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腕時計史 · 縦糸 / THREAD — 地域別 / Region
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ドイツ(グラスヒュッテ)の通史

グラスヒュッテに発したドイツ時計は、戦後の国有化と東西分断でかつての姿を失い、統一後に再興する歴史をたどる。

§ 00 Summary

ドイツの時計は、ザクセンの小さな町グラスヒュッテを中心に育った。1845年、フェルディナント・アドルフ・ランゲが困窮した鉱山の町に工房を開き、スイスに倣う分業で時計産業の集積を生んだ。19世紀末には精密懐中時計や航海用クロノメーターが世界に知られ、4分の3プレートに代表される独自の様式も定まる。だが第二次大戦の終結で産業は解体され、ランゲは国有化されて東独の国営企業に統合された。技術は分断の壁の内側で生き延び、統一後に再興する。ランゲの復活とノモスの登場が、その節目となった。

§ 01 Overview

グラスヒュッテは、ドレスデン南方のエルツ山地にある小さな町である。銀や銅の鉱脈が尽き、19世紀半ばには困窮していた。そこへ1845年、ドレスデンの時計師フェルディナント・アドルフ・ランゲが、ザクセン政府の融資を得て時計工房を開いた。彼はスイスに倣い、若者を部品ごとの専門職人に育て、独立後に部品を供給させる分業体制を築いた。計測にも力を注ぎ、メートル法を時計づくりへ持ち込んだ。微細な寸法を測る計測器も自ら考案している。この仕組みが町に時計産業の集積を生み、ドイツ時計の出発点となった。

ランゲの弟子や同志からは、新たな工房が次々と生まれた。1852年にはユリウス・アスマンが、ほどなくモーリッツ・グロスマンらが独立し、町は時計の集積地へと育つ。1878年にはグロスマンの主導でドイツ時計学校が開校し、スイスを含む各国から学生を集めた。この時期に、グラスヒュッテ独自の様式が定まっていく。香箱から輪列までを一枚で覆う4分の3プレート、グラスヒュッテ模様の筋目、金のシャトン、白鳥の首形の緩急針。いずれも堅牢性と入念な仕上げを重んじる思想の表れである。スイスの装飾とは異なる、抑制のきいた質実な美意識でもあった。1868年に息子リヒャルトが加わると、社名はA.ランゲ&ゾーネとなる。19世紀末には、ランゲの精密懐中時計が各国の宮廷にも届いた。海軍向けクロノメーターの需要は、1898年の工場拡張を促した。

転機は第二次大戦の終結だった。二度の大戦では、町の工房も軍需生産に組み込まれた。1945年、ソ連の軍政下で町の時計産業は賠償として解体され、設備の多くが運び去られた。1948年にはランゲが国有化され、社名は文字盤から消える。1951年、残った各社は接収・統合され、計画経済のもとで東ドイツの国営企業グラスヒュッター・ウーレンベトリーベ(GUB)に束ねられた。それでもGUBは自社開発のムーブメントで機械式時計を作り続け、1960年代には自動巻のスペツィマティックなどを生んだ。機械式だけでなく、クォーツ時計や計器類もGUBの製品に並んでいた。輸出が大きな比重を占め、クォーツが機械式を揺るがした時代にも、町の技術と職人は分断の壁の内側で生き延びた。

1989年のベルリンの壁崩壊が、再興の扉を開いた。1990年、信託公社トロイハントがGUBの民営化に着手する。1990年ごろ約3,000人を数えた従業員のうち、引き継がれたのはわずか72人だったと伝わる。民営化の過程で、GUBはランゲの商標権を手放した。同年12月7日、創業からちょうど145年後の日に、ランゲの曾孫ヴァルター・ランゲがランゲの商標を再登録した。彼を支えたのは、ギュンター・ブリュームラインらだった。最初の時計が世に出るのは1994年で、非対称の文字盤を持つランゲ1がその象徴となる。GUBの法的後継会社は同じ1994年、歴史的な社名を継がず、町全体の遺産を背負う道を選んだ。1920年代の品質証『オリジナル・グラスヒュッテ』に由来するグラスヒュッテ・オリジナルの名で再出発した。一方、1990年にはローランド・シュヴェルトナーがノモスを興し、バウハウスに連なる簡素な意匠で、タンジェントなど4つの基本モデルから1992年に出発した。

2000年、ランゲはリシュモン、グラスヒュッテ・オリジナルはスウォッチ・グループの傘下に入る。ノモスは独立を保ち、2005年からは自社ムーブメントを用い、2014年には自社開発の脱進機も実装した。1990年代以降、チュティマやミューレ、モーリッツ・グロスマンなど、ほかの作り手も町に集った。『グラスヒュッテ』の名にふさわしい時計とは何か。この問いは古く、20世紀初頭には、価値の多くを地元で生むことを求める不文律が生まれていた。だが法的な裏づけはなく、表記をめぐる争いは統一後にも続いた。2022年、ドイツはこの呼称を法で保護する規則を定める。ムーブメントの価値の半分以上を町で生み、主要な工程を町内で行うことが条件とされた。地名が工業製品の原産地として保護されたのは、1938年のゾーリンゲン以来二例目だった。対象が一つの町に限られるため、国全体に及ぶ『メイド・イン・ジャーマニー』より要件は厳しい。鉱山の町に発し、国家による断絶を越えて受け継がれたドイツ時計は、ザクセンの様式と手仕事を核に現代へと続いている。

§ 02 Milestones on this thread
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