小杉 修弘
時計デザインに四十余年携わり、グランドセイコーの意匠を主導した。キャリバー9Sと44GSの現代解釈で知られ、ウオッチデザイナーとして初めて現代の名工に選ばれた
- BORN
- 1952年
- DIED
- 存命
- BRANDS
- セイコー / グランドセイコー
概要
小杉修弘(こすぎ のぶひろ、Nobuhiro Kosugi、1952- )は日本のウオッチデザイナーである。1973年に林精器製造のデザイン室に入り、1993年セイコー電子工業(現セイコーインスツル)に入社。1995年ごろからグランドセイコーのデザインに携わり、1998年のキャリバー9S搭載モデル、44GSの現代解釈デザイン、2018年のキャリバー9S 20周年記念モデルなど、ヘリテージコレクションの基幹意匠を多く手がける。2014年にはウオッチデザイナーとして初めて卓越した技能者(現代の名工)に選出され、2016年に黄綬褒章を受章した。光と影、平面と直線、ザラツ研磨を前提とした幾何学を貫いた設計者である。
生涯
01横浜から時計の世界へ
小杉修弘(こすぎ のぶひろ、Nobuhiro Kosugi)は1952年、神奈川県に生まれた(横浜とする資料もある)。出発点は時計ではなかった。若い頃にはカーデザイナーを志していたと伝わり、その自動車的な造形感覚は、後にステンレスケースの面構成にも持ち込まれたとされる。
1973年、林精器製造株式会社デザイン室に入社。林精器は時計ケースを生産する外装メーカーで、小杉はここでケースデザイナーとして業界に足を踏み入れた。完成品ブランドのスタジオからではなく、ケースという「外装の職人技」が集積する現場から出発したことは、後の彼の方法論を決定づけた。金属加工と研磨の現実を、設計図を引く前に身体で知ったのである。
02嘱託の時代とセイコー入社
1982年、KGインダストリアルデザイン事務所を設立し、セイコーインスツル(当時はセイコー電子工業)のウオッチデザインに嘱託として関わり、ウオッチデザインに本格的に関わるようになった。この時期は、スイス機械式時計が再起を図る一方で、日本のクオーツが世界を席巻していた変動期にあたる。
1993年、セイコー電子工業に入社。1995年ごろからはグランドセイコーのデザインに携わるようになった。
03キャリバー9Sと現代グランドセイコーの確立
小杉の名を業界の内外に刻んだのは、1998年に発表されたキャリバー9S搭載モデルの意匠である。9Sはグランドセイコーの機械式の復活を告げる作品で、1995年ごろに始まったプロジェクトから生まれた。スイス・クロノメーター規格を凌ぐ「新GS規格」を満たすムーブメントを収めるケースとして、小杉は1967年の44GSが提示した「セイコースタイル」――燦然と輝く時計、平面と直線、光と影の調和――を、現代の加工技術で再解釈する道を選んだ。
以降、44GSを現代解釈したデザインや2018年のキャリバー9S 20周年記念モデルなど、ヘリテージコレクションの主要な意匠を次々に発表していった。
04表彰と次世代への継承
2014年、厚生労働大臣表彰「卓越した技能者(現代の名工)」に選ばれる。同表彰はもともと製造現場の職人技を顕彰する制度であり、ウオッチデザイナーが選ばれたのは初めてとされる。2016年、長年のウオッチデザインの功績により黄綬褒章を受章した。
第一線に立ち続けるかたわら、次世代のグランドセイコーのデザイナーにも影響を与えてきたとされる。その設計言語は、2020年代の造形にも受け継がれているとみられる。
業績・代表作
01キャリバー9Sシリーズ ─ 復活の意匠
1998年、機械式グランドセイコーの復活作として発表された9S5シリーズは、小杉のキャリアにおける転換点である。メカニカルモデルとして初めてメタルブレスレットを採用したシリーズでもあった。新規開発されたキャリバー9Sは、スイス・クロノメーター規格を凌ぐ新GS規格の下、機械式時計の精度の上限を押し広げることを目指した。小杉はこのムーブメントを収めるケースに、1967年の田中太郎による「セイコースタイル」の原理――燦然と輝く時計、二次曲面と平面の構成、光と影の対比――を据えた。この時点で「ザラツ研磨を前提とした幾何学」という現代グランドセイコー意匠の文法が確立し、以後のヘリテージコレクションの設計言語の核となる。2010年には派生モデルのSBGR051がグッドデザイン・ロングライフデザイン賞を受賞し、長く愛される普遍的な意匠としての評価を裏付けた。
0244GSの現代解釈 ─ 平面から曲線へ
小杉は1967年の44GSを現代の生産技術で再解釈したデザインも手がけた。その一例が2014年のキャリバー9S86搭載モデルで、44GSと同じ歪みのない鏡面を多用しながら、ザラツ研磨の技術の向上によってケースサイドの稜線にカーブを持たせ、厚みを増したケースでも腕なじみのよい線を作った。1967年版が当時のザラツ研磨と職人の技量の限界を試したのと同じく、現代解釈版もまた職人にとっての挑戦であった。鋭利なエッジ、薄く先細るかん足、平面と斜面の境界線。これらは工作機械単独では到達できない領域であり、機械加工と熟練職人の手仕上げを意図的に共存させる設計思想を体現していた。
03雪白(スノーフレーク)と素材の拡張
2005年発表のSBGA011も小杉の手によるとされる。本作は、長野県塩尻市の信州時の匠工房周辺の雪景色を表現したダイヤルと、スプリングドライブを収めた軽量チタンケースを組み合わせた作品である。正式名は「雪白」、海外市場では「Snowflake(スノーフレーク)」の通称で知られる。ステンレスや貴金属の輝きを追求してきた小杉が、ブライトチタンの柔らかな反射と無垢な白文字盤を組み合わせた本作は、グランドセイコーの意匠語彙を金属の幾何から自然観へと拡張した一例といえる。本作は2017年にロゴ表記を整理したSBGA211として再構成され、海外市場でグランドセイコーの代表作のひとつとなった。
04キャリバー9S 20周年記念モデル ─ 史上最複雑の意匠
2018年、9S誕生20周年を記念するモデル群を担当。これまでのヘリテージコレクションが平面と直線の組み合わせで屏風や障子を思わせる造形をとってきたのに対し、本作では水墨画の一本の線に着想を得て、柔らかい曲線を細部に取り入れた。職人にあえて高いハードルを課すという方針は、ここでも貫かれている。2012年のSBGH005はEuropean Watch of the Yearを、2014年のSBGJ005はジュネーブ時計グランプリ「小さな針」賞を獲得しており、後者は日本の機械式腕時計が同グランプリで賞を獲得した最初の例である。
05設計を貫く哲学
これら一連の作品を貫くのは、ひとつの一貫した思想である。デザインを職人技と切り離さず、両者を意図的に対峙させる方法論である。小杉自身は、肌に触れるかん足の裏側や裏ぶたの縁にカーブをつけ、機械加工的な造形のなかにも柔らかさを持たせることを意識していると語っている。光と影、平面と直線、ザラツ研磨の鏡面とヘアラインの対比。小杉の作品を分解した時に必ず現れるこれらの文法は、現在のグランドセイコーの視覚的同一性を構成する基本要素となっている。
評価・後世への影響
1967年の44GSが定めたセイコースタイルは、1998年のキャリバー9S世代を経て、現代の加工技術を前提とする設計言語へ組み替えられた。田中太郎が原理を示し、小杉がそれを現行の生産条件で成立させたという二段構えが、現在のグランドセイコーの意匠を支えている。同ブランドが2017年に独立ブランドとして再編された際、視覚的な同一性の根拠となったのもこの言語である。
工程が意匠の前提に組み込まれた点も特徴的である。ザラツ研磨による鏡面と、工作機械だけでは到達できない稜線。設計が職人の技量を要求し、技量が設計の可能性を広げるという往復が、製品の水準を引き上げる仕組みとして機能してきた。ケース製造の現場から出発した経歴が、この方法論の背景にある。
2014年に卓越した技能者としてウオッチデザイナーが選出されたことは、意匠設計が製造技能の一部として評価された事例である。デザイナーという職能の位置づけを、日本の製造業の文脈で捉え直す契機になった。
平面を主体とした造形から、柔らかい曲線を取り入れる方向への本人の転換は、その後のグランドセイコーの造形にも影響を与えたとみられる。海外市場で通称が定着した作品を含め、現行コレクションの主要な意匠の多くが彼の手による原型を持つ。
出典
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