本文へ
← 腕時計史 · 第1章 起点とフォーマットの探索
腕時計史 · MILESTONE — 第1章 起点とフォーマットの探索
1853

ティソ創業

職人の手仕事を量産と販路へ——1853年のティソ創業は、スイス時計を世界市場へ向けて開く一歩だった。

§ 00 Overview

1853年、シャルル=フェリシアンと息子シャルル=エミールのティソ父子が、スイスのル・ロックルで時計商会を立ち上げた。父がケース、息子がムーブメントを担い、自宅の下層階を作業場とした。当時のジュラ地方は分業による時計生産が根づいた土地で、ティソもその上に立つ。創業の年に1,000本を超える時計を世に出したと伝わり、量産に重きを置いた。1858年にはシャルル=エミールがロシアへ渡り、懐中時計を帝国各地に売り込んでいく。小さな町工場から出発しながら、当初から国外の市場を見据えていた。

§ 01 Background

19世紀半ばのスイス時計産業は、ジュラ山脈の谷あいで分業生産の体制を整えつつあった。ル・ロックルやラ・ショー=ド=フォンといった町では、農閑期の家内工業として始まった時計づくりが、部品を分担して仕上げるエタブリサージュへと発展していた。各工程を専門の職人が請け負い、最後に組み上げる仕組みは、一定の品質を保ちながら数をこなすことを可能にした。スイスがイギリスの懐中時計覇権を脅かし始めた背景には、この制度的な強みがあった。

市場の側も変わりつつあった。鉄道や蒸気船が距離を縮め、時計は一部の富裕層の装飾品から、より広い層が持つ実用品へと裾野を広げていく。需要の高まりは、少数の高級品を丁寧に作る職人仕事だけでは応えきれない規模に達しつつあった。量をさばける生産体制と、国境を越えて売る販路を持つ者が、その取り分を握る時代が近づいていた。

ティソ家も、この変化の只中にいた。一族はアメリカとも縁を持ち、金や時計部材の調達、海外市場の動きに早くから目を向けていたと伝えられる。シャルル=エミールは若い頃から時計づくりに関心を寄せ、父シャルル=フェリシアンとともに、家業として工房を立ち上げる準備を整えていった。

§ 02 The Event

1853年、シャルル=フェリシアン(1804-1873)と息子シャルル=エミールの父子は、ル・ロックルの自宅で時計商会を立ち上げた。クレ=ヴァイヤン通りに面した住居の下層階が、最初の作業場である。商会は「シャルル・F・ティソ・エ・フィス」、すなわちティソ父子商会と名づけられた。父はケースの製作を、息子は時計の組み立てと調整を担い、役割を分けて事業を始めた。

二人が選んだのは、当時のジュラ地方に多かった組立工房(コントワール)の形である。谷に広がる職人網から部品を集め、自らの管理のもとで完成品へ仕上げた。記録では、創業の年に1,000本を超える時計を世に出したと伝わる。少数の特注品を手がける工房とは異なり、数を前提とした出発だった。

扱いの中心は懐中時計だった。ティソは早い時期から量産による懐中時計を掲げ、二つの時間帯を一つの文字盤に示す懐中時計も手がけたとされる。ただし、これらを世界で最初の例と断じる根拠は乏しく、現存する記録では先後を確定しがたい。

販路の拡大も早かった。1858年、シャルル=エミールはロシアへ向かい、蓋付きのサヴォネット懐中時計を帝国各地で売り込んだ。信頼に足る時計として受け入れられ、やがて宮廷筋にまで届いたと伝えられる。ロシア市場との結びつきは、19世紀後半から20世紀初頭にかけてティソの成長を支える柱となった。創業まもない町工場が最初から国外を見据えていた点に、この商会の性格がよく表れている。

§ 03 Significance

ティソの出発が示したのは、市場をめぐる一つの選択である。一族が最初から据えたのは、数をこなせる生産と、国境を越える販路だった。少数の高級品を頂点とする職人仕事とは別に、堅実な時計を相応の価格で広く届ける。この姿勢が、後のティソを貫く背骨となった。

その性格は20世紀の歩みにも引き継がれる。1929年の世界恐慌のあと、ティソはオメガと結びつき、共同の持株会社SSIHのもとで中位市場を受け持つ役回りを担った。上位をオメガに譲り、自らはより手の届く価格帯で量を売る。この棲み分けが、不況と戦争の時代を生き抜く支えになった。

市場を広げる手立てとして、ティソは素材や意匠の実験にも踏み込んだ。1971年には機械式でありながら樹脂を多用したアストロン(IDEA 2001)を、1985年にはアルプスの花崗岩から削り出したロックウォッチを世に問うた。木や真珠母を用いた時計も続く。いずれも時計の素材の常識を揺らし、新しい買い手の目を引く試みだった。1983年にスウォッチグループの前身へ統合されてからは、その傘の下で中価格帯の中核を担い続けている。

創業時の量産と輸出という選択は、スイス時計産業の通史のなかでも一つの典型を示す。エタブリサージュの分業を土台に国外市場へ打って出る——ティソの出発は、職人の谷から世界の市場へ広がっていくスイス時計の道筋を、早い段階でなぞった例だった。

← 年表へ戻る