蓋仕様で分ける構成は当初から固定されており、生産期間中の仕様変更は確認されていない。完売時期は公表されていない。その後、土台となった第一世代クラブ36からは2022年6月に703.S4(NOMOS Watch Club向け)が派生し、2023年にはベースモデルがMk2世代の701.1/703.1へ更新された。703.S3自体は一度きりの限定生産であり、現行品ではない。