ロレックス ヘリウムエスケープバルブ
深海から浮上するとき、内側から風防を押し上げたのはヘリウムだった。その圧を逃がす小さな弁が、潜水時計の前提を変えた。
概要
Overview1960年代、深海での長期作業を可能にする飽和潜水が広まると、呼吸ガスに含まれるヘリウムが時計内部へ入り込む問題が表面化した。極小のヘリウム原子は防水シールを通り抜け、減圧時に風防を吹き飛ばすことがあった。ロレックスはケース側面に一方向弁を設け、たまったガスだけを逃がす機構で応えた。特許は1967年に出願され1970年に認められる。COMEXのダイバー向け実用試験を経て、1971年には量産モデルへ標準搭載され市場に定着した。日常では不要なこの弁は、深海ダイバーズを画する技術となった。
背景
Background1950年代から1960年代にかけて、海中で長く作業するための飽和潜水が発達した。ダイバーは高圧の居住設備に長期間とどまり、体組織を不活性ガスで飽和させたまま潜水と浮上を繰り返す。深い場所では窒素が麻酔のように作用し判断を鈍らせるため、呼吸ガスには窒素の代わりにヘリウムが混ぜられた。
このヘリウムが、時計に思わぬ難題をもたらした。ヘリウム原子は気体のなかでも際立って小さく、水分子よりはるかに細かい。防水ケースは水の浸入こそ防げても、これほど微細な原子までは止めきれない。高圧の環境に数日とどまると、ヘリウムはわずかな隙間や封止部を通り抜け、ケースの内側へ少しずつ入り込んでいく。
圧力が高いあいだは内外の差が小さく、問題は起きない。ところが浮上にあわせて周囲の圧を下げていくと、ケース内にたまったヘリウムが急に膨張する。内側からの圧が外側を上回り、逃げ場を求める力が風防を押し上げる。減圧の途中で風防が突然外れる事故が、各国の潜水実験で報告されるようになった。
出来事
The Event解決の鍵は、ガスを一方向にだけ逃がす弁だった。ケースの側面、9時の位置にばね式の小さな弁を組み込む。内側と外側の圧の差が一定を超えると弁が押し開かれ、たまったヘリウムが抜ける。差がなくなれば弁は閉じ、水に対する防水性はそのまま保たれる。弁は圧の差だけで自動的に働き、ダイバーが操作する必要はない。
この一方向弁という着想は、米海軍の飽和潜水実験SEALABに携わったダイバー、ロバート・バースに発するとされる。これを時計に持ち込んだのは、考古学ダイバーのT・ウォーカー・ロイドだったと伝えられる。彼が1967年後半にロレックスへ構想を伝え、開発が動き出した。
ロレックスは1967年11月6日にスイスで特許を出願し、1970年6月15日に認められた(CH492246)。実地の試験はフランスの潜水会社COMEXとの協業で進む。弁を組み込んだサブマリーナやシードゥエラーがダイバーに託され、過酷な飽和潜水で検証された。初期の個体には特許出願中を示す刻印が、認可後には特許取得済みの刻印が打たれている。
弁を備えた量産のシードゥエラーが市場に定着したのは1971年である。一方、同じころスイスのドクサも独自の弁を開発していた。市販品としてはドクサのサブ300Tコンキスタドールが1969年に先んじたとされ、誰が最初に弁を生んだかをめぐっては、現在も研究者の間で見解が分かれている。確かなのは、ロレックスが最初に特許を出願した事実である。
意義
Significanceヘリウムエスケープバルブは、飽和潜水というごく限られた現場のために生まれた。陸上の暮らしでも、ふつうのレジャーダイビングでも、この弁が働く場面はまずない。それでも機構は深海ダイバーズの標準仕様として定着し、高い防水性をうたう時計の記号となっていく。
問題への向き合い方は一つではなかった。ロレックスはガスを逃がす弁を選んだが、オメガはCOMEXと組み、そもそもヘリウムを入り込ませない堅牢なケースで応えた。侵入を許して逃がすか、侵入そのものを断つか。深海という同じ課題に対し、技術思想の分岐が生まれた。
弁という選択は、防水ケースの基本構造を大きく変えずに極限の深度へ対応できる利点があった。ドクサをはじめ他社も同種の弁を採り入れ、深い深度をうたう時計へ広く受け継がれていく。ロレックス自身もこの機構を後年のディープシーなどへ引き継ぎ、対応深度を重ねた。
防水・ダイバーズの歩みのなかで、この弁は一つの到達点に位置する。水の浸入を防ぐオイスターの密閉から、深度と視認性を競うダイバーズへ、そして内側からのガスにまで備える飽和潜水対応へ。守る対象が外の水から内のガスへと裏返ったこの段階は、防水という発想が極限まで突き詰められた地点を示している。