レバー脱進機(マッジ)
テンプを束縛から解き放つこの脱進機は、ほぼすべての機械式腕時計が今も受け継ぐ調速の基本形となった。
概要
Overview18世紀のロンドンで、トーマス・マッジは脱進機の新しい形を生んだ。当時の懐中時計はヴァージやシリンダーといった脱進機を用いたが、いずれもテンプが脱進機と触れ続け、摩擦が精度と寿命を損なっていた。マッジはテンプと脱進機の間にフォーク状のレバーを挟み、両者を切り離した。テンプは大半のあいだ自由に揺れ、瞬間だけ衝撃を受ける。この分離式レバー脱進機の着想は1750年代とされ、まず置時計に試された。時計への定着には1世紀近くを要したが、その原理は今日のほぼすべての機械式腕時計に受け継がれている。英国時計学が懐中時計の精度を磨いた時代の、一つの到達点である。
背景
Background脱進機は、機械式時計の心臓部にあたる。ゼンマイがほどける力を一定の刻みに区切り、テンプの往復をわずかに後押ししながら、歯車の回転を一歩ずつ前へ送る。時計の精度は、この区切りの正確さにかかっている。
18世紀半ばの懐中時計で広く使われた脱進機は、二種類だった。ヴァージ脱進機は丈夫で日常向き、シリンダー脱進機はより精密で、ジョージ・グレアムが懐中時計向けに整えていた。ただし、どちらにも共通する弱点があった。時を刻むテンプが、脱進機の部品と絶えず接触し続けるのである。常時触れ合えば摩擦が生じ、油の劣化や摩耗が進み、精度はしだいに狂っていく。
この問題に向き合ったのが、ロンドンの時計師トーマス・マッジである。彼はトーマス・トンピオンの弟子グレアムのもとで修業し、独立後はその技を継いで名声を得た。トンピオン、グレアム、マッジと続く系譜は、18世紀の英国が懐中時計の精度で世界の先端にあった時代を映している。より正確な携帯時計への要求が高まるなか、摩擦をどう減らすかという問いが、新しい脱進機を生む土壌となった。
出来事
The Eventマッジが新しい脱進機の開発に取り組んだのは、1750年代のことである。彼はグレアムが置時計向けに用いたデッドビート脱進機を下敷きに、テンプと脱進機を切り離すという発想にたどり着いた。発明の年は資料により1754年から1756年ごろと幅があり、まず置時計に試された。大英博物館が所蔵する実験的な置時計は、現存するマッジ最初のレバー脱進機を備えるとみられている。
仕組みはこうである。テンプとガンギ車の間に、フォーク状のレバーを一つ置く。レバーの両端には爪石があり、ガンギ車の歯を交互に受け止めて回転を一瞬だけ止める。テンプはこのレバーを軽く弾き、その反動で短い衝撃を受け取る。役目を終えればテンプはレバーから離れ、その後は脱進機に縛られず自由に揺れる。脱進機と切り離されている——この『分離(デタッチト)』こそが核心で、接触の時間が短いほど摩擦は減り、テンプは本来の等時性に近づく。
この脱進機を懐中時計に移したのが、ジョージ3世のために手がけた一作である。1770年に作られ、王妃シャーロットへ贈られたこの時計は『王妃の時計』と呼ばれ、レバー脱進機を備える現存最古の懐中時計として知られる。温度変化を自動で補正する装置も併せ持っていた。なお、1759年ごろに早い作例があったとも伝えられるが、機構を確かに備える個体としては、この1770年の時計が証跡として残る。マッジ自身は後年、これを『ポケットに収めうる、これまでで最も完成した時計』と書き残している。
意義
Significanceマッジの脱進機が残したのは、『分離』という設計思想だった。テンプを脱進機から解き放ち、必要な一瞬だけ力を渡す。精度は、部品の精密さだけでなく、接触をどれだけ減らせるかにもかかっている。マッジの脱進機は、そのことを機構として示した。今日のほぼすべての機械式腕時計が、この基本形を受け継いでいる。
もっとも、普及は速くなかった。初期のレバー脱進機は爪と歯の滑りに油を要し、油が切れると精度が乱れたため、長く敬遠された。実用化を先導したのはジョサイア・エメリーで、ブレゲ(1787年)、リザーランド(1791年)、マッシー(1800年)、テーブルローラー形を整えたサヴェージ(1800年代初頭)と、改良が世代を重ねた。脱進機として広く採られ始めたのは1810年ごろ、産業の標準となったのは、スイスのレショーが量産機械を整えた19世紀半ば以降である。1900年ごろには、携帯時計のほとんどがこの脱進機を積むに至った。
皮肉なのは、この発明を世界の主流へ押し上げたのが、英国ではなく量産で先んじたスイスだった点である。トンピオンからグレアム、マッジへと続いた英国の職人技は18世紀に世界の先端を占めたが、産業化の遅れが、やがてその地位を後退させていく。レバー脱進機は、英国が築いた技術と、その主導権がスイスへ移る転換の、双方にまたがる機構だった。