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腕時計史 · MILESTONE — 第0章 前史
18-19C

英国の懐中時計覇権

職人技で頂点に立った英国の時計産業は、その手仕事への自負ゆえに産業化へ踏み出せず、覇権を手放していった。

§ 00 Overview

18世紀から19世紀初頭にかけて、英国は懐中時計の生産で欧州を率いた。中心はロンドンのクラーケンウェルで、年間20万個近くを産み出し、オスマン帝国や中国にまで輸出した。トンピオンやグラハム、マッジ、アーノルド、アーンショウといった職人が脱進機やマリン・クロノメーターを磨き、海上での精密計時は英海軍の優位を支えた。だが生産は多数の専門職人による分業で、工場での機械生産へは移らなかった。やがて偽造品の氾濫が評判を損ない、スイスの安価な時計と米国の機械製品に市場を奪われていく。手仕事の頂点が産業化の波に取り残された過程である。

§ 01 Background

17世紀後半、ロンドンは時計製造の拠点として台頭していた。背景にはいくつかの条件がある。1631年に時計職人組合が勅許を得て、徒弟制度と品質の基準を整えた。宗教迫害を逃れたユグノーの職人が技術を持ち込み、ソーホーなどに定住した。科学革命と啓蒙の気運も後押しした。等時性をめぐる研究や、王立協会を軸にした学知の蓄積が、時計を精度の対象として捉える土壌を育てた。加えてロンドンは商業と海運の中心として、富裕な顧客と資本、海外への販路を備えていた。

トーマス・トンピオンは英国時計学の父と呼ばれ、精緻な懐中時計づくりで精度の基準を引き上げた。その弟子ジョージ・グラハムはシリンダー脱進機を実用化し、薄型の懐中時計に道を開いた。彼らの工房はロンドンに集まり、技術と評判の集積地を形づくった。こうして18世紀を迎えるころには、ロンドンは欧州の時計製造を率いる位置にあった。職人個々の手仕事が価値の源泉であり、その思想がこの産業の強みであると同時に、のちの弱みにもなっていく。

§ 02 The Event

18世紀から19世紀初頭にかけて、英国の懐中時計は生産量と精度の双方で欧州を率いた。中心はロンドンのクラーケンウェルである。18世紀末、ロンドンの年間生産量は20万個近くに達したと伝わる。1796年にゴールドスミス・ホールで刻印された時計は19万個を超えた。ただしこの数には、著名メーカーの名を騙る粗悪品も多く含まれていたと指摘される。輸出市場は広く、オスマン帝国や中国にまで及んだ。

技術面では、職人たちが脱進機と精度を競って磨いた。トーマス・マッジは1750年代にレバー脱進機を生み、これはのちの腕時計の主流脱進機となる。英国がとりわけ抜きん出ていたのが、マリン・クロノメーターである。ジョン・ハリソンが経度問題に解を与えたのち、ジョン・アーノルドとトーマス・アーンショウがデテント脱進機やバイメタル温度補正テンプを実用化し、海洋クロノメーターをより作りやすく、入手しやすいものにした。海上での精密計時は航海の安全と帝国の通商を支え、英海軍の優位に結びついた。

しかし生産の方式は独特だった。一つの時計を仕上げるのに、数十人もの専門職人が関わる分業制である。脱進機職人、エンジン旋盤工、フューゼ切り、ぜんまい職人、仕上げ職人——それぞれが自宅の工房で作業した。クラーケンウェルの組み立て業者は、遠く離れたランカシャーのプレスコットから未完成のムーブメントを取り寄せた。工場で一貫生産するのではなく、家内工業の網の目が産業を形づくっていた。手仕事の精緻さは高く評価されたが、その体制は量産には向かなかった。

§ 03 Significance

英国時計産業の歩みは、市場での優位がいかに失われるかを示している。18世紀末、転機の兆しはすでにあった。ロンドンの著名メーカーの名を偽造した粗悪な時計が市場に氾濫し、英国製への信頼を傷つけた。こうした模造品の一部は、スイス時計産業の初期の基盤になったとも言われる。

19世紀に入ると、競争はいっそう激しくなる。安価なスイス製が密輸で英国市場に流れ込み、自由貿易の時代には米国の機械製時計が加わった。米国マサチューセッツのウォルサムは、互換部品による大量生産アメリカン・システムを時計に適用し、価格と量で圧倒した。これに対し英国は、クラーケンウェルの分業生産に固執した。職人と組合が品質と手仕事を譲らなかったことが、近代化を遅らせる結果になった。

産業の縮小は19世紀を通じて続いた。20世紀初頭には衰退が明白となり、第一次大戦前夜にコヴェントリーの時計製造業者は30社ほどに減った。腕時計への移行に投じる資本もなく、1920年代の不況が産業に終止符を打つ。スイスは対照的に、機械化と分業を組み合わせて適応し、世界市場の主導権を握り直した。皮肉な符合もある。1905年、ハンス・ウィルスドルフがロンドンで後のロレックスを創業した。英国の覇権が傾いた地から、のちに世界的に知られる時計ブランドが芽吹いたのである。

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