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腕時計史 · MILESTONE — 第6章 機械式の復権と独立時計師
1990

A.ランゲ&ゾーネ 再興着手

40年余り途絶えた名がグラスヒュッテに戻る——東西統一の年、一族の曾孫が商標を再登録した。

§ 00 Overview

1990年12月7日、フェルディナント・アドルフ・ランゲの曾孫ヴァルター・ランゲは、時計業界の経営者ギュンター・ブリュームラインとともにランゲ・ウーレン社を登記した。旧A.ランゲ&ゾーネは第二次大戦後に国有化され、東独の時計工場群へ吸収されていた。ベルリンの壁崩壊と東西統一が、途絶えた名の復活を可能にする。登記日は1845年の創業からちょうど145年後にあたり、断絶を越えて系譜を継ぐ意思が込められた。当時66歳のランゲが踏み出したこの一歩が、ドイツ高級時計の復権の起点となった。

§ 01 Background

A.ランゲ&ゾーネは1845年にザクセン王国のグラスヒュッテで生まれ、19世紀のうちにドイツ精密時計の中心を築いた。だがその歩みは20世紀半ばに断たれる。

第二次大戦末期の1945年、グラスヒュッテはソ連軍の空襲を受け、ランゲの工場も被害を負った。戦後、東ドイツの管理下で私企業は接収の対象となり、1948年にA.ランゲ&ゾーネは国有化され、一企業としては消滅した。グラスヒュッテの各社はやがて統合され、国営の時計工場グラスヒュッター・ウーレンベトリープ(GUB)に束ねられていく。ランゲの名は製品から外れ、町は計画経済の量産拠点へと姿を変えた。

創業者の曾孫ヴァルター・ランゲは、戦後に東独を離れて西ドイツへ移っていた。鉱山労働への配属を逃れての離郷だったと伝わる。彼は家業の再建を長く願いながらも、東西を隔てる壁の前に手立てを欠いていた。

状況が動くのは1989年である。11月にベルリンの壁が崩れ、翌1990年に東西ドイツが統一へ向かう。統一を控えた東側では、国有企業を民営化する機関トロイハントが設けられた。40年余り凍りついていたグラスヒュッテの時計づくりに、再び民間の手が及ぶ余地が生まれた。

§ 02 The Event

再興は一本の電話から動き出す。1990年初頭、退職して暮らしていたヴァルター・ランゲのもとに、IWCとジャガー・ルクルトを率いていた経営者ギュンター・ブリュームラインが連絡を取った。壁崩壊の直後にグラスヒュッテを訪ねたブリュームラインは、この町での再建を構想していた。

当初ブリュームラインが描いたのは、国営のGUBとの合弁だった。だが現地を見て断念する。GUBは2,000人規模の旧式な大組織で、扱いきれる相手ではなかった。そこで彼は、A.ランゲ&ゾーネをゼロから興し直す道を選ぶ。ヴァルター・ランゲ、ブリュームライン、そしてグラスヒュッテの工場を知る地元出身のハルトムート・クノーテが加わった。

1990年12月7日、ランゲ・ウーレン社(Lange Uhren GmbH)が登記される。この日付は偶然ではない。1845年12月7日にフェルディナント・アドルフ・ランゲが工房を開いてから、ちょうど145年後の同じ日だった。旧社屋は当時取り戻せず、登記には旧友の私邸の住所が使われた。建物の買い戻しが叶うのは2000年になってからである。

事業の後ろ盾は、ブリュームラインが率いていたVDO傘下の時計事業だった。VDOはドイツの計器メーカーで、すでにIWCとジャガー・ルクルトを擁していた。これらはのちにレ・マニュファクチュール・オルロジェール(LMH)として整理される。新生ランゲもこの枠組みに加わり、IWCが資金とムーブメント開発の協力を担った。ヴァルター・ランゲ自身が振り返るとおり、出発点には売るべき時計も従業員も設備もなかった。あったのは、グラスヒュッテで再び時計をつくるという構想だけだった。

§ 03 Significance

1990年の再興着手は、市場から消えていたドイツ高級時計という選択肢を、再び立ち上げる試みだった。一ブランドの復活にとどまらない意味がそこにある。

成否が市場に問われるのは、最初の腕時計群が出る1994年だが、その枠組みは着手の時点で定まっていた。ドイツの設計思想とスイス資本・量産技術を結ぶ後ろ盾が、後発の高級ブランドに立ち上がりの基盤を与えたのである。

町への影響も大きい。ヴァルター・ランゲは再建の動機をグラスヒュッテへの雇用回帰と語っていた。計画経済の量産拠点だった町は、再び少量・高付加価値の時計づくりへ軸足を移していく。今日のランゲは、この地で最大の雇用主の一つに数えられる。

企業の系譜としても、この一手は遠くまで届いた。ランゲを加えた3ブランドは、1999年から2000年にかけての業界再編を経てリシュモンの傘下に入り、同グループの高級製造部門の中核を形づくる。再興を主導したブリュームラインは2001年に世を去るが、彼が結び直した3ブランドはその枠組みを保ったまま現在に至る。ドイツ時計の通史(R2)で見れば、1948年の断絶と1994年の本格復活をつなぐ転回点が、この1990年の再登記に置かれることになる。

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