オメガ・ロンジン等の腕時計進出
腕時計の本格化はまだ先である。1900年前後、スイスの製造元はまず小型ムーブメントを腕へ移すことから動き出した。
概要
Overview1900年前後、オメガやロンジンなど既存のスイス製造元が、懐中時計で培った小型ムーブメントを腕時計へ移し始めた。当時の腕時計は主に女性の装身具とみなされ、男性は懐中時計を使い続けていた。初期の品は専用設計というより、小型の懐中時計用ムーブメントを腕用ケースに収めたものや、懐中時計を載せ替えた個体が多かった。オメガは1900年に最初の腕時計を作ったとし、ロンジンも1900年代半ばには腕時計を手がけ始めた。派手な転換ではないが、この静かな動きが、後の腕時計需要の拡大に備える布石となった。
背景
Background19世紀末の時計市場は、依然として懐中時計が主役だった。男性は鎖でつないだ懐中時計を上着に納め、腕に時計を巻くのは女性の装身具とみなされていた。ブレゲがナポリ王妃のために手がけた一作や、パテックがコスコウィッツ伯爵夫人へ納めた品が示すように、腕の時計はもっぱら宝飾品の文脈で語られてきた。男性が腕時計を着けることには、軟弱だという偏見すら付きまとった。
一方で、スイスの製造元は懐中時計の量産で力を蓄えていた。オメガの前身は1848年創業で、1894年の『オメガ』口径によって名を高め、量産精度の評価を得ていた。ロンジンは1867年から自社でムーブメントを手がけ、当時もっとも重要なスイス製造元の一つに数えられる規模を持っていた。
ここで鍵となったのが、小型のムーブメントである。小ぶりの懐中時計に用いるサヴォネット型やレピーヌ型の小口径は、すでに各社の生産品目にあった。腕に載せられる大きさの機械は、新たに発明するまでもなく手元にあった。問われていたのは技術そのものではなく、それを腕という場所で売る発想だった。
出来事
The Event世紀の変わり目を境に、スイスの製造元は小型ムーブメントを腕へ移す動きを本格化させた。オメガは、1900年に最初の腕時計を製作したとしている。ロンジンも、1900年代半ばには腕時計を手がけ始めた。両社とも、懐中時計で築いた製造基盤をそのまま腕時計へ振り向けた。
この時期の腕時計の実態は、専用設計の新型というより、既存の小型ムーブメントの転用に近い。ロンジンの12.92口径は1903年、レピーヌ型の12.91は1906年に登場する。12.92は直径27.8mmほどの小型機で、いずれも小型懐中時計と腕時計の双方に使われた。同じ機械が、ケースの仕立て方しだいでポケットにも腕にも収まったのである。
ケースの側でも工夫が重ねられた。懐中時計のケースに線材のラグを溶接し、革やリボンのバンドを通して腕に巻く。あるいは小型の懐中時計をそのまま腕用に仕立て直す。現存する初期の個体には、後年に懐中時計を仕立て直したものが少なくない。純然たる腕時計として確認できる最初期の現存例は、1906年ごろまで下るとする見方もある。専用に設計された腕時計と、腕に転用された懐中時計との境界は、この段階ではまだ曖昧だった。
売られた相手も、多くは女性だった。小ぶりで装飾的な婦人物が中心で、紳士物は限られていた。腕時計という言葉が指す商品は、なお宝飾品の延長線上にあった。
意義
Significanceこの動きの意味は、市場の側にある。腕時計はまだ女性の装身具という枠を出ず、商いとしては小さかった。それでも、オメガやロンジンが小型ムーブメントの生産と腕用ケースの仕立てに早くから手を付けていたことは、後の急拡大に効いてくる。
転機は第一次世界大戦だった。塹壕で時刻を即座に読む必要から、男性が腕時計を受け入れ、装身具という前提が崩れていく。需要が一気に膨らんだとき、すでに腕時計の製造基盤を持っていた製造元は、その波に乗ることができた。1900年前後の静かな仕込みが、大戦後に腕時計が男性の標準装備となる流れの土台となった。
この布石は、スイス産業全体の強みとも重なる。ジュラの谷で育った分業生産は、小型ムーブメントを量産し、需要の変化に応じて生産を切り替える柔軟さを備えていた。腕時計という新しい器へ既存の機械を流し込めたのは、その制度的な厚みがあったからである。同じころロンドンでは、スイス製の小型ムーブメントを腕用ケースに収めて男性へ売る商いも芽生えていた。懐中から腕への移行は、一つの発明ではなく、こうした複数の動きが束になって進んだ。