ゼニス エル・プリメロ
自動巻とクロノグラフを一つの機構に統合する——その難題に高振動で挑んだ機構を、ゼニスが1969年、最初に公にした。
概要
Overview1969年1月10日、ゼニスは新しい自動巻クロノグラフ機構を記者会見で発表した。開発符牒は3019 PHC、後にスペイン語で『最初』を意味するエル・プリメロと名づけられる。毎時36,000振動という高振動を採り、クロノグラフ機能を別モジュールとせず機構に一体化し、コラムホイールで制御した。高振動により計測は1/10秒に達した。自動巻クロノグラフをめぐっては同時期に複数の陣営が開発を競っており、ゼニスは発表で先行したが、『最初』が誰かは定義によって変わる。この設計はクォーツ危機による生産中断を経て存続し、後年ロレックスのデイトナにも採用され、三つ巴の機構で唯一現在も生産が続く。
背景
Background1960年代、クロノグラフは人気の高い実用機構で、各社が精度を競っていた。だが、その多くは手巻であり、自動巻との両立は長く未踏の課題だった。
難しさは構造にある。自動巻は回転錘(ローター)で主ゼンマイを巻き上げる。一方クロノグラフは、発停と帰零を司る部品群を機構に組み込む必要がある。限られた厚みの中で両者を共存させ、しかも薄く仕立てるのは容易でなかった。
ゼニスは手巻クロノグラフで定評を得ていたが、自動巻では出遅れていた。1959年に部品メーカーのマーテル社を傘下に収め、機構開発の体制を整える。創業100周年にあたる1965年に向けて、新型機構の開発に着手した。目標は、クロノグラフ機能を別部品の追加で済ませず、はじめから一体に設計することだった。
この時期、同じ目標を追う陣営は複数あった。スイスの数社が連合を組み、日本のセイコーも独自に開発を進めていた。完成と発表をめぐる競争が、水面下で進行していた。
出来事
The Event1969年1月10日、ゼニスは開発中の自動巻クロノグラフ機構を記者会見で公にした。開発符牒は3019 PHC。この機構は、スペイン語で『最初』を意味するエル・プリメロと名づけられた。名そのものが、先陣を取ったという主張でもあった。
技術的な特徴は三点に集約される。第一に、クロノグラフ機能を別個のモジュールとして基幹機構へ載せるのではなく、はじめから一体の設計に組み込んだ。第二に、発停と帰零を司る制御に、カムではなくコラムホイールを用いた。第三に、テンプの振動数を毎時36,000(5ヘルツ)へ高めた。当時のクロノグラフは毎時21,600前後が一般的で、これは際立って高い。毎時36,000という値は開発の途中で定まったもので、当初はより穏当な振動数が想定されていたとされる。
高振動により秒針の刻みが細かくなり、経過時間を1/10秒まで読み取れた。巻き上げは、玉軸受で支えた中心ローターが双方向に行う。厚さは6.5mm、直径は30mm、部品点数は278点に収まった。摩擦を抑える乾式潤滑にはモリブデン系の素材を採った。
開発はゼニス単独ではなく、モヴァード、モンディアとの連合によるもので、モヴァードは同じ機構をDatron HS 360の名で展開した。最初に市販された腕時計はA384で、続いてA385、A386が1969年に登場する。会見で示されたのは試作段階の個体で、顧客向けの量産はなお先のことだった。
意義
Significance『最初』を名乗ったものの、誰が最初かは定義によって変わる。発表で先行したのはゼニスで、1969年1月だった。スイスの連合が開発したキャリバー11は同年3月に発表され、セイコーの6139は同年春に市場へ出た。販売の早さで見ればセイコーが先んじたとする評価もあり、主要市場での発売では連合勢が先行したともいわれる。先後の確定は容易でない。
エル・プリメロは一体設計とコラムホイール、高振動を併せ持つ。モジュールを基幹機構に組み合わせたキャリバー11や、垂直クラッチを採るセイコー6139とは、設計思想が異なった。この高振動はその後もエル・プリメロを特徴づけ続けた。当時としては高く、いまも一般的とは言えない。
1970年代後半、親会社の方針で機械式の生産が打ち切られた。このとき技術者シャルル・ヴェルモが製造設備と図面を秘かに保管したと伝わり、1984年の生産再開はこの備えによるものとされる。再開後の機構はエベルにも供給され、ロレックスは振動数を抑え、日付表示を省くなどの改良を施したうえで、1988年から自動巻のデイトナに採用した。同時期に競った三つの機構のうち、現在も生産が続くのはエル・プリメロだけである。