イギリスの通史
脱進機と精度で時計学を率いた英国は、産業化の遅れで覇権を失い、手仕事の価値として甦りつつある。
要旨
Summary17〜18世紀の英国は、トンピオン、グラハム、マッジ、ハリソンらを擁し、脱進機と海洋クロノメーターで時計学の頂点に立った。ロンドンのクラーケンウェルを中心に、英国製の懐中時計は世界で最も精巧とされた。だが英国の時計師は最高の手仕事に固執し、量産機械化への転換が遅れた。19世紀半ば以降、機械化を進めた米国とスイスに市場を奪われ、二度の大戦も重なって産業は衰退する。20世紀後半、ジョージ・ダニエルズがコーアクシャル脱進機を生み、独立時計師の道を開いた。弟子のロジャー・スミスやブレモンが、手仕事と国内製造の価値として英国時計を現代に甦らせつつある。
解説
Overview17世紀後半から18世紀にかけて、英国は時計学の中心だった。ロバート・フックがヒゲゼンマイの応用に関わり、テンプの等時性を携帯時計へもたらした。トーマス・トンピオンは英国時計の父と呼ばれ、製造番号の付与など製作の規範を築いた。弟子のジョージ・グラハムはデッドビート脱進機やシリンダー脱進機を磨き、精度を高めた。1704年には宝石軸受の特許がロンドンで取られ、摩耗の低減に道を開いた。1759年ごろにはトーマス・マッジがレバー脱進機を考案し、これは後の腕時計の主流機構となり、今日のほぼすべての機械式時計に受け継がれている。ジョン・ハリソンは経度問題に応える海洋クロノメーターH4を完成させ、海上の精密計時を実現した。ジョン・アーノルドとトーマス・アーンショウはディテント脱進機の発明をめぐって競い、クロノメーター文化を成熟させた。
製造の中心はロンドンのクラーケンウェルにあった。18世紀半ば、ロンドンの時計師は一から作るのをやめ、リバプール近郊プレスコットの粗ムーブメント(エボーシュ)を仕入れ、自らの工房で仕上げるようになった。英国製の懐中時計は世界で最も精巧とされ、各国で模倣された。
だが、この優位は続かなかった。英国の時計師は最高の品質を手作業で追い、量産機械化への転換を渋った。19世紀半ば以降、互換部品による大量生産を進めた米国のウォルサムやエルジン、機械化と分業を整えたスイスが、価格と量で市場を奪っていく。職人が微小な部品を手で磨き続けるあいだに、他国は機械設備の整備へ力を注いだ。二度の大戦が英国の工場を兵器生産へ向かわせたことも、産業の空洞化を早めた。部品を作れる工場は、銃や航空機の部品も作れたのである。職人技の頂点に立ちながら産業化に乗り遅れたことが、衰退の主因とされる。1905年にロンドンで創業したロレックスがやがてジュネーブへ拠点を移したことは、その象徴でもある。
英国時計が息を吹き返すのは20世紀後半である。1926年生まれのジョージ・ダニエルズは、1台の時計をほぼ独力で仕立てる技を究め、生涯に懐中時計23本と腕時計2本を作ったと伝わる。1974年にはコーアクシャル脱進機を考案し、1980年に特許化した。この機構は1999年にオメガが量産採用し、レバー脱進機以来の大きな革新として知られる。ダニエルズは現代の独立時計師の道を開いた存在でもあり、デュフールやジュルヌら後進も、その生き方に学んだとされる。ボルトン出身のロジャー・スミスは時計学校で学び、ダニエルズの著書を頼りに独学で腕を磨いた。やがて唯一の弟子となり、マン島の工房でダニエルズ・メソッドに従い部品から手作業で時計を仕立てる。製作に必要な技能の大半を1人の時計師が身につける流儀で、年の生産はわずかである。2015年には英国の技術を掲げるグレート・ブリテンを発表した。一方、2002年にニックとジャイルズのイングリッシュ兄弟が創業したブレモンは、パイロットや軍向けの時計を軸に年産約1万本まで規模を広げ、COSCやISOのクロノメーター認定を取る。英国内での製造にこだわり、2021年にはヘンリー・オン・テムズに大型の自社工場を開いた。スミスらが立ち上げた英国時計師の連帯組織も、職人の裾野を広げつつある。
英国時計の歩みは、手仕事と産業化のあいだの緊張をそのまま映している。最高の一品に賭けた職人気質が覇権を築き、その同じ気質が量産の波に乗り遅れさせた。皮肉にも、かつて衰退を招いた手仕事への執着は、いま少量生産の価値として読み替えられている。脱進機と精度の歴史を刻んだ国が、その遺産を現代の創作へつなぎ直そうとしている。