03 — EDITORIAL
系譜と歴史
Genealogy & history
1. 「クォーツの理想形」を求めて
1969年のセイコー・クォーツアストロンが業界の構造を一変させて以降、クォーツは精度の代名詞でありながら、機械式時計に比肩する工芸品としての地位を獲得していなかった。1988年、グランドセイコーは復活後初のクォーツとして 95GS(Cal. 9581/9587 系)を投入する。だが、ブランドの象徴である幅広で重い大型針を駆動するだけのトルクは、まだ持ち合わせていなかったと伝わる。
95GS を手がけたのは、セイコーエプソンの技術者、名取邦治氏が率いるチームである。同じチームは、計時の精度だけでなく時刻の表示までを含めて最良のクォーツを目標に据え、95GS の成果の上に全面新設計を進めた。こうして5年後の1993年、新世代キャリバー 9F が発表される。最初の 9F は、曜日と日付を表示する Cal. 9F83 であった。
2. 9F ファミリーにおける 9F82 の位置
9F82 は曜日表示を持たず、日付のみを表示する。グランドセイコーは 9F82 を、標準機の 9F62 と同じ機能を持ち、大きなケースに合わせてムーブメントを一回り大きくしたキャリバーと説明している。9F62 を含む 9F6 系列(9F61・9F62)は1997年に加わったとされ、9F82 はその大型版という位置付けになる。
このため 9F82 は、39〜40mm のケースを持つ SBGV シリーズに採用された。2018年には 9F 誕生25周年を記念した限定機 SBGV238 にも搭載され、ジュネーブストライプを施したムーブメントをサファイアの裏蓋越しに見せている。直線基調のケースとシャープな多面カット針による「グランドセイコースタイル」は、9F82 のトルクと精度に支えられて成立した造形であるといえる。
3. 世代交代と現在
9F 系は2018年、竜頭で時針だけを単独で動かせる GMT 仕様の Cal. 9F86 を加えた。9F86 は第2時間帯の機構を上に載せたものではなく、地板と輪列を設計し直したキャリバーである。その後、三針版で同様の時差修正機能を持つ Cal. 9F85 も登場し、日付表示を備える 9F の選択肢は広がった。
9F 系は手作業による組立と、塵や潤滑油の劣化から機構を守る密閉構造を前提とし、長く使い続けることを設計思想に据える。発表から30年を超えてなお、年差クォーツの典型例として参照され続ける同ファミリーの中で、9F82 は大型ケース時代の中核を担った世代として位置付けられる。
04 — MECHANISM
技術解説
Technical breakdown
構成と諸元
Cal. 9F82 は、9 石、32,768Hz の水晶振動子を備える温度補正付きアナログクォーツムーブメントである。静的精度は年差±10秒、電池寿命は約 3 年、駆動針は時・分・秒、表示はデートのみで曜日表示は持たない。ムーブメントは 9F62 と同じ機能を持ちながら、大きなケースに合わせて一回り大きく作られている。
高安定水晶と個体別チューニング
クォーツムーブメントの根本精度を決定づけるのは、水晶振動子の安定性である。グランドセイコーは信州時計工房内のオートクレーブで水晶を結晶成長させ、一定の電圧をかけながら約3か月(90日間)のエージングを施し、特性が安定したものだけを選別する。これにより、出荷後の特性ドリフトを抑え込む狙いがある。さらに、各水晶振動子はその個体特性に合わせて調整された IC と組み合わされる。32,768Hz という発振周波数は温度変化に敏感であるため、時計内部の温度を1日540回測定し、IC がそのデータをもとに歩度のずれを補正する。年差±10秒は、選別・エージング・個体補正の三段構えから成立する数値である。
ツインパルス制御モーター
通常のクォーツが備えるシングルパルスモーターは、グランドセイコー固有の幅広・大型針を駆動するトルクを十分に発生できないとされる。9F 系はこれに対し、1 秒あたり 2 回のパルスを送り出す「ツインパルス制御モーター」を採用する。肉眼では通常の 1 秒運針に見えるが、高速度撮影では 2 回の微小ステップとして観察できる。1 パルス当たりの消費電力を抑えながらピークトルクを上げる設計で、約 3 年の電池寿命と機械式時計級の太い針の駆動を両立させる中核機構である。
バックラッシュ・オートアジャストと瞬間日送り
歯車噛み合い部のあそびに起因する秒針の揺れ戻りは、クォーツ運針における視覚的ノイズとされる。9F 系は機械式時計の部品であるヒゲゼンマイの弱いばね力を秒針の輪列に与え、噛み合いのあそびを抑えることで、秒針が目盛上にぴたりと停止するよう設計されている。これがバックラッシュ・オートアジャスト機構である。
カレンダー機構もまた特殊で、日車駆動車の回転とともにレバースプリングへエネルギーを蓄積し、午前 0 時にカム位置で一気に解放することで日付ディスクを瞬時に切り替える。これが「瞬間日送り機構」(Instant Date Change Mechanism)であり、切り替えの時刻は職人が手作業で合わせ、早まることのないよう午前 0 時から5分以内に作動するよう設定される。
密閉構造と長期メンテナンス性
9F 系の地板はインナーケージで密閉され、電池交換時にもムーブメント内部へ塵が侵入しにくい構造を採る。ステップモーターのローターも気密性の高い軸受構造に収められ、軸の潤滑油を空気から遮って長持ちさせる。整備時には、地板上の「緩急スイッチ」(regulation switch)を操作することで歩度の微補正が行え、長期使用に伴う精度ドリフトを工房側で吸収できる。
製造工程
9F 系は信州時計工房(長野県塩尻市)において、専任職人の手作業で組み上げられる。日車側組立と本体側組立を別の技能者が担当する分業体制が採られ、完成後の調整・規制も人手で行われる。リューズは 1 回転で分針が 20 分進む減速比に設定され、秒単位での時刻合わせを可能にしている。地板やブリッジには磨き仕上げが施され、量産クォーツとは隔絶された外観を持つ。