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腕時計史 · MILESTONE — 第0章 前史
1755

ヴァシュロン・コンスタンタン創業

創業の古さよりも、操業が一度も止まらなかったという連続性に、ヴァシュロンというメゾンの拠りどころがある。

§ 00 Overview

1755年、24歳のジャン=マルク・ヴァシュロンはジュネーブで時計工房を構えた。同年9月、最初の弟子と交わした契約書が現存し、メゾンはこれを創業の証としている。当時のジュネーブはカビノチエと呼ばれる職人が部品を分業で仕上げる町で、彼もその一人だった。工房は息子アブラアン、孫ジャック=バルテルミーへと受け継がれ、1819年には実業家フランソワ・コンスタンタンが加わってヴァシュロン・コンスタンタンの名を得る。創業以来、操業が途切れた記録がないとされ、継続操業のメゾンとしては世界最古級に数えられる。古さではなく止まらなかったことが、この創業を本史の早い一点に置く理由である。

§ 01 Background

18世紀半ばのジュネーブは、時計づくりが町ぐるみの産業として根づいた地だった。職人たちはサン=ジェルヴェ地区の屋根裏に近い採光のよい仕事部屋、いわゆるカビネに陣取り、その名からカビノチエと呼ばれた。彼らはテンプやヒゲ、文字盤といった部品をそれぞれ専門に手がけ、エタブリスールと呼ばれる組立業者へ納める分業の網の中にいた。一人で時計を完成させるより、得意な工程を持ち寄って質を高める仕組みであり、この職人共同体はジュネーブで『ファブリック』と呼ばれた。

この町の時計づくりは、16世紀の宗教改革で奢侈品が戒められた際、金細工師が時計へ転じたことに始まるとされる。16〜17世紀には、宗教的迫害を逃れたフランスの宝飾・時計職人が移り住み、技術と資本が蓄えられていった。ジャン=マルク・ヴァシュロンは1731年、織物職人の子としてこの町に生まれ、時計師として腕を磨いた。独立して自らの名を冠した工房を構えることは、職人にとって一本立ちの証でもあった。

§ 02 The Event

1755年、24歳のジャン=マルク・ヴァシュロンはジュネーブで時計工房を開いた。同年9月17日付で、彼が最初の弟子と取り交わした契約書が残っている。技を次代へ託す意思を示すこの一枚を、メゾンは創業証明書と位置づけている。ただし、この1755年の文書をヴァシュロン自身が他の時計師に弟子入りした記録と読む説もあり、解釈には幅がある。

初期の時計は『J.M.ヴァシュロン ア・ジュネーブ』と署名された。創業者をファーストネームまで記した銀側懐中時計が現存唯一の例として伝わり、金製の針や彫りを施したテンプ受けに初期の手仕事がうかがえる。

事業は家族の手で継がれた。1785年に息子アブラアンが引き継ぎ、フランス革命とジュネーブ併合の混乱を耐え抜く。1810年には孫ジャック=バルテルミーが当主となる。彼のもとでは音楽時計や暦付きの複雑な時計も作られ、フランスやイタリアへの輸出が評判を広げた。

転機は1819年である。販路を広げる人手が要ると見たジャック=バルテルミーは、商才に長けたフランソワ・コンスタンタンを共同経営者に迎えた。社名はヴァシュロン・エ・コンスタンタンとなる。コンスタンタンが販売と各地の市場開拓を担い、ヴァシュロン家が製造を受け持つ分担ができ、各地を旅する彼が欧州に新たな顧客を開いた。同年7月5日、トリノから彼が送った手紙の一節『可能ならばより良く、それは常に可能である』が、のちまでメゾンの標語として残った。

§ 03 Significance

ヴァシュロン・コンスタンタンの市場的な意味は、操業が一度も途切れていないという連続性にある。創業年だけならより古いと称する例もあるが、操業の連続という一点に絞れば、現存する記録ではこのメゾンが世界最古級に位置づけられる。古さではなく、止まらなかったことを価値の中心に据える——その置き方が、ブランドの拠って立つところを定めた。

連続性は、信頼を時間で裏づける資産でもある。職人と顧客のつながりも、製造の知見も、署名の重みも、操業が続く限り次の世代へ受け渡される。創業者の名と、孫の代に加わった商人の名が今も社名に並ぶことが、その継承を物語る。

ヴァシュロンが体現するジュネーブの伝統は、1886年に定められたジュネーブ・シールという公的な品質証明に裏打ちされ、同社は1901年から早くにこれを採り入れた。複雑機構と彫り装飾の系譜を重ねながら、20世紀には高級時計の代表的な作り手と見なされ、いまではパテック フィリップ、オーデマ ピゲと並ぶ御三家の一角に数えられ、1996年からはリシュモン・グループに属している。スイス時計産業の通史をたどるうえで、本史はこの創業を、制度と継続が育てた優位の早い起点に置く。

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