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腕時計史 · MILESTONE — 第1章 起点とフォーマットの探索
1848

オメガ前身創業

鍵巻き懐中時計の組立商から、量産キャリバーの名を冠する大手メーカーへ。オメガの前身が歩んだ半世紀の出発点である。

§ 00 Overview

1848年、23歳のルイ・ブランがラ・ショー=ド=フォンで小さな組立工房を構えた。各地の職人から部品を仕入れ、鍵巻きの懐中時計に組み上げて売る、当時のスイスでは一般的な商いである。主な販路は英国で、ブラン自身が各国を回って注文を取った。1879年に創業者が没すると、息子のルイ=ポールとセザールが事業を継ぎ、拠点をビエンヌへ移して工業化を進める。1894年、量産と部品互換を実現した口径19型のキャリバーを発表し、これに『オメガ』の名を与えた。口径の成功を受け、1903年には会社自体がオメガを社名に冠した。一介の組立商から、後にシーマスターやスピードマスターを生む大手メーカーへ変わる出発点である。

§ 01 Background

19世紀半ばのスイス時計づくりは、コントワール(組立商)を軸に回っていた。ジュラ山脈沿いの谷では、ぜんまいや地板、文字盤といった部品を専門の職人や家内工業が分担して作る。コントワールはそれらを買い集め、組み上げて完成品に仕立て、各地へ売りさばいた。一人の親方が全工程を抱える必要はなく、資本と販路を持つ者が事業を起こしやすい仕組みである。

ラ・ショー=ド=フォンは、その分業生産が根づいた時計の町だった。標高の高い谷あいで冬の手仕事として時計づくりが広がり、19世紀には町ぐるみの産業へ育っていた。完成品の多くは輸出に回され、なかでも英国は重要な市場である。

当時の主役は鍵巻きの懐中時計で、リューズによる巻き上げはまだ一般的でない。精度や仕上げは職人の腕しだいで、同じ町の製品でも品質に幅があった。部品の互換性も乏しく、修理は一台ごとの手作業に頼る。こうした手工業の枠組みのなかで、若い商人が新たに加わる余地は大きかった。

§ 02 The Event

1848年、ルイ・ブランはラ・ショー=ド=フォンの生家で組立工房を構えた。23歳の若い商人である。彼は各地の職人から地板や部品を仕入れ、銀側の鍵巻き懐中時計に組み上げて売った。販路は英国を中心に欧州へ広がり、ブラン自身が国々を回って注文を集めた。当時の慣行どおりこれらの時計に銘は刻まれず、現存品の特定は難しいとされる。

1877年、息子のルイ=ポールが共同経営者に加わり、屋号は『ルイ・ブラン&フィス(息子)』へ改められた。1879年に創業者が没すると、ルイ=ポールと弟のセザールが事業を引き継ぐ。兄弟はやがて屋号を『ルイ・ブラン&フレール(兄弟)』とし、1880年に拠点をビエンヌへ移した。手仕事の組立商を、機械を備えた工場生産へ作り変えるためである。米国式の生産方式に学び、互換部品による量産へ舵を切った。

転機は1894年に訪れる。兄弟は口径19型(約43mm)の懐中時計用キャリバーを発表した。部品はすべて互換性を持ち、世界のどの時計師でも交換できる。リューズ一つで巻き上げと時刻合わせを行う機構も備えていた。何より、工程を分けた産業的な量産でこれを作った点が新しい。取引先の銀行家が、ギリシャ文字の最後の字にちなみ『オメガ』の名を提案したと伝わる。

オメガ・キャリバーは広く受け入れられ、会社をスイス有数の規模へ押し上げた。口径の名はやがてブランド全体を覆い、1903年に会社はオメガを社名へ掲げる。同じ年、ルイ=ポールとセザールは相次いで世を去った。

§ 03 Significance

オメガ前身の歩みは、スイス時計が手工業から産業へ移る過程と重なる。1848年の出発点はありふれた組立商だったが、半世紀をかけて量産メーカーへ姿を変えた。その転換を象徴するのが、1894年のオメガ・キャリバーである。互換部品と工程分業によるこの量産方式は、谷あいの家内工業から、規格化された工業生産への移行を後押しした。

同じ方式はやがてスイス産業全体に広がり、職人個人の腕に頼る生産のかたちを変えていく。1896年にはジュネーブの国民博覧会で金賞を受け、評価を確かにした。1903年の改称時、オメガの年産は約24万個、従業員はおよそ800人に達していた。創業以来の英国向け輸出に加え、規格化された製品は米国などの新市場も開いた。広い販路と量産体制が、スイス有数の規模を支えた。

ブランドとしてのオメガは、この基盤の上に20世紀の製品群を生み出す。1948年のシーマスター、1957年のスピードマスターも、ここで固まった量産と精度の土台から育った。スイス通史のなかでオメガ前身は、エタブリサージュの伝統から出発し、量産による工業化を早くに進めた一例にあたる。この会社はやがてSSIHの中核となり、後のスイス産業再編へとつながっていく。

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