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腕時計史 · MILESTONE — 第2章 腕時計の誕生
1905

ロレックス創業(ロンドン)

懐中時計が当たり前だった時代に、ウィルスドルフは腕時計の将来を見込み、ロンドンで小さな商会を興した。

§ 00 Overview

1905年、ハンス・ウィルスドルフは義兄アルフレッド・デイビスと、ロンドンでウィルスドルフ&デイビス商会を立ち上げた。当初はスイス製のムーブメントを輸入し、ケースに収めて宝飾店へ卸す事業だった。文字盤には卸先の名が入り、自社の名は表に出なかった。ウィルスドルフは、男性には玩具と見なされていた腕時計の将来性に着目した。1908年、彼は発音しやすいロレックスの名を商標登録し、無名の供給者から名を持つ作り手への転換を図る。1915年に社名をロレックス・ウォッチ社へ改め、1919年には英国の重い戦後課税を避けてジュネーブへ拠点を移した。英国で生まれた事業がスイスの時計として育つ、その出発点である。

§ 01 Background

20世紀初頭の時計市場では、懐中時計が紳士の標準的な持ち物だった。腕時計は婦人の装身具と見なされ、男性が着けるものではないという通念が根強かった。小さな機械は手や腕の激しい動きに耐えられず、精度も保てない、と多くの者が考えていた。

ハンス・ウィルスドルフは1881年、ドイツのクルムバッハに生まれた。幼くして孤児となり、若くして時計の取引に身を投じる。スイスの時計商で経験を積んだのち、1903年にロンドンへ渡った。彼は、世間の冷ややかな評価とは逆に、腕時計こそ将来の主役になると見ていた。

その確信を支えたのが、スイスの部品供給だった。ビエンヌのエグラー社などが、レバー脱進機を備えた小型のムーブメントを手がけていた。腕時計に収まる寸法でありながら、実用に足る精度が見込める。良質な機械を確保できれば、腕時計の弱点とされた精度の問題にも道筋が立った。

§ 02 The Event

1905年、ウィルスドルフは義兄のアルフレッド・デイビスと組み、ロンドンのハットン・ガーデン83番地にウィルスドルフ&デイビス商会を構えた。当時24歳である。事業の中身は、スイスから輸入したムーブメントをケースに収め、完成品を宝飾店へ卸すことだった。商品は英国内にとどまらず、英帝国の各地へも送り出された。

腕時計はまだ無名の商材であり、文字盤には卸先である宝飾店の名が入った。商会自身の名は表に現れず、ケース内側に『W&D』の刻印を残すにとどまる。作り手の存在が買い手に見えない、当時としては普通の売り方だった。

ウィルスドルフは、この匿名性から抜け出そうとした。1908年、彼は『ロレックス』という名を商標登録する。どの言語でも短く発音でき、文字盤に収まり、ゼンマイを巻く音を思わせる響きを狙った名だという。

第一次世界大戦の最中の1915年11月、商会は社名をロレックス・ウォッチ社へ改める。名は商標から会社そのものへと広がった。大戦が終わると、英国は奢侈品の輸入や、ケースに使う金銀の輸出に重い税を課した。この負担を避けるため、1919年にウィルスドルフは拠点を英国からジュネーブへ移す。1920年、ジュネーブでモントレ・ロレックスSAを登録し、会社の名は完全にスイスのものとなった。

§ 03 Significance

創業の意味は、まず市場を読む眼にある。ウィルスドルフは早くから、腕時計に事業の重心を置いた。懐中時計が確固たる地位を保っていた時期に、来たるべき需要の反転を見越した賭けだった。第一次大戦を経て腕時計が実用品として受け入れられると、この判断は市場の現実に追いついていく。

ウィルスドルフは、自らの名を持つことにもこだわった。卸先の宝飾店に名を譲ってきた供給者が、自社の商標を掲げる作り手へと立場を変えていく。宝飾店の看板を借りず、買い手へ直接に信頼を築く道がここに開けた。この転換が、後年のロレックスの土台となる。名のもとで精度を証明し、堅牢さを示す方向も、ここから定まっていく。1926年の防水ケース、オイスターへの歩みもその延長線上にある。

立地の面では、英国に生まれた事業がスイスへ根を下ろした点が大きい。創業の地はロンドンだが、課税を機にジュネーブへ移り、ロレックスはスイス時計の系譜に連なった。英国時計の衰退とスイス産業の興隆という、二つの地域史が交わる地点に、この創業は位置している。

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